【水鏡短編】元治二年のバレンタイン

 

 

「うーん、あれもいいし、これもなかなか……」

 元治二年二月十四日、伊織は菓子屋の店先で一人唸っていた。

 新選組隊士に甘い菓子を配るためである。

 一人一人に配るとなるとそれなりの出費になるが、それでもたまには現代での慣れた行事を思い出してみたくなるのである。

 二月十四日といえば、バレンタインデー。

 現代日本ではごく当たり前だった行事も、この幕末の日本には存在しない。

 当然、チョコレートも手に入らない。

 が、ここは機転を利かせて和菓子を贈ることにしたのである。

「すいませーん、この干菓子とあっちの水羊羹を二十個ずつと、それから金平糖をこの笊に一杯……」

「へぇへぇ、ただいま」

「あっ、あと向こうの麦こがしも!」

 次々と注文していけば、店子はせっせと菓子を包んでいく。

 素朴で愛らしい顔立ちをした店子は、手を休めずに伊織に笑いかけた。

「高宮はん、今日はまたえらい買い込みようやなぁ。新選組でなんかありますのんか?」

「いやぁ、だって今日はバレンタインデーだからね!」

「ばれんたいん?」

「年に一度、女子が好いた殿御へ甘い菓子を贈って好きって気持ちを伝える日です。あ、でも異国では殿御から女子へ菓子を贈る場合あるんですよ」

 相手がまだ年若い女子だからか、伊織は隠すことなく適当に説明する。

「へぇー、高宮はんて新選組にいてはるのに、よう異国のことまで知ったはりますなぁ」

「あはは、まぁね」

「高宮はんから菓子貰う娘ぉは幸せやねぇ」

 ほうっと溜め息を吐いて言い、店子はどっさりと買い物の包みを伊織に手渡す。

 そこで伊織はふと思い立ち、受け取ったばかりの包みを漁る。

「ああ、そうそう。ちょっと待って下さいね」

 女子から女子にバレンタインの菓子を渡すのも少し妙かもしれないが、それもまた良いかと、伊織は包みの中から桃色の干菓子を取り出した。

「私からバレンタインのお菓子です。特別ですよ?」

「えっ? わぁ、うちが貰てええの?」

「勿論。あなたにはいつも沖田さんともどもお世話になってますからね。特別で……」

 調子の良い文句を言い終える直前、伊織は背後から何者かにがっしりと両肩を押し掴まれた。

「!?」

「たっ高宮はんっ! 後ろ!」

 上機嫌だった店子も異変に気付き、見る間に青褪めていた。

(しまった…! こんなところに刺客…!?)

 ざっと血の気が引くのを感じ、背後の人物の出方を窺う。

 と、耳元で低く威圧的な声が告げた。

「二月十四日は、何をする日と申した」

「は!?」

 途端、伊織は眉を跳ね上げた。

 どうやら少しばかり毛色の違う刺客のようだ。

 こちらを新選組隊士として狙ってきたわけではないらしい。

 ならば、と、伊織は恐る恐る背後を振り返った。

「ぎゅわ!!? さっさささささ佐々木…!!」

 そこに立っていたのは、刺客でも何でもない、見廻組の佐々木只三郎であった。

 いつもの厳めしい顔を更に険しくして、佐々木は尚も具体的に問う。

「二月十四日は、おなごが誰に菓子を贈る日なのだ?」

「さてはあんた、しっかり聞いてて質問してますね……?」


   ***


 買い物を終え、伊織は大量の菓子の包みを抱えながら、屯所への帰り道を急ぐ。

 が、しかし。

 佐々木は店を出ても去っていこうとはせず、ぴったりと伊織の後をついてくる。

 この日に限って、一番厄介な人物に遭遇してしまったものだ。

 間違いなく、店子との会話を聞かれていたとは思うが、生憎佐々木の分までは購入していない。

(とは言っても、蒔田さんの分だけは買っといたんだけどね)

 極力佐々木と距離を置いて歩くように、かなりの早足で歩いているのだが、如何せん伊織と佐々木とでは身長も足の長さも違いすぎる。

 佐々木は難なく伊織の傍を歩き続けていた。

「伊織、その菓子はおまえの好いた男にくれてやるつもりなのか?」

「これは違いますよ。バレンタインのお菓子には二種類ありましてね。本当に好きな相手に贈る菓子は『本命』。それ以外の単なる親しい間柄の異性に贈る菓子は『義理』と言うんです」

 これは全て、義理として皆に配るものだ。

 端的にそう説明して聞かせると、佐々木は小走りに伊織の左隣に並ぶ。

「義理、だと? 何を申す。その中にはおまえの本命とやらもこっそり含まれておるのだろう」

「ありませんよ。全部義理です」

「いいや、一つだけ本命があるはずだ! 一見、義理と見せかけて本命にはちょっとした差をつける……、そういう常套手段であろう!」

「あんた、どこでそんな知識仕入れてくるんだよ。……っていうか、本命なんてないっての」

 適当にあしらいながら、そのうち佐々木が諦めてくれることを願いつつ帰路を急いだ。

 が、佐々木はついに屯所にまでくっついて来たのであった。


   ***


 買い込んで来た大量の菓子を、一人分ずつ小分けにしていく。

 これを懐紙で包んで、梅の花を添えれば出来上がりだ。

「やはりこの中に本命が……」

「うっせーよおっさん。ねえって言ってんだろが」

 土方のいる副長室では秘密の作業も出来る道理がなく、伊織は仕方なしに、誰もいない賄い場でこっそり準備に取り掛かっていた。

 だが、そこにもやはり佐々木はくっついて来ていた。

 何度追い払おうとしても、佐々木はあるはずもない本命菓子を執拗に気にして、必死にしがみついて来るのである。

「よもや、この私に隠れて土方や沖田なぞに本命の菓子を渡すつもりではなかろうな!?」

 うろうろと背後から伊織の手許を覗き込み、佐々木は幾度も似たような質問を繰り返す。

 いい加減、鬱陶しくもなるというものだ。

「ちょっと佐々木さん、本当に邪魔なんですけど……」

「しかし! しかし、ここまで知った以上は、おまえの本命というのが誰なのか……。気になって仕方がない!」

「だから本命はいないって言ってますよね、さっきから!? 終いにゃぶん殴りますよ!?」

 穏便にお引取り願って聞くような相手ではない。

 それは重々承知なのだが、あまり騒ぎ立てると折角秘密で用意した贈り物が、他の隊士の知れるところとなってしまう。

 伊織はじっと佐々木をねめつけた。

 が、佐々木は怯むどころか、まじまじと伊織を見詰め返してくる。

 睨み合いは拮抗し、程なく伊織の大きな溜息で収束を見た。

(だめだ……睨んでも効きそうにない)

 というか、伊織の睥睨を変な方向に解釈されてしまっても困りものだ。

 睨むという行為を、熱く見詰めているものだと誤解されてしまう可能性がある。そしてその可能性は、残念ながら非常に高い。

 伊織が漸く視線を外し、たっぷり青々とした吐息を漏らす。

「ああもう……。間違っても本命は佐々木さんじゃありませんから、どうぞご心配なく」

「んなっ…! 何を馬鹿な……!」

 馬鹿はどちらだ。

 という突っ込みを入れようかと思ったが、これ以上相手にすることこそ愚の骨頂。

 佐々木の邪魔は最早無視に徹することとし、手許に広げた菓子に視線を戻した。

「うーん。確かに義理は義理でも、それだけじゃ何だし……。くじ付きとかにしてみようかな。当たりが出たらもう一個! みたいな。あっはっは」

 こういう作業に興じている時は、やはり自分の女子らしい一面を思い知る。

 平素男装して武士のように振舞っていても、やっぱり中身はまだまだ現代の高校生なのだ。

 佐々木の邪魔を掻い潜り、伊織はやがて人数分の菓子を包み終えた。

「さて、出来た! あとはこれを配り歩くだけ……」

 と、伊織は包みの数の最終確認を行う。

「えーと、土方さんと近藤局長、沖田さんに、こっちが監察のみんなの分……と。あっ、あとこれが蒔田さんの分で……」

 ひぃふぅみぃ、と声に出して数えつつ、伊織はその数に不足のないことを確認する。

 が。

「なっ…!? 今何と申した! 蒔田の分だと申したか!?」

「は? ……ああ、だって蒔田さんにはいつも親切にしてもらってますから」

 彼の分まで用意するのは、伊織にとっては何も不思議なことではない。

 佐々木は尚も何か言いたげな様子だったが、伊織は歯牙にもかけずそそくさと賄い場を後にした。


   ***


「ああ? 何だと?」

 盛大にしかめっ面をした土方が、さも不機嫌そうに訊き返した。

「もー。ちゃんと人の話聞いて下さいよ。バレンタインです、バレンタイン!」

「またおめぇのろくでもねぇ思い付きか!」

「ろくでもねぇって何ですか、人聞きの悪い!」

 これまでにも父の日、誕生日などなど、様々な理由で様々なものを贈られた土方は、伊織のこういう行動に関して異常に警戒している節がある。

 確かに過去、誕生日の贈り物として佐々木を進呈しようとした前科はあるが、何もそこまで嫌そうな顔をしなくても良いのに……。

 心外に思う伊織を前にして、土方は今にも逃走しそうな態勢でこちらを窺っている。

「バレンタインというのはですね、本来は女子から、好いた殿方に甘い菓子を贈る行事なんですけど。今日は特別に――」

「待て待て待て待て! どんなもんか知らねェが、俺ぁ断固拒否する!」

 大袈裟なほどに後退りしながら、土方は必死の抵抗を見せる。

 単に菓子を差し出そうとしているだけなのに。

 頗る心外だ。

「そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ。今日のはホントにお菓子だけですし、それに土方さんだけじゃなく、他の隊士にも配りますから」

「……そいつは本当だろうな」

「え? やだな~、疑ってるんですか?」

「疑いたくもならぁ」

 怪訝たっぷりの面持ちで、土方はちらちらと伊織の顔とその背後を見比べる。

 当然の如く、佐々木は伊織のあとをついてきていた。

「土方君……。あくまでお主は義理だ! 本命の座は譲らぬぞ…!」

 などと、土方には解せぬことをひたすらぶつぶつ呟いている。

 背後斜め上から注いでくる佐々木の声音を遮るように、伊織は元気よく小さな包みを土方へ差し出す。

「はい! どうぞ! 当たりが出たらもう一個ですよ!」

 懐紙の縁をぎざぎざに飾り切りし、ちょっとした縒り紐を結んだ、丸い包み。

 それはとても小振りで、伊織の両手にすっぽりと納まっていた。

 土方はそれでも執拗に警戒して、暫くじろじろと包みを眺め回していたが、やがて危険のなさそうなことを確認すると、恐る恐る包みを受け取った。

 しっかりと包みが土方の手に渡るのを見届けると、伊織はにんまり破顔して踵を返す。

 ついでにその背後にぴたりと引っ付く亡霊のようなものも、伊織の動きに合わせて副長室を出ていく。

 土方がほっと息を吐いたその刹那。

 背後霊のように伊織に纏わりつくそれが振り返り、ぼそりと言い残した。

「ぬぅぅ……許さん、許さんぞ土方君……」

「ななななんでだよ! 俺ァどうすりゃいいんだよ!?」

 やはり受け取るべきではなかった、と土方が後悔したのは言うまでもない。


   ***


 その後も、沖田や近藤、尾形に斎藤と、伊織は見付けた順に片っ端から菓子を配り歩いた。

 無類の菓子好きの沖田はともかく、それぞれがそれぞれに喜んでくれた様子であった。

 屯所外に出て直接渡しに出向いた蒔田も、やはり佐々木を気味悪がりながらも喜んで受け取ってくれたことだし、やはり笑顔が見られるというのは嬉しいものだ。

 何かに託けて大きなものを贈るよりも、こういうちょっとしたもののほうが比較的喜ばれるらしい。

 ただ、唯一顰蹙された事と言えば、背後霊のような佐々木の存在だけだ。

 伊織が菓子を渡した去り際に、ぽつりと不気味な呪いの言葉を吐いていくので、そこはかとなく後味の悪さを感じる。

「さーて、じゃあ後は、当り籤を引いた人に最後の一個を渡して終わりかな」

 手許に残った最後の包みを確認し、懐に仕舞い込むと、伊織は意気揚々と帰り道を行く。

 が、もうすぐ屯所に着くというその瞬間に、肩を後ろからがっしりと掴まれた。

「待て!」

「はっ?」

「それが最後か!?」

 今まで黙って後をついてくるだけだった佐々木が、妙に怖い顔で問う。

 ちょっぴり青ざめた厳めしい面構えは、彼が切羽詰まっていることを如実に表していた。

 たかがおひねりの一つや二つ、貰おうと貰うまいと、大した問題ではないような気もするのだが。

 そもそも、今回の主旨は『日頃の感謝を込めて』の、ちょっとした贈り物だ。

(正直、佐々木さんにはあまり感謝してない――って言ったらさすがに怒るよね……)

 よもや単純に菓子が欲しいだけ、とは考え難い。

 一応、予備の菓子は取り置いて、懐の中にある。

 だがそれは、こっそり当り籤付きにしたおひねりの引き換え分。

 予備を佐々木にくれてやれば黙らせることも出来るだろうが、そうすると当り籤を引いた人に申し訳ない。

 当り籤が誰の手に渡ったか、というのも、伊織は確認していなかった。

(って言っても、当り籤を引いたからって律儀に申し出てくれる人がいるとも大して思えないけど)

 事実、土方を筆頭に新選組の面々は伊織のこうした行動に呆れているような反応をするものだ。近藤や沖田のように、心から喜んでくれる面子もいるが、それは実に稀有なことと言える。

 佐々木は伊織の両肩を掴まえたまま、大真面目な顔で返答を待つ。

(呆れられるのもアレだけど、ここまで真剣に要求されるのも嫌なもんだな……)

 仕方がない、と伊織は一つ吐息してから、もう一度懐に手を滑り込ませる。

「ったく、本当はこれ、佐々木さんの分じゃないんですからね?」

 最後の一つを手に乗せて、すっと佐々木の鼻先に突き出す。

 すると、それまで鬼のように強張っていた佐々木の顔が、瞬時に驚きと歓喜の表情に変化した。

「こ、これは……おまえ、まさか!!」

 ごくりと固唾を呑む音が、伊織の耳にまで届く。

「なんですか。言っときますけど義理ですよ、これも」

「懐から取り出した、最後の一つ……これは、やはり……」

「予備です義理ですそれ以外の何ものでもないです!!」

「その慌てて否定する様子……フフ」

「フフ、じゃねぇ」

 気持ち悪くほくそ笑む佐々木。

 手に負えない。

 やはり佐々木にくれてやるのは間違いだった。と、その手を引っ込めようとした刹那、佐々木は素早く最後の一つを引っ手繰る。

「……誤解すんなら返してください」

 げんなりと肩を落としながら言ってみるが、佐々木は全く聞いていないようだ。

 菓子の包みを胸元でしっかりと抱き締め、きらきらした視線を寄越している。

「照れ屋のおまえが最後の最後に勇気を振り絞って差し出した一つ……これこそ、本め――」

「だからもう返せよ」

「いいや、おまえの想い、この佐々木只三郎がしかと受け取ったぞ! この返礼は必ずやおまえの期待に沿うものにしよう!! そうだ、早い方が良かろう。よし、明日にでも! フフフ……ぬふぁははは!!」

「………」

 最早言い返す気にもなれず、伊織は躍るような足取りで帰って行く佐々木を茫然と見送っていた。


   ***


「おい」

 どっと疲れて屯所の中へ入った伊織を呼び止めたのは、土方だった。

「あー、土方さん。なにか?」

 げっそりしながら振り返ると、土方の手には、伊織が手渡した菓子の包み。

 そして、呼び止めた土方の声はやや潜められており、辺りに人の気配がないことを確認するように、ちらちらと視線が動いている。

(まさか……)

「当り籤引いたら、何かあるのか?」

「まさか、土方さん……」

 伊織の顔面からさっと血の気が引く。

 そんな伊織の目の前で、土方はぴらりと桜色に染めた半紙を取り出して見せた。

 淡い色の半紙に、でかでかと「当り」の字。

 間違いない。伊織が一つだけこっそりと忍ばせておいた当り籤だ。

 それが土方の手にある。

 それだけならば充分にあり得ることだが、伊織を驚かせたのはそんなことではない。あの土方が、当り籤を自己申告してきたことだ。

「そ、それは紛れも無く、当り籤……!」

「ああ? 俺が当てちゃあ何か不都合でもあんのか」

「いえ、そういうわけでは」

 当りが出たらもう一個。

 そう高らかに宣言していた以上、何もなしというわけにもいかない。

 伊織は咄嗟に代替案を捻り出した。

「おっおめでとうございます! 当り籤を引いたあなたに、素敵な景品が送られます!!」

 思わず大袈裟すぎる身振りで祝いの言葉を叫ぶと、土方はぎょっとして一歩後ずさった。

「景品は、えーとえーとえーと……。っそうだ! 明日一日私がお菓子食べ放題旅行にご招待します!!」

「……えーと、っておめぇ、今考えただろう。んな景品なら俺ァ辞退する」

「いや、そう仰らず! さもないと別な景品に変更しますよ、いいんですか土方さん?」

「おい待て、別な景品って何だ」

「それは佐々……」

「!!? わ、分かった!! 明日一日招待されてやる!!」

 伊織が一言発するごとに土方が蒼褪めていく。

「うふふ……賢明な御判断です……」


     ***


 翌日。

「どういうことだ沖田ァァアアアア!!? わっ私は伊織の想いに応えるべく、こうして荷車一杯の結納の品をだなぁああ!!?」

「ですから佐々木さん落ち着いて!!!」

「なのに伊織がおらぬとはどういう事だ!!? さては沖田! 貴様、今更惜しくなって伊織を隠しておるのだろう!!?」

「だから違いますって!! 高宮さんは、今日一日、土方さんと一緒にお出掛けしてるんですよ!!」

「ぬぁんだとぉぉう!? ひぃじぃかぁ…たァアア!?」

 屯所の門前で、いつになく殺気立った佐々木と、それを必死で食い止めようとする沖田の構図があった。

 その図を遠く離れた塀の影から、こっそり窺う伊織と土方。

 こうなることが予測出来なかったわけではない。

「まさかとは思うが……、おめぇ、昨日言ってた別な景品ってぇのは、あれのことじゃあねぇだろうな」

「いえ、どうしても辞退すると言っていたら、土方さんは今頃、佐々木さんと結納を……」

 答えた途端、伊織の背後から刺すような殺気が立ち上る。

 と同時にすぐ傍で鯉口を切る音がして、伊織は慌てて土方を振り返った。

「すいませんすいません、本っ当にすんませんっした…!」

「……てめぇは性懲りもなく変な気ィ回すから、いつもいつもこういう事態にだなぁ?」

「は、反省してますんで、とりあえず刀の柄、放しましょうよ」

「大体てめぇが佐々木に隙を見せ過ぎるからこうなるんだろうが。ちったぁ隊士としての自覚を持ちやがれ」

「す、すいません……」

 ゆらゆらと立ち上る怒気が見えた気がして、伊織は素直に詫びる。

「でも今回は土方さんを生贄にしなかったわけですし、もう許してやってくださいよ……」

 門前の佐々木も恐ろしいが、ここにも別な意味で恐ろしいのが居る。

 少々涙目になりつつ許しを乞うと、土方は諦めたように重い溜め息を吐き、刀の柄を放した。

「やれやれ……。とりあえずここは沖田に任せるとして、そろそろ行くか」

 すっと踵を返して足を踏み出した土方に、伊織は目を丸くする。

 てっきりもっと絞られるかと思ったのだが。

「え、ちょっと、土方さん?」

 思わず呼び止めると、土方は首だけを巡らせて振り向く。

「屯所に戻れねぇんじゃ話にならねぇ。今日一日、巡察も兼ねて付き合ってやる」

 ぶっきら棒に言い捨てると、土方は伊織が追いつくのも待たずにさっさと歩き出してしまう。

「え、ちょ、ちょっと待って下さいよー!」

 その少し不機嫌そうな背中を追い掛けて、伊織もまたその場を離れた。

 屯所の方向からは未だに佐々木と沖田の熾烈な応酬が聞こえてくるが、沖田にはそっと胸の中で詫びるに留め、土方に話しかける。

「じゃあ今日はぜんざいでも食べに行きませんかー?」

「調子に乗るんじゃねぇ。甘ったりぃのはもう懲りた」

 

 その後、屯所の門前では日が暮れるまで佐々木の声が轟いていたという。

 

【了】

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