第2話 いや、スカートの中に興味はない


 もう二度と来るなと春人は願っていたのに、無情にも放課後はやって来る。


 大多数に恨めし気に、どろどろと熱い黒い視線をハチの巣の様に浴びながら、春人は無駄に輝かしい草壁と学校の門をくぐっていた。


 授業が終わり、ホームルームも何故か無事に終わってしまった後。

 逃げようかどうしようか迷いながら玄関に辿り着いたら、既に草壁が下駄箱の前でたたずんでいた時はもう影を背負うしかなかった。

 しかも、棚に寄りかかって腕を組み、片膝を軽く曲げて綺麗に背筋を伸ばす立ち姿は、どこぞの漫画か映画にでも出てくる彼氏の様な神々しさであった。何故、彼女はそこまで無駄に彼氏然とした立ち居振る舞いをするのだろうか。癖なのか。謎だ。


「やあやあ、まさか須藤君と放課後デートをする日が来ようとはね! 昨日はどんな風に誘おうかドキドキしながら風呂の中で眠ってしまったよ」

「いや、それ普通に溺れないか?」

「大丈夫! 母が見越して起こしに来てくれたからね!」


 風呂で溺れるのを見越すって、どんな生活をしているのだろう。


 草壁家の危険な香りのする日常を垣間見てしまい、春人は聞かなかったことにした。草壁家の全員が草壁の様な性格と口調とテンションだったら、春人の精神が枯れ果てて絶滅する。

 まだ夕焼けも遠い時間だというのに、既に黄昏たそがれを背負った様な気分になった春人の元へ、びゅうっと強い風が吹き抜けた。うおっと、思わず右腕で顔をかばいながら目をつむる。

 そのまま、彼女の前に少しだけ進み出た。



「風、強いな。草壁さん、平気か?」

「もちろん! スカートの中は絶対零度だよ!」

「――はい?」



 何故、スカートの中がそこまで凍えを通り越した極寒の空間になるのだろうか。

 疑問符をめいっぱい顔中に貼り付けていると、ああ、と草壁は爽やかに人差し指を立てた。


「間違ったよ! 絶対領域、だったね。いやいや、須藤君といると緊張して、変なことばかり言ってしまう様だ。これが恋なんだねっ」


 いつも変なことばかり言っていると思う。


 既に昨日の放課後から、春人の中で彼女はキングオブ変人である。いや、クイーンオブ変人か。どちらでも良い。頂点に変わりはないだろう。

 二年生になってからここ数日で、草壁の人気ぶりを知っていたはずなのに、ここまで変人だとは気付かなかった。何だかんだで周囲が騒がしいとしか思っていなかったのかもしれない。



 そういう意味では、彼女に全く興味が無かったのだろうか。



「……っ」



 クラスが変わったばかりだから仕方がないかもしれないが、何となく胸の中がもやもやした。


「しかし、須藤君は紳士だねえ。風が吹いて私の心配をするとか、普通の人はあまりしないと思うけど」

「そうか? だって、風が強いと色々大変だし寒いだろ」

「ああ! スカートがめくれたりとか、スカートがめくれたりとか、スカートがめくれたりとかだね! なるほど、スカートの中が見たかったのかい。言ってくれれば良いのに!」


 断じて違う。


 確かにスカートが大変だとはちらりと頭の隅をよぎったが、別に中を見たいとは思っていない。むしろ何故こんなに朗らかにスケベを推奨してくるのか。彼女の頭の中は宇宙の神秘である。


「いやあ、でも残念だけど、スカートの中は見せられないよ! 一応恥じらう乙女だからね」

「へえ。恥じらうんだ。乙女なんだ」

「その通りさ! それに、スカートの中にはきちんと防御が施されている。安心して絶望すると良いよ」

「へえ。防御。レギンスとかだっけ?」

「いいや! 三重スカートだよ!」


 意味わからん。


 本格的に行動に理解を示せなくなってきた。それどころか、今、春人は人間と話しているのかさえ疑いたくなってくる。

 スカートの中にスカート。しかも三重。何故そんなことをするのか。意味が分からない。


「あー……、スカート……? スカート、って、……何?」

「む? スカートを知らないのかい? まさかの衝撃だよ!」

「違うわ! スカートくらい知ってる! 今お前がいてるのがそうだろうが!」

「何だ、知っているのかい。ビックリしたよ」


 こっちがビックリだよ。


 会話が全く進まない。むしろ今、春人は何を話しているのだったか。

 彼女といると、今までの恋人とは全く次元の違う世界に飛んでいる気がする。これはこれで面白いと捉えるべきなのかもしれないが、精神が既にくたびれ果てていた。口調が荒っぽくなっているのも自覚する。


「あー……ごめん」

「ん? 何がだい?」

「つい、お前って言っちゃった。そんな親しくないのに、乱暴だったよな」

「ああ、いや、良いよ! むしろどんどん呼んでくれたまえ! 恋人の前日だと思えば良いよ!」

「前日……?」

「ああ、間違った! 恋人の予行演習だね!」


 恋人を断られたのに、恋人の練習とはこれ如何いかに。


 そろそろ本格的に彼女の存在に疑問を覚え始めた頃に、まったく、と彼女は腕を組んで憤慨し始めた。


「大体、うちの学院はシャツの色は自由なのに、スカートかスラックスか選ばせてくれないのが難点だね。女子もスラックス登校を許可してくれれば良いのに」

「ふーん。てことは、草壁さんは、家ではそういう格好をしているんだ」

「お? 興味を持ったかい? スカートの中の次は私服かい? 良い傾向だよ! 男子はくあるべきだね!」

「あー、うん。間違った。聞かなかったことにしてくれ、うん。答えなくて良い、うん。全く興味はない。本当。興味ない」

「仕方がないね! そんなに私に興味があるならお答えしよう。私はほとんどスカートを履かないよ! 履いてもロングだね!」


 重ねてお断りをしたのに、全く聞く耳を持たない。

 おかげで、彼女の私服の傾向の情報をゲットした。何だろう。全く嬉しくない。こんなことは初めてだ。いや、元々付き合っている彼女の情報を得ても、特に感慨がいたことはなかったが。

 しかし、ロングスカート。あの足元まであるたぐいのものだろうか。


「……草壁さんは、結構活発なイメージがあるけど。ロングだと動きにくくないのか?」

「うん? ああ、大丈夫だよ! むしろロングの方が派手に足技をかけても気を遣わなくてすむしね」


 そんな理由かよ。


 むしろ、相手に攻撃を仕掛けることが前提の服装は如何いかがなものだろうか。

 いや、彼女は見てくれは本当に可愛くてふわふわして目を引く。短慮な男がナンパをしてきた経験もあるかもしれない。だとすれば、強い方が安全だろう。



「ああ、着いてしまったね。私はこっちに家があるんだ。ここでお別れだね」

「え? あ、そうなんだ。……って、……何で俺の家の方角知ってんの?」

「それはね! 中学の頃に見かけたことがあるからだよ!」

「えっ⁉」



 初耳だ。

 春人は、中学時代に彼女をこの付近で見かけたことが無い。というより、彼女はそんなに前から春人のことを知っていたのか。


「いやあ、実を言うと家が近いんだよ。私の家は、この先の三丁目のあたりだからね」

「え、マジか。……俺は、こっちに二丁目のところだから。……近いけど、中学違うのは仕方がないか」


 いくら家の住所が近くても、丁の数が違えば通学区域は変わる。ここは境目なのだ。

 ならば、彼女が春人を見かけていてもおかしくはない。行動圏は重なっている可能性が高かった。


「君、私の中学の子とも付き合っていた時があっただろう。結構うちの中学でも君の名前は有名だったみたいだからね。自然と耳に入ってきたよ」

「え。……、……ああ」


 そうだったかもしれない。二番目か三番目の彼女だろうかとぼんやり振り返る。

 中学は違ったが、その彼女も確か草壁と同じでこの辺りで見かけたことが何度かあるという切り口だった。――別れ方が酷かったので、正直思い出すのも嫌だったのだ。自然と気持ちが落ちる。



「……。じゃあ、俺、行くわ」

「うん! では、また! 明日ここで!」

「ああ。――はい?」



 さっさと会話を切り上げたくて半ば強引に背を向けると、さらっととんでもない提案をされた。

 反射的に肯定してから、ぐるんとコマの様に振り返る。

 すると、そこにはとても良い笑みを浮かべた草壁が、してやったりと全身で物語っていた。


「ふっふっふ。頷いたね? 頷いてしまったね?」

「え? あ、いや、……ちゃんと聞いてなかったな。もう一回――」

「では、明日、八時に! ここで待ち合わせだよ! またね、須藤君!」

「ええっ⁉ い、いや! 俺、一言もOK……ちょ、……!」


 くるりと振り返って、颯爽さっそうと立ち去る草壁の姿は、青空にまっさらな黄金色が混じり始めた空を背負って実に神々しかった。どうして去る姿までカッコ良いのかと、春人は一瞬呆けてしまう。

 いや、違う。今はそんなことは問題ではない。

 これは、つまり。



「……ハメられた……っ」



 別のことに気を取られている間に、あっさりと本題を挟んで承諾させる。生返事であっても言質げんちが取られてしまった。約束は約束だ。

 もし、約束を破って先に登校してしまったならば、堂々とクラスでそのことを言いふらされるだろう。

 その時のクラスメート達の反応は、推して知るべし。



「……厄介過ぎだろっ。何だ、この用意周到さ……っ!」



 テンションや変な言葉で振り回しておいて、思った以上に策士なのかもしれない。

 危機感を抱いた時にはもう遅く。春人はこの日から、強制的に草壁と登校することになってしまうのだった。


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