【風に散る短編】茶の湯と私と大城代(後編)

 


「大谷めェェェ……!」

 下唇を噛み締め、丹波が唸りを上げた。

 その顔は口元でこそ笑っているが、目が笑っていない。

 どっしりと深く座った目をしていた。

「いや、まあ、私としてはあれが四郎兵衛殿の大事な茶器でのうて安心したが……」

「あいすみませぬ……」

 瑠璃の乱入によって、鳴海の茶器持ち出し事件が明るみに出ることとなった。

 その流れで、やっぱり嘘偽りには不慣れな内藤が、洗いざらい白状してしまったのである。

 ところが、丹波も内藤の人となりはよく知るところ。

 怒るに怒れなかったのだろう。代わりにその怒りの矛先は、鳴海の方向へと向かったのだった。

「た、丹波殿……、私が申すのも何じゃが、お手柔らかにの……?」

「さっ左様左様! 元はと言えば、それがしがうっかり貸し出してしまったのが悪い!」

「いや、四郎兵衛殿も断るに断れなかったのじゃろう? 鳴海がアホなだけじゃ」

 内藤とて、唐突に茶器を貸せなどと言われて、わけも聞かずに貸しはしない。

 ──瑠璃様にも、時には風流を嗜んで頂きたい。

 などと、要らぬことを思い立った鳴海が、道具部屋に居合わせた内藤に頼み込んだ、という経緯であるらしかった。

「しかし瑠璃様、大谷も瑠璃様を想うてのこと。アホなどと仰るものではありませぬぞ!」

「でも四郎兵衛殿も、その割には自分の茶器は貸しとうなかったのじゃろうが……!」

「!!! うぐぅ」

 図星を突かれた内藤は、目に見えて狼狽え出す。

「だ……っ、だってですな、あの大谷ですぞ!? それがしも大事な茶器を貸す相手くらい選ばせて頂きたい!」

 肩を窄めつつも、内藤はきっぱりはっきり大谷には貸したくないと主張する。

「えっ、まあ……。そう、じゃな」

「あの大谷が、まともに茶を点てるとは思えませぬぞ!」

「うう……すまぬ、四郎兵衛殿も辛かったのじゃな……」

「大谷のやつめ……! 常っ々やりたい放題しおって! 今度という今度は許せぬ!!」

 背後でやり合う姫君と大城代には振り向きもせず、丹波はぶつぶつ独り言ちる。

 寄ると触ると何だかんだと遣り合っている間柄なせいか、丹波の怒りも一入のようだ。

 そもそも二人が言い争うのは大概瑠璃の振舞いが発端だったりもするので、強く出られないのがもどかしい。

 ずしずしと自ら北条谷に足を向ける丹波に、やや遅れて追いかける瑠璃と内藤。

「しかしのう、四郎兵衛殿まで出向くことはないのじゃぞ?」

「そういうわけにも参りませぬ。それがしもちょっと加担しておりますのでな……」

「真面目じゃな……」

 供も付けずに往来を行く三人の様子は異様なもので、郭内に犇めく家中屋敷の方々から注目を集めたのであった。


   ***


(頼むから早く帰ってきてくれ……)

 銃太郎は心で泣いていた。

「瑠璃様はまだか!!!」

 いくらなんでも遅すぎる。

 と、鳴海がついに勘付いたのだ。

 流石に厠で時間を稼ぐのには限界があった。

「いやしかし大谷殿、我らが厠へ迎えに上がるのもちょっと憚られますよ……」

「当然だ!! しかし私は貴様と違って瑠璃様の護衛も兼ねているのでな! 私なら許される!!」

「いやいやいや!! まずいですって!!」

 様子を見に行くと立ち上がった鳴海を、銃太郎は必死で留めていた。

 体格で勝る分、まだ銃太郎が抑え込んでいるが、鳴海のことなのでいつ強行突破されるかわかったものではない。

 銃太郎は咄嗟にその両肩をがしりと捕まえると、真正面から睨み落とした。

「大谷殿」

「なんだ、やる気か貴様」

 喧嘩でも吹っ掛けられていると思ったか、鳴海は受けて立つ気満々のご様子である。

「厠にまで迎えに行って、瑠璃に変態と罵られたいのですか」

「……ぅぐぬぅっ!!!」

 途端に鳴海の顔から血の気が引いていく。

 かなり衝撃が強かったようで、青褪めたまま、わなわなと震えだすのがわかった。

 大変分かりやすい男である。

「今行けば、きっと瑠璃は二度と大谷殿と口をきいてくれなくなりますよ」

 止めとばかりに繰り出すと、鳴海は懊悩と逡巡とに翻弄されたらしかった。

 しかし。

 その直後、鳴海は思い切りよく銃太郎の手を払い除けたのである。

「構うものか! ここは瑠璃様の安否こそ最優先!! 万が一にも賊に襲われていれば取り返しがつかんだろうが!」

「賊!? ちょっ、大袈裟……」

 と、言い掛けて、銃太郎は口を噤む。

 別に大袈裟でもない。

 普段から慣れ親しんでしまったせいで忘れがちだが、瑠璃は城の姫君なのである。

 寧ろ、鳴海の反応のほうが自然であり、またそうあるべきなのではないか。

 すると、途端に背筋に怖気が走る。

 助けを請われたとは言え、また、大城代の茶器を勝手に使用させられている罪悪感があったとは言え、瑠璃を一人で城へ帰すべきではなかった。

 北条谷の奥から城まではそう遠くはない。

 武家の邸が並ぶ界隈だし、家中の目もある。

 だが。

(……もし、暴漢に襲われでもしていたら)

 考えれば考えるほどに、その可能性が脳裏を占めていく。

「おっ……大谷殿っ……!」

「なんだ」

「私が間違っておりました……!」

「ハァ?」

「茶器なんかどうでもいい、瑠璃を一人で逃がすべきではありませんでした……!」

「………」

「……まことに申し訳ない」

「は? ……逃がした?」

 ぽかんと問い返す鳴海から手を放し、銃太郎は深々と頭を下げる。

 視界の隅に無造作に転がった高そうな茶碗が見えたが、もはやどうでも良かった。

「貴様、瑠璃様を逃がしただと!!?」

「逃がしましたごめんなさい!!」

 

   ***

 

「急に茶の湯などと、鳴海にしては珍しいと思うたのじゃ」

 いつもは単純に城へ強制送還しようと、躍起になって追ってくるだけなのに。

 何をきっかけに茶の湯など思い立ったものか。

「恐らくは、それがしが先日ちょっとした思い出話をしてしまったせいでしょうなあ」

「思い出話?」

 怒りに任せて一人先に突き進む丹波の姿は、往来のずっと先で豆粒のように小さく見えるのみ。

 話しかけてもひたすらぶつぶつ言うだけなので、丹波の足並みに合わせることはもう諦めていた。

 内藤がやや歩調を緩めたところで、瑠璃もそれに合わせ、あとからゆるゆると丹波を追うことにしたのである。

「幾年も前のことにはなりましょうが、瑠璃様を初めてそれがしの茶席にお招きしたときのことを……」

「あー……、私が鳴海と大喧嘩した時のことじゃな」

 もう七年は昔の話になる。

 城内のあらゆる物事、しきたり、作法にうんざりしていた頃のことだ。

 小煩い稽古事の師範連中とは異なり、穏やかに迎えてくれる内藤の側は、当時ようやく安住の地を見付けたような心地がしたものである。

 お忍び行動を叱り付ける鳴海との間に立って、庇ってくれることさえあったのを思い出す。

 ある時、瑠璃のあまりの奔放ぶりに鳴海が激怒し、主従ながらに大喧嘩をしたことがあった。

 十日ほども口を利かなかった気がする。

「大谷も瑠璃様も、本当は互いに仲直りをしたいくせに、双方頑固でちぃとも歩み寄ろうとしやがりませんでしたからなぁ」

 呵呵と笑声をあげる内藤に、瑠璃は少々ばつの悪さを禁じ得ない。

 当時、大喧嘩を気に掛けた内藤が、瑠璃を茶席に招いた。

 すわ御説教かと身構えたものだ。

 加えて改まった茶席となれば、内心落ち着かずに縮こまっていたのをよく覚えている。

「あのときは、私もガッチガチに固まっておったじゃろ」

「はははァ、まったく。あの時の強張ったお顔は今以て忘れておりませぬぞ」

 如何に温厚な内藤も、作法を違えては流石に顰蹙するだろうかと、内心びくびくしながら臨席したものだ。

 普段穏やかな人間ほど、怒らせると恐ろしかったりもする。

 呼び出された理由は察していただけに、なかなか本題を切り出さない内藤に対して、余計に懸念を募らせていた。

 身構えるあまりに手を滑らせ、あろうことか振舞われた茶を碗ごと落としてしまったのである。

 ごとりと重い音がして、畳の縁に添って転がる茶碗を呆然と眺めた。

 頭が真っ白になる、というのをあの時初めて味わった気がする。

 その直後に、瑠璃は更に身を小さくして詫びたのだった。

「瑠璃様のお話を引き出そうとお招きしたのが、裏目に出てしまいましたからなぁ」

 そう言って、当時より幾分皺の深くなった内藤は苦笑する。

 粗相に慌てた瑠璃を、内藤が叱ることは無かった。

 寧ろ怪我の有無を真っ先に案じ、衣装の汚れを案じた。

 それから安堵したように莞爾と笑むと、内藤は新たに点て直した茶を勧めて言ったのである。

「作法などは二の次、三の次。まずはそれがしの持成す心を、そのままお受け取り頂きたい」

 その時の内藤の言葉には、胸の内がぽうっと温かくなるような色があった。

「心通わすこと以上に大事な作法などありはせぬ、と申したの」

「ははは、然様なことも申し上げましたなァ」

「あれがあったればこそ、茶の湯だけは好きになれたのじゃ」

「ふむ、それは何よりでございました」

 その後日、瑠璃が亭主となって鳴海を招き、無事に仲直り出来た。

 茶の湯のお陰、というよりは、内藤のお陰だろう。

「それがしが思うに、大谷も何かお伝えしたい事柄があって、茶席を設けようと考えたのではござるまいか」

「……そう、かも知れぬな」

 何としても、と、胴間声で追ってきた姿を思い出す。

 確かに近頃は砲術ばかりに明け暮れて、鳴海との剣稽古に前ほど身が入らなくなっている自覚はあった。

 更には相変わらず城を出歩いてばかりで、鳴海とまともに話をする事も激減している。

「今一度、しっかり向き合うてご覧なされ」

「……ん、そうする」

 何か御説教があるのだとしても、態々瑠璃の好む茶で持て成そうとしてくれたわけだ。

 真に思い遣ってくれているからこその発想だろう。

「……でも、茶器は貸しとうないんじゃな?」

「大谷に貸す茶器はございません」

「ぇわぁ……ドきっぱりじゃな」

 

   ***

 

「だってもくそもないわ、このたわけがぁあァァァ!!」

「いだだだだだだァ!! 髪を放せ、このくそ丹波!」

「くそではないわ、くそ鳴海!!」

「なにをぅ!? ちょっと茶器を拝借しただけではござらんか! 丹波のくせにガタガタ抜かさんで頂きたい!!」

「ハァァァア!? っこーの莫迦たわけが、わしを何だと思うとるか!!?」

「ごごご御家老、ここは何卒穏便に……!」

「えぇい邪魔立て致すな木村の倅! 貴様に用はないわ!!」

 鳴海の髻をがっちり掴み、力任せに左右に揺さぶる丹波。

 それに翻弄されながら、一層憎まれ口を直に叩き付ける鳴海。

 そして二人の死闘に狼狽する銃太郎の姿が、そこにあった。

 北条谷の近隣にも騒ぎは当然筒抜けで、木村家の門前にはちょっとした人だかりが出来ている。

 鳴海だけならいつものことかと無視する者も多いが、今日は家老座上たる丹波までもがお出ましである。

 しかも丹波の攻勢という状況に、家中の子女も気に掛かって仕方がないのだろう。

 人の山は野次こそ飛ばさないものの、恐々と事の成り行きを見守っていた。

「……これは」

 人の垣根と木村家の冠木門の向こう側に見た光景に、瑠璃は思わず隣の内藤を窺う。

「四郎兵衛殿、如何するのじゃ」

 鳴海と丹波の身分から言って、銃太郎に仲裁はなかなか荷が重い。

 この場で間に入れるのは、瑠璃自身か、あるいは隣にいる内藤ぐらいなものだろう。

 しかし、内藤はその光景を前に絶句していた。

「………」

「止めぬのか、四郎兵衛殿」

「えっ!? それがしが止めるの?! っですか?!」

「だってそなた、ちょっと絡んでおるのじゃろ」

 瑠璃も銃太郎も、事の発端に絡んでいるわけではない。

 寧ろ絡まれた側である。

 瑠璃が自ら間に入るより、内藤のような人物が仲裁するほうが丸く収まる。

「モダモダせずに、四郎兵衛殿の本領を発揮してくれぬか」

「えぇー……、それがしも斯様なことで本領発揮しとうございませぬぞ」

「早うしてたもれ、鳴海の首がもげてしまう」

 渋る内藤の背に回り、ぐいぐいと押し出す。

 と、その刹那、銃太郎がこちらに気付いた。

「内藤様ではございませんかっっ!!?」

 救われたとばかりに身を翻し、銃太郎が人山の間隙を縫って駆け寄る。

「瑠璃にはお会いになりましたかっ!?」

「えっ、ああ、こちらにおられるぞ」

 内藤の背に隠れ、銃太郎の視界に入らなかったのだろう。

 ちょろりと顔を覗かせると、顔面蒼白だった銃太郎の顔に色が戻ったようだった。

「? なんじゃ、要望通り報せたぞ?」

「瑠璃、無事だったか……!!」

 銃太郎は、どっと息を吐いて破顔した。

 その後方では今も取っ組み合いの乱闘が続いているのだが、銃太郎はもはやそちらは気にしていないようである。

「無事で良かった、本当に。私はやはり、大谷殿のお覚悟に比すればまだまだ未熟……。すまなかった……!」

「……は? 何の話じゃ」

「もう二度と、側を離れぬと誓う!」

 銃太郎の眼は真っ直ぐにこちらに注がれた。

 その真摯な口振りに、瑠璃も思わずぎくりとして、頬が熱く火照る。

 経緯は知らぬが、志新たにするような何かが、あったらしい。

「そ、そう……か。そなたが言うなら、その、私は構わぬが……」

「……御両人、それがしを挟んで良い雰囲気にならんで頂けますか」

 すると漸く銃太郎も自ら発した言葉を反芻したのか、みるみる頬を紅潮させた。

「こっ、これはとんだ失礼を」

「いや何、それがしは一向構いもせぬが、些かこそばゆいのでな……」

 苦笑する内藤の影から漸く身を出すと、瑠璃は改めて問う。

「私の居らぬ間に、鳴海と何かあったみたいじゃな?」

「ああ、やはり大谷殿は凄い方だ」

「ふぅん?」

「瑠璃の無事のためなら厠も覗くと断言なさった! たとえ罵られようとも主の無事には代えられぬ、と……!」

「………」

「………」

「その凄まじいまでの覚悟には、さすがに感銘を受けずにはいられなかったんだ……!」

 耳を疑うその発言に、瑠璃ばかりか内藤までも暫時放心する。

 が、その直後、瑠璃が丹波に加勢するに至ったことは言うまでもない。

 物言わず憤怒した瑠璃が、鳴海を討ち取りに向かうその背を眺め、内藤と銃太郎の間に奇妙な沈黙が流れた。

「……いやおぬし、銃太郎と申したか? 本人を前にして、それは如何なものかと……。おぬし、厠を覗く気なのか」

「え?」

「……えっ?」

 

 

 今日も北条谷の道場は、青空の下に賑わっている。

 

 

【了(※筆者が飽きました)】

 

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「水鏡」「風に散る」番外短編集 紫乃森統子 @shinomoritoko

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