第1話 俺は振っても振られてもいない!


 春人は、幼い頃から割と順風満帆と言えば順風満帆、平凡と言えば平凡な日常を送ってきた。

 勉強は嫌いではなかったし、体を動かすのも好きだった。顔も両親の遺伝子を引き継いでそれなりに良かったし、父の影響で剣道も強く、そこそこモテたのだ。故に、付き合った女子もそれなりにいる。


 最初の頃は告白をされても、特に恋人になりたいという気持ちは無かったので断っていたのだが、ある日を境に断らないことにしたのだ。


 そのせいか、一部の間で春人は「来るもの拒まずな遊び人」という不名誉な代名詞が付いてしまったが、特にそのことに思うところはない。勝手に言っていれば良いと思う。幅広く人脈はあるが、本当に信頼出来る理解者が数人そばにいれば構わないと考えているからだ。

 友人達と学校や放課後に馬鹿騒ぎをするのも、塾に通って勉強するのも、家で両親とくだらない話をするのも楽しい。

 そんな日常が、ずっと続くと思っていた。

 だが。



「おう! 須藤! お前、草壁さんに振られたんだってな!」



 ――振られてねえっ!



 朝に春園学院に登校し、クラスに入って開口一番、騒がしいクラスメートに叫ばれた。思わず心の中だけで突っ込みを入れたが、届くはずもない。

 一体全体、何故、春人が草壁に告白したことになっているのか。胸倉を掴んで問いただしたい。


「……。おい。俺の耳が腐った。もう一度言ってくれ」

「いやあ、だからよ! 聞いたぜ、須藤! お前、昨日の放課後、草壁さんに告白して振られて大惨事だったって!」

「昨日、放課後に見た奴がいたんだってさ。お前が泣き叫ぶ姿とか見たって!」

「もう学校中で大騒ぎだぜ!」

「あの遊び人も、遂に振られる時が来たかあ。ふははははっ!」


 ――何でだっ。


 意味が分からない。

 むしろ彼女の方から告白をされ、しかもOKしたのに拒否され馬鹿にされ、その上告白し続けると宣言されたのが真実なのだが。何故、事実を捻じ曲げられて伝えられているのか。納得いかないと、窓際の席へと野次馬の中を通って移動する。


「……あー、おはよ、ハル」

「おはよう、冬馬とうま。……なあ。何の話してんの、あいつら」

「んー。草壁さんを大好きな男子が、適当に話を妄想してばら撒いたんじゃないかー。放課後会ってたことには変わりないんでしょ?」

「ああ、……まあ」


 眠そうな顔で隣の席から挨拶をしてきた伏見冬馬ふしみとうまが、これまた眠たそうに適当に推測してくる。机の上でのんびりと腕を伸ばしてだらけている姿は、通常運転だ。

 春人の後ろで我関せずと英単語帳を開いていた澤村和樹さわむらかずきが、眼鏡のブリッジを押し上げながら、面倒くさそうに溜息を吐いた。


「日頃、お前が女子にモテるのが気に食わん奴もいるだろうしな。洗礼だと思って受け流せ」

「……他人事だよな」

「他人事だからな。人の噂も七十五日。噛み付かなければ、三日で飽きるぞ」


 物凄く適当な理論を持ち出して、和樹は単語帳をめくっていく。この二人は幼稚園からの腐れ縁兼親友なので、気を遣わなくて楽である。

 しかし、噛み付かなければ確かに噂は消えるかもしれない。

 故に、春人は今も遠くで「すどーう!」「今度こそ敗北を味わうべーし!」と大合唱する男子達の雄叫びを受け流していたのだが。



「おはよう、諸君! 今日も気持ちの良い朝だね!」



 がらっと大きな音を上品に立てながら、噂の当人が爽やかに登場した。きゃああ! と女子が黄色い歓声を上げる。考えてみると、凄い日常だ。


 何度も目を瞬き、春人は物凄い労力できらきらと登場した彼女、草壁を観察してみた。


 どう足掻あがいても、彼女の風貌はふわふわふんわり、愛らしい顔立ちをしたお姫様だ。緩くカールがかかっている栗色の髪は肩のあたりで揃えられ、瞳もぱっちりとして可愛らしい。身長も低く、外見だけならどう見ても愛らしいマスコットキャラだ。

 しかも紺色のブレザーに真っ白なシャツ、胸元に赤いリボンが飾られた姿が抜群に似合っている。上着やスカートのふちには金色のラインが入っており、襟元も落ち着いた黄色で彩られているそのブレザー自体も可愛らしいのだ。シャツの色は水色でも黄色でも緑でもワインレッドでも何でも良いという自由な校風のおかげで、学院に入学する理由に制服を選ぶ者達も多い。


 そんな可愛らしい彼女は、何故か今日も無駄にきらびやかに威風堂々としている。


 可愛い出で立ちとのギャップが凄まじすぎて、春人は視線を逸らしたくなった。


「草壁さん、おはようございます!」

「今日もお美しい!」

「やあ、佐藤君、田中君、おはよう! この前の野球の試合は惜しかったね! けれど、最後まで諦めずに球を投げ続けた姿も、諦めずに本塁に走ろうとした姿も、その場にいた誰よりもカッコ良かったよ! そのおかげか、本日輝いている青空が、一層青々しく透き通っている様だよ」

「お、おおおおおおお……っ!」

「あ、ありがとうございます! そんなこと言ってくれるなんて……っ!」

「草壁さん、あの、お、おおおおおおおはよう、ござい、ます!」

「ああ、佐々木さん、おはよう。いつも控えめにひっそりと咲いている一凛の花が、こうして勇気を出して話しかけてくれるその姿は、天上から落ちる光の露を受けて更に美しく煌めいているね。君という花が、昨日よりも一層輝いて成長している様に私には見えるよ」

「は、はああああああああ……っ!」

「く、草壁さん! おはよう!」

「美晴さん! 私も見て下さい!」


 草壁さん! 美晴さん! とクラスの入り口が噴火する様に殺到した。まるで珍獣に群がる野次馬の大衆に春人には見えるが、実際当事者はそれどころではない殺伐とした競争を繰り広げている。

 むしろ一人一人に誠実に口説く様に対応している草壁が凄い。春人は絶対近付きたくないし、試したくなかった。


「俺はどうして、彼女と付き合っても良いと思ったんだろう……」

「んー? なに。付き合うつもりだったの?」

「あ、いや、……」


 机に寝転がりながら聞いてくる冬馬に、春人は何と答えたものかと口ごもる。昨日の顛末てんまつを一体どう話して良いか分からないし、何より草壁が事実を知られたくないかもしれない。

 そう考えてだんまりを決め込んでいると。



「やあ! おはよう、須藤君! 今日も無駄に爽やかに良い顔をしているね!」



 あろうことか、元凶から話しかけてきた。

 無駄に爽やかに良い顔をしているのは、草壁の方だと切に訴えたい。

 ぎらっと、殺到していた男女の目がぎらついたのには目を逸らし、春人は仕方なく手を上げた。無視をするのは人として終わっている。


「あ、ああ。おはよう、草壁さん」

「やあ、須藤君! そういえば、好きだよ! 結婚しよう!」

「はあっ⁉」

「は、……はあああああああああああ⁉」

「きゃあああああああああっ!」

「く、く、く、くさかべ、さんんんんん⁉」


 いきなりとんでもない、しかもついでの様に告白してきた草壁に、春人は絶叫した。

 しかし、それ以上に大絶叫したのは周囲の方だった。鼓膜が破れんばかりに雄叫びを上げる彼らのせいで、クラスが地震を起こした様に揺れた気がする。他のクラスからも見物人がどやどやとやって来た。



「く、く、草壁、さん? お、おれたち、何か聞き間違いが」

「美晴さん、……その、須藤君の告白を、断ったん、じゃ?」

「え? 違うよ! 私が振られたのさ!」

「なあああああああにいいいいいいいいいっ⁉」



 ――振ってないわっ!



 思い切り心の中でのみ大声で否定したが、そんな心の声が殺気立った彼らに届くはずもない。すぐさま取り囲まれ、胸倉を掴む勢いで迫ってきた。――その間に、寝ていた冬馬と単語帳を開いていた和樹は、あっという間に隅の方へ避難していた。薄情である。


「お、おおいい! どういうことだ、須藤! 話が違うぞ!」

「お前が振っただとお⁉ この、遊び人がああああああああ!」

「俺は! 振ってない! って、草壁さん! 何をどうしたらそういう話に」

「まあまあ、諸君、落ち着いて。私に彼と話をさせてくれないかい?」

「はい!」

「草壁さんがお望みなら!」


 途端、ざざっとモーセの海割りの様に割れていく人並みに、春人は遠い目になった。やはり彼女と関わろうと思ったのは間違いだったと、後悔ばかりが押し寄せてくる。

 その間にも、彼女は目の前の椅子に流れる様に腰を掛け、足を組んだ。その堂に入った仕草は、一朝一夕で身に付く優雅さではない。

 可愛さよりもカッコ良さが先立つのは何故だろうか。可愛い顔で仕草が全面的にカッコ良いとか反則である。


「さて、須藤君。君は、確か帰宅部だったね?」


 さらっと右手を軽く彼女は上げ。

 そして。



 ばさあっと、豪快に前髪を掻き上げた。



 その後、実に輝かしく、無駄にカッコ良く、上から何故か流し目で見下ろされ。



「私も帰宅部なんだ。須藤君。好きだよ。放課後、一緒に帰らないかい?」



 左手を華麗に差し出された。まるで王子が姫に踊りを申し込む様なポーズである。



 断りたい。



 切実に願った春人だったが、周囲の圧が酷過ぎた。

 強制的に頷かざるを得なかった今日は、何という厄日だったのだろう。


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