ファンタスティックなるみ学園☆化学室の怪
私立ファンタスティックなるみ学園。
そこは不思議の宝庫。
その最たるものが、なるみ学園七不思議のその一。
そこは学園の中でも最奥に位置する日陰の教室。
廊下の突き当たりにひっそりと扉を閉ざす教室からは、微かに薬品の匂いが漂う。
わりと頻繁に、扉の内側から奇声と爆音が轟くことで有名な教室である。
但し言っておくが、奇声も爆音も怪奇現象ではない。
どちらも化学の先生の仕業なので、そこはあまり怖がる人もいない。
どんな新入生も、入学から三ヶ月ほど経てば奇声と爆音には慣れっこだ。
だが。
ここ最近、化学室には不穏な噂が流れ初めていた。
元々、学園七不思議として化学室のバーナーが独りでに炎を上げるという有りがちな怪談話がある。
しかし、今生徒たちの間で専ら囁かれるのは、そんな生温い話ではなかった。
***
「あー…木村先生。ちょっといいかね?」
やや青褪めた面持ちで、新任の銃太郎に声をかけてきたのは、学園教頭・丹羽一学である。
なんだかこの人は常に顔色が悪い気がするので、大して重要でない用事で声をかけられるにも、肩叩きに遭う程に肝が縮む。
「な、何でしょう」
「うむ。木村先生はまだ赴任して一月だし、こんな事を言うのは心苦しいのだが……まぁ何だ、とりあえず気の毒なんだが」
と言いつつ、一学教頭はパムンと銃太郎の肩に手を乗せる。
何に苦労しているのかは謎だが、気の毒なのは教頭の頭の毛ではないか。なんてことは、もちろん新米教師の銃太郎には言えるはずもなく。
一体何事かと問うと、一学はいよいよ鬼気迫る表情で切り出した。
「このところ、化学室で生徒たちが行方不明になっている事は、知っておるな?」
「ええ、まあ」
確かに一学教頭の言うように、生徒の失踪事件が相次いでいる。
これがまた妙な話で、失踪した生徒の足取りを辿ると、すべて化学室を最後に消息を絶っているのだ。
当然、全校生徒が震え上がり、化学の授業は一時廃止となっている。
銃太郎が受け持つ3年わんこ組の生徒たちも、どうやら怖がって化学室に近付こうとすらもしていない様子だ。
「鳴海先生も気の毒ですね、この調子では鳴海先生まで怖がる生徒も出てきそうですからねー…」
「そこなのだよ、君!!」
何気なく言った一言に、一学教頭は突然語気を強めた。
「今まで化学室で消息を絶った生徒は、報告を受けているだけでも五人にのぼる…! おかしかろう、木村先生さんよぉ…!」
「はぁ…えっ、何?」
「事件はあの馬鹿なる…ゴホリ、化学の大谷先生が絡んでおるような気がしてならんのだ!」
順当と言えば順当な意見である。
事実、鳴海先生がいつもの爆発にうっかり生徒を巻き込んで「あっちゃー、失敗失敗!」とか言いつつ校庭の隅に埋めてる様が目に浮かぶ。
だがしかし。
「証拠でもあるんですか、教頭先生」
如何に普段が怪しさ満点とは言え、簡単に人を疑うのは良くない。
どうも口振りから察すると、一学教頭は鳴海先生をあまり良く思っていないらしいが、それでも……端から決めてかかるのはどうだろうと思うのだ。
赴任してたった一月余りだが、相手が教頭だろうが学園長だろうが、曲がったことは許せない銃太郎である。
一学教頭も銃太郎の表情からその辺りを汲み取ってくれたのだろう。
張り切り勇んで「ない」と答えた。
だが、同時に一学教頭はニタリと妖しく微笑んだ。
「今日から木村先生には宿直をお願いしますぞ。特に見回りは化学室を念入りに」
「えっ」
「このままでは学園の経営が傾く一方……ここは是非ともお若い木村先生に一肌脱いで頂かねばのう!」
銃太郎はぎょっとした。
そもそも今までこの学園には宿直なんて無かったはずだ。
こいつ、今決めやがった。
絶対、教頭が今決めたに違いない。
「これで手柄を立ーてーれーばー……フフ」
「何ですか気持ち悪い」
「理事長の覚えも目出度かろうのー。理事長のご息女を嫁に貰って、ゆくゆくは学園のトップで左団扇の生活、そしてお嬢様とムヒヒのせいか……」
「お任せください教頭先生!」
「……木村先生もちょろいのぅ。まぁやってくれるのならば良い、早々に事件を解決してくだされよ」
うまうまと乗せられたのは、別に左団扇の生活狙いではない。
後者狙いだった。
理事長・丹羽長国の息女といえば、なるみ学園生徒会長を務める丹羽瑠璃。
学業の成績は社交辞令をもってしても中の上と言ったところだが、他の生徒たちから寄せられる信頼は並大抵ではない。
結構なお嬢様でありながら気取ったところもなく、加えて無鉄砲なところが隔たりを無くしている。そんな生徒だ。
あまりにも無鉄砲過ぎて、彼女もよく化学室で爆発の被害を被っていたりする。
銃太郎の記憶によれば、学園に赴任して一月の間に約十五回は瑠璃を助けている。
性懲りもなく不用意に化学室へ足を運ぶ彼女も彼女なのだが、父親である理事長も理事長だと思う。
大事な娘が幾度も生命の危機に晒されているというのに、何故大谷鳴海(35)を解雇しないのだろう。
「……謎だ」
そして、度々爆撃されながら懲りない瑠璃も、そういう瑠璃を助けるうちに恋をしちゃった自分も―――
「……謎だ!」
そんなこんなで急遽宿直当番を押しつけられてしまった、新米教師木村銃太郎(22)だった。
***
かつーん、かつーん。
足音は、いちいち間延びして響く。
夜の学校は予想以上に肝の縮まる雰囲気を漂わせていた。
長い廊下は、窓から注ぐ微かな月明りを受けて薄ぼんやりと浮き上がる。
規則的に並ぶ教室の扉や小窓の隙間から、何かが覗いているような錯覚も生まれる。
(………帰りたい)
瑠璃とのムヒヒな未来予想図に負けて引き受けた宿直だが、………夜の学校は怖過ぎた。
そもそも赴任したばかりの新参者に宿直という大役を任せるなんて、一学教頭の単なる新人いびりじゃなかろうか。
そんな性格だから禿げるんだ、一学教頭め。
そう考えると、銃太郎はだんだん化学室の事件なんかどうでも良くなってきた。
懐中電灯が丸く照らし出す先に、変な物がいたらとても怖いじゃないか。
それに、消息を絶ったはずの生徒が呻く声が聞こえてきたら怖いし、トイレの鏡に写るはずのない物が写ったら怖い。
何でも良いがとにかく怖い。
「……でーんでーんむーしむっしっ、かーたつっむっりー!」
怖さを鎮めるために歌ってみたが、銃太郎はそこで歌を止めた。
(……おまえの目玉はどこにある―――! 目玉取られる…!?)
超怖い。
その刹那、思わず足を止めてしまった銃太郎の耳に、奇妙な音が入った。
スタッスタン…!
銃太郎の足音が途切れるのと殆ど同時に聞こえ、そしてそれきり奇妙な音も途切れた。
後ろだ。
音は四方に反響して攪拌されたが、銃太郎以外の者の気配は、確実に背後から漂っていた。
(逃げよう…!)
咄嗟に思ったが、ふと前方を見れば、例のどん詰まりの化学室で行き止まり。
よりにもよって、化学室。
前門に化学室、後門にお化けの挟み撃ちだ。
(おっお母さん…!)
元々ヘタレ気質の銃太郎だが、進退極まった今、ヘタレ具合もフルパワーである。
だが、当然お母さんが助けに来てくれるわけもなく、銃太郎は究極の選択を迫られる結果となった。
化学室に逃げ込むか、或いは勇気をもって背後のお化けを倒すか。
だが化学室に入れば、それこそ逃げ道を失うことになる。
じわりと嫌な汗が滲むのを感じながら、銃太郎はほんの少し、後ろを意識してみた。
もしかすると、音も空耳だったかもしれない。
振り向いてみたら案外誰もいなかった、なんてことも有り得る。
恐る恐る、銃太郎は背後へと首を巡らせてみた。
すると、また。
スタッスタン! スタッスタン!
暗闇の支配する廊下の向こうから、あの音が聞こえた。
(やっぱり何かいるぅ―――!!!)
しかも、あちらも銃太郎に存在を気取られたことに気付いたようだ。
スタッスタン! という音は徐々に速度を上げつつ、こちらへ急接近してきた。
「!!!!!」
銃太郎の全身に戦慄が走った。
瞬く間に近付いて来るソレは、外からの明かりに白く照らされて、その動きと音の全容をまざまざと見せつけていた。
(反復横飛びだ―――!!?)
経験した者なら誰もが当然知っている、あの独特の動き。
前へ進めるはずのない動作で、そいつは体の向きを廊下と平行に保ちつつ、迅速に銃太郎へと迫った。
恐怖は薄らいだような、一層増したような、何とも奇妙な心境に陥り、銃太郎はついに反復横飛びに追いつかれてしまった。
追い付いた反復横飛びは、銃太郎の真横に辿り着くや否や、鬼神のような表情でぽつりと囁く。
「イヒヒッ……お母さんだよ」
「人違いです鳴海先生」
白い反復横飛びのお化けは、他でもない、化学の大谷鳴海先生だった。
既に校門も堅く閉ざした時分だというのに、何をしているのかと問えば、鳴海先生からはあまりに意外な答えが帰った。
「瑠璃様の捜索だ」
銃太郎の目が点になった。
瑠璃様の捜索、しかしその瑠璃様は行方不明者名簿には載っていないし、銃太郎も瑠璃とは昼間に一度顔を合わせていた。
尤も、片思いが仇となってろくに口を利けなかったのだが。それでも彼女の視界に入っているというだけで、きゅんと胸が詰まるくらいに幸せだ。我ながら重症、いや重態らしい。
「理事長直々に私に捜索依頼があったのだ。瑠璃様はまだご自宅に戻っておられぬ。故にこうして校内の見回りをしている」
「反復横飛びで、ですか」
「真似をするなよ貴様、商標登録済みだからな」
「あぁ、そう……」
それは扨置き、鳴海先生が一人きりということは、瑠璃もまだ見つかっていないということだ。
まさか、瑠璃が六人目の犠牲者に……と思うと、銃太郎の心中に警鐘が鳴り始めた。
「とにかく、他にも成田才次郎、岡山篤次郎、小沢幾弥や丹羽澪などの生徒も消息不明のままです。不本意ですがここは力を合わせて捜索に当たりましょう…!」
見る限り鳴海先生も不本意らしかったが、やがて二つ返事で了承した。
「校内の見回りはこの化学室で最後だぞ。私の化学捜査によれば、瑠璃様はこの化学室の中におられる」
「……化学捜査?」
随分信憑性が薄い気がするが、鳴海先生の口振りから翻訳すると――
既に他の場所は捜索済みだから、瑠璃様が校舎内にいるとしたら化学室だ。
と、いうことらしい。
二人は閉ざされた化学室の扉を睨むと、そろりと近付いていった。
中に人がいる気配はしないものの、人でない何かがいる気配だけはやたら濃い。
(……よし、待ってなさい瑠璃! 先生今助けに行く…)
「キャッホウ!」
がしゃばりんばぱーん!
鳴海先生が張り切って化学室の扉に体当たりを繰り出した。
引き戸な化学室の扉は無残に内側へ倒し込まれ、鳴海先生はやはり、反復横飛びの要領で自らの縄張りへ飛び込んでいた。
「何やってるんですかあんたぁあああ!!?」
こんな馬鹿に遅れを取ったと嘆くべきか、はたまたその馬鹿の勇気(?)を称えるべきなのか。
唖然とする銃太郎は一瞬思考停止していたが、すぐにかぶりを振って我に帰った。
鳴海先生のあとに続いて化学室に足を踏み入れる。すると、人の気配などなかったはずの室内に、小さなさざ波のようなざわめき声が起こっていることに気付く。
「見ろよー、木村先生、ネクタイの締め方間違ってね?」
「つーか鳴海先生なんか二足歩行間違ってるよ」
「ほんとだー。馬鹿じゃ馬鹿じゃ」
(! ……今の声は)
馬鹿じゃ馬鹿じゃと宣うのは、その口調と声音からして聞き違うはずもない。瑠璃だ。
だが、声はすれども姿はなし。
と、いうことは。
「……瑠璃のお化けっ」
「誰がオバケじゃこの駄犬めっ!」
愕然と立ち尽くした銃太郎の足許から、大いに憤慨した声が喚いた。
恐らく本人は大声で怒鳴っているらしいのだが、銃太郎の耳には虫の鳴くような音量でしか届かない。
声は確実に近いところで起こっているはずなのに――
「下じゃっ! 足許じゃっ!」
「あ…。―――あぁあ!?」
声が訴え掛ける通りに足許を見れば。
確かに瑠璃がいた。
他に同様に行方不明になっていたはずの生徒たちも、一塊になってそこに立っていた。
但し、掌サイズの身長で。
「小っちゃくなってる……!」
身動きでもしていれば、気付かずに踏みつぶしていたに違いない。
銃太郎は慌てて化学室の壁をまさぐり、照明を点けた。
スタッスタン! スタッスタン!
生徒たちがきゃいきゃい騒ぐ横で、鳴海先生は反復横飛びを続行している。
うっかりすると潰されそうなので、銃太郎は生徒を一人ずつ教卓の上へと乗せてやった。
スタッスタン! スタッスタン!
「鳴海先生! いい加減止まってください! 生徒が潰れます!」
下手に扱ったら壊れそうな気がするので、銃太郎も一人ずつそっと両手で拾い上げる。
一番最後に瑠璃へと手を差し延べると、瑠璃もひょいと掌に飛び乗る。
きちんと制服も着ているし、小さい以外は特に変わったところもない。
強いて言うなら手軽に持ち運べる便利さが備わり、可愛さが増したくらいだろう。
「瑠璃、このまま先生のポケットに住まないか…?」
「断る」
「! …ひどいっ」
昔の某ドラマ的展開への期待を容赦なく断ち切られ、銃太郎はしょんぼりと肩を落とした。
それでもとりあえず瑠璃だけ掌に乗せたまま、銃太郎は首を傾げた。
――何故。
そう、何故、小さいのだろう。
内心、こういうのも自分的にアリかな、と思いつつ掌中の瑠璃を眺めていたその時。
「―――イヒヒ」
気配を殺して接近していたらしい鳴海先生の顎が、ヒタリと銃太郎の肩に乗った。
「バレたか」
「何が!? まだ誰も何も言ってませんが鳴海先生…!」
「イヒヒフフ」
度々気味の悪い笑声を上げながら、鳴海先生は自ら事件を語りだした。
「それもこれも、丹波校長の失脚を望む、とある御方よりの命令だ。生徒疾走が相次いだとなれば、学園長が責任を取らざるを得まい」
「学園長の失脚を!? そんな、一体誰がそんなことを企んで…!」
いや、その前に生徒たちを小さくした犯人、即ち生徒疾走事件の犯人は、やはり鳴海先生だったっぽい。
「よもや瑠璃様までが私の罠に引っ掛かろうとは、思いもよりませんでしたがな。イッヒッヒ」
実にどうでも良いのだが、鳴海が喋るたびに肩の上で顎骨がゴリゴリして痛い。
「やっぱり鳴海の仕業だったのか! やいやい元に戻せ! さもなくば学園長より先にそなたをクビにするぞ!」
「しかし瑠璃様、この新米わんこ先生は小さな瑠璃様のほうがお好みのようですぞ」
ぎくり。
と、銃太郎は硬直した。何故にそんなところばかり目敏く見抜くのか、甚だ迷惑な事である。
「い、いやあの、そんなことよりも鳴海先生様。詳しいお話は後から伺うとして、生徒たちを元に戻さなければ……」
「おぉ? 元に戻して後悔しないのか?」
「ななな鳴海っ! 早う戻せっ、このままでは木村先生のポケットに監禁されかねぬ! いやじゃ、何か骨っこジャーキーみたいなものと一緒にポケットに仕舞われるのはっ……絶対いやじゃああああ!!」
瑠璃様ご乱心。
銃太郎のポケット発言が余程恐ろしかったらしい。
肩に乗る鳴海先生に向かって、必死の嘆願を繰り返す様は、銃太郎に失恋めいた哀愁を感じさせた。
「しかしですな、瑠璃様。私も命令に忠実に従うべく、解毒剤は持っておりません」
「! なっなんじゃとー!? じゃああれか、私は一生このまま…!?」
「ご安心召されよ、この鳴海先生が白衣の内側に瑠璃様のお住まいを……」
ぱさり、と鳴海先生が白衣を広げる気配がした。
「ぉぎゃ…!」
羽ばたくような鳴海先生の白衣がはためくと、今や小人と化した生徒たちが各々悲鳴を上げた。
無論、銃太郎の掌中にある瑠璃も同様。
「解毒剤が無いだなんて、鳴海先生! あんたが仕掛けた毒なら、解毒剤も作れるはずでは…!」
掌の瑠璃はじめ、教卓の上の集団の悲嘆につまされて、銃太郎も何となく生徒の味方にまわる。
瑠璃はこのままでも良いかな、とは思う。
が。実際ほかの生徒は元に戻さなければならないだろう。
だが次に飛び出す鳴海先生の一言に、場は一層混乱することになったのだ。
「解毒剤は作れないぞ。なぜなら魔法は愛する人のキッスでなければ解けないからだフヒヒヒ!」
「きききキッス!? ブフォッ! あわわしまった鼻血…!」
とっさに鼻を押さえたものの、うっかり脳裏をよぎった片思いの成就シーンは、銃太郎には強烈過ぎた。
ぼたぼた滴る血の玉が、瑠璃の肩を掠めてびたりと落下した。
「ヒィ!! ……そ、そなたには死んでも頼まぬ! 鼻血を仕舞え、うつけが!」
「がぁん!!」
止めを刺してプイとそっぽを向いてしまった瑠璃は、銃太郎の手から教卓へと助走を付けて飛び移る。
言われたままを額面通りに受け取れば、つまり銃太郎に頼むくらいなら死んだほうがましだ、ということだ。
(では、誰なら良いって言うんだ……)
まさか鳴海先生の白衣の内側に定住しようとでも言うのだろうか。
疑心暗鬼になる銃太郎の肩で、鳴海先生がイヒヒと笑う。
一方、魔の手を逃れた瑠璃は、教卓の縁にしがみついていた。
「どうでも良いが、ここから降りるのも難しそうじゃなぁ…」
「なぁよ、このバーナー落としたら降りられるんじゃねーか?」
ふと掛けられた声の主は、小沢幾弥。
自分の体の半分以上もあろうかという、実験用バーナーを抱えている。
「こいつを木村先生の足の上に落としたら、痛さで屈むだろ? そしたら木村先生の背中を滑り台にして降りようぜー」
幾弥の提案に瑠璃は暫時考え込むが、がつりと目の前に置かれたバーナーを見やる。
と、ふむ、と一つ頷いた。
「じゃあこれを落としてみよう。兎も角あの二人のおらぬ場所で解決策を練らなければ……小さいままでは家にも帰れぬ!」
「そうですよ! この事態を引き起こした鳴海先生が頼りにならない今、何とか私たちの力だけで元に戻らなければなりませんわ!」
やけに力んで口を挟むのは、やっぱり手のひらサイズに小さくなっている澪。
ね! と同意を求めるように幾弥を見る澪。
「だよな。それとついでに学園長失脚を画策した黒幕も暴かねぇと」
実に冷静な幾弥に、澪は賞賛を上げて尚且つ拍手を送る。
確かに学園長失脚を企む張本人を引っ張り出さない事には、またいつ鳴海先生が変な罠を仕掛けるか分からない。
「丹波校長の失脚、か……」
学園長丹羽丹波を疎んじ、さらにあの孤高の爆発魔(鳴海先生)を意のままに飼い慣らす存在。
そんな人物が果たして学園内部にいただろうか。
「えぇい、奈落に墜ちよバーナー!」
「あれ、ちょ、幾弥! そなたちゃんと足指を狙って落としてたもれ!」
「わぁーってるっつの」
面倒くさそうに返答する幾弥だが、その時バーナーは見事に木村先生の足へと墜落を遂げていた。
「ぎゃいん!!?」
蹴飛ばされた犬のような、ちょっとした悲鳴が上がると、幾弥はニマリと微笑み、「な?」と一言。
幾弥とバーナーの見事な連携により、木村先生は都合良く背中を丸めてしゃがみ込んで下さった。
「ではまず私が滑り降りますわ! 皆様続いて下さいまし!」
「ばっか、一人じゃ危ねーぞ、おまえ」
「い、幾弥先輩……でも……」
学年は同じはずなのだが。
澪の中で、幾弥は先輩として定義されているらしかった。
学園随一の不良(多分)の幾弥と、生徒会書記を務める澪とではかなり不釣合いな気もするのだが、二人は恋仲なのだそうだ。
急に甘酸っぱい雰囲気が漂い、暫し二人共にもじもじしていたかと思うと、幾弥が澪をさっと抱きかかえ、教卓の縁からダイブした。
「………」
「………」
「………」
残された瑠璃と篤次郎と、才次郎。
暫しの沈黙の後で、才次郎がぱっと明るい声を上げた。
「そっか! そうだよな、元に戻るのなんて簡単じゃんか」
「簡単!? な、何じゃ、どうすれば元に戻れるのじゃ!?」
瑠璃が食らいつくように才次郎を凝視すると、才次郎はキラリと流し目で返してくる。
「愛する人のキッス、だろ??」
「…………はっ!」
そうか、と瑠璃は息を呑んだ。
「澪と幾弥は互いに戻れるということじゃな!?」
「そう、俺と瑠璃も、そして篤次郎は木村先生からのキッスでばっちりじゃん」
「!?」
いや、そこは少し違う気がする。
そんな突っ込みをすべきか悩んだ、その時――
ぼぼん。
と奇妙な効果音が起こった。
「あら? 元に戻りましたわね」
「なんか戻ったな……」
どうやら鳴海先生の嫌がらせのような魔法が解けたらしい。
一拍遅れて蛙が脱腸になったような呻き声がしたが、それは急に元のサイズに戻った澪と幾弥によって銃太郎が下敷きになった音である。
「ばばっ馬鹿者ーっ! 踏んだり蹴ったり振られたりっ、先生可哀想だと思わないのか!? 澪も幾弥も早くどきなさい! 先生は見た目より打たれ弱いんだぞっ…!?」
どっかりと背中にのし掛かる生徒二人分の重みを受けながら、銃太郎は渾身で起き上がる。
すると二人も渋々背中からどいたのだが、銃太郎には目もくれず、真っ先に教卓上の小さな瑠璃たちへと駆け寄る。
「おいお前ら! やっぱりキッスだ! 呪いみたいな嫌がらせみたいな毒のような鳴海先生の魔法を解くには、キッスだ…!」
「さ、皆様も早くっ! ほっぺにちゅうで戻れましたわっ…!」
澪のこの発言で、教卓上はにわかにざわめき、銃太郎の胸中も静かに漣を立てた。
(ほっぺにちゅう……!!!)
ということは、元に戻ったこの二人。人の背中でほっぺにちゅうをしていたことになる。なんか腹が立つ。
銃太郎はそろりと教卓に近付き、おもむろに瑠璃へと手を伸ばす。
「そういう事なら、先生はやっぱり譲れません…!」
「!! 何がじゃ、このくそ戯け! 引っ込め下郎!」
「なっ…ぁに言ってんだよ木村先生! あんたの相手はこっちだろ、こいつのほっぺにちゅうしろよ…!」
瑠璃を鷲掴みしようと手を伸ばした銃太郎に、幾弥が慌てて篤次郎を引っ掴み、ずずいと眼前に押しつけた。
「!? 嫌だ、私にソッチの気はないっ!」
「いいからホレホレ、いざゆけ篤次郎っ!!」
訳の分からん幾弥の横槍に半泣きな銃太郎。その唇に向けて、容赦なくミニ篤次郎のほっぺを突きつけた幾弥。
例の如く、ぼぼんと音を立てて規定サイズに戻った篤次郎。
「うわぁあん!! 覚えてろ幾弥! こんなことさせてっ! 先生は怒ると案外怖いんだからなー!」
「木村先生酷いっ! そんな、そんな嫌がらなくても……!」
「あーあ、どうすんの木村先生。篤次郎泣かせた~」
「えっいやあの…え? え?!」
ぎゅうとしがみついてくる篤次郎に、銃太郎は軽く衝撃と戸惑いを覚えた。
そんな隙を突いたかのように、賺さず澪が指令を出す。
「さあ才次郎、今よ、瑠璃様のほっぺにちゅうを…!」
「お、おう」
「嫌ァ―――ッ!! 先生の初恋なんだぞ応援してくれたって良いだろうバカぁ―――!!」
「まじかよ!? 初恋遅っ!!」
とりあえず知らぬ間に才次郎&瑠璃ペアで確定したらしいので、瑠璃も文句を言わずに才次郎にほっぺを差し出す。
「うわぁああん瑠璃のばかぁ―――!!」
木村先生、今日最大の絶叫。
次の瞬間、再び「ぼぼん」と奇妙な音が響いた。
「………」
「………」
「……?」
「あれ?」
「あ、俺元に戻ったー……」
瑠璃と互いにほっぺにちゅうで、元に戻った才次郎。
が、しかし。
「何で瑠璃だけ戻んねーの!?」
「そら見ろ! 才次郎では愛が足りないんだ、愛がっ! だから初めから先生に任せ……」
「いいえっ! ここはやっぱり、瑠璃様ご自身が思いを寄せる殿方からの接吻でなければ解けないのかもしれませんわ」
深刻な顔で分析を試みる澪に、一同は深く頷く。
発言途中で遮られちゃった銃太郎の顔など、誰も見向きもしない。
何か無視されているようで寂しいが、これで才次郎も事実上振られた事になるので、銃太郎も何とか溜飲を下げる。
「イヒヒヒヒヒヒ!!」
その頃、教室の片隅では、いつの間にか再開していた鳴海先生の反復横飛びが、ついに最速に達しようとしていた――。
「とぉうぉおおおおおああぁぉぉん!!」
「―――!!?」
銃太郎の鼻先に白衣の裾をかすめて、鳴海先生が反復横飛びのまま、教卓へ突っ込んだ。
「瑠璃様はこのまま理事長へお届けする! そして理事長の御前にて瑠璃様へ解毒キッスを差し上げれば、この大谷鳴海が誉れ高き学園長の座にィイ……! くそ丹波なんか左遷してやるイヒヒヒヒ!!」
爆風の如く疾走する鳴海先生の突拍子のなさに、一同唖然。
ただ一人、鳴海先生の手にぎゅむぎゅむ握り締められた瑠璃だけが、全ての真犯人に気付いた。
「丹波校長失脚を望む輩とは、まさか、それもそなたか鳴海ぃぃいい!!?」
「あっバレたか!」
「バレるも何も!!」
***
――後日、理事長の眼前で瑠璃に解毒キッスをしたが為にボコボコにされたらしい鳴海先生の姿があった。
しかも鳴海の解毒キッスも効果はなく、一時は焦った丹羽家の面々だったが、翌朝、何事もなかったかのように瑠璃は元のサイズに戻っていたという。
因みに、丹波学園長は今日も元気に学園長の椅子で仰け反りながら回転している。
・終わってみます・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます