【風に散る短編】闇討ちのその先に

 

 

 本丸の廊下を荒々しく踏み鳴らす、幾つもの足音。

 慶応三年、晩秋を迎えたこの日、城内には右往左往する重臣が数名。

 そして、その重臣たちに発破をかけられて、慌てふためく家中で溢れ返っていた。

「姫様が消えた!! 皆、早くお探しするのだ!」

「ああ、一学殿! 姫はまだ見つかりませんか!?」

 総じて指示を出す家老、丹羽一学の元に、郡代見習いであり、一学の相方とも呼べる新十郎が駆け戻った。

「まだ何処にもお姿を見つけられぬ。またしても姫様の勝手なお忍びだ……」

 二本松藩主の長女、瑠璃が突如姿を消すのは、もう毎度の事である。

 何をどう間違って育ったのか、深窓の姫君らしからぬ行動は、日を追う毎に著しくなるばかり。

 どうせまた城下で好き勝手に遊び回っているのだろうとは思うのだが、それでもやはり、一応姫君。

 一学としても、万が一にも瑠璃に何事かあれば、と考えると、手を差し向けないわけにはいかなった。

 肩を落として、ぐったりと項垂れる一学の背を、新十郎はただ一度ぽんと叩いた。

「姫様のことですからねえ、きっとご無事ですよ。きっとまた城下で、冬の新作和菓子でも嗜んでおられるのでしょう」

「……その度に気苦労を背負わされるのでは堪らんわい」

 恨めしげに上目に見るも、新十郎は至って爽快な笑顔を湛え、心配する素振りはあまりない様子。

 どういうわけだか形振り構わず、剣術だの馬だの、男勝りな事ばかりを好む瑠璃には、一学も辟易していた。

「まったく……姫様が城から消えぬ日は一日もないように思えてならん」

「まあ、実際そうですなあ」

 現実に、瑠璃は毎日のように家臣の目を盗んでは街中へ繰り出すという、いわばお忍びの常習犯である。

「大体、大谷は何をしておるのだ! 姫様のお忍びは、あやつが姫様に武芸の指南を始めた頃からではなかったか!?」

 ええい、と一学は忌々しげに呻いた。

 と、その傍らで。

「おやおや、一学殿に新十郎殿。何やら騒々しい様子ですが、何か火急の件でもおありですか」

 一学と新十郎の、その目前に。

 飄々と現れたるは、瑠璃に最も近い男、大谷鳴海であった。

「何かではないわ、このバカンダラ! 姫様がこのように毎日毎日飽きもせず城を抜け出すのは、ぬしのせいぞ!!」

 鬱憤も溜まりに溜まった一学は、鳴海を目にするや否や、刺々しく責め立てた。

 すると。

 話に加わった当初とは打って変わって、鳴海の顔からさっと血の気が失せた。

 しかし、だからと言って一学もまだまだ言いたい事は五万とある。

「ぬしが武芸の真似事などさせ始めてからであろう! 姫様がこれほどの暴れ馬に成り果てたのは! 武芸は結構! しかし、姫様がお忍びなどせぬように見張るぐらいせぬか、たわけ!」

「わ、私のせいだと仰いますか、一学殿!」

「左様! ぬしも早く姫様を探し出し、城へ連れ戻さぬか!! バカンダラ!」

「ば、バカンダラって二回も仰いましたな……」

 ずんと青褪めた表情で虚ろに呟く鳴海を他所に、一学は再び指揮を取り始めた。

「ほうれ、その方ら! 何をぐずぐずしておる! 城下を隈なくお探し申し上げぬか!!」

「い、一学殿が……私をバカンダラと……!」

「面妖な罵倒を受けたな、大谷殿」

 多大な衝撃を受け、呆然とする鳴海を、新十郎は苦笑したまま見詰めていた。


   ***


 木枯らしの吹く、二本松城下。

 冬の訪れも間近であるのにも関わらず、瑠璃は特に上着を羽織るでもなく、ふらふらと街中を散策していた。

 城にいれば、やれ琴だお茶だ手習いだのと、喧しいのだ。

 鳴海も日中は自らの部隊を率いて調練に勤しんだりしているし、かと言って家老連中の職務に首を突っ込めば、口喧しく追い返されるのが落ちである。

 姫君など、大して楽しい職業ではない。

 瑠璃はこのところ、尚更にそう思うことが多かった。

 郭内の小川沿いをそぞろ歩き、時折強く吹き付ける北風に、肩を窄める。

 紅葉の季節はとうに過ぎ去り、今は針葉樹のくすんだ緑があるだけだ。

 城下を囲む山々は、実に寂しい景観を晒していた。

「そろそろ追っ手が来るかもしれないなあ」

 特に目当ての行き先もなく、ただ足の向くままに歩みながら、瑠璃はふと呟く。

 こう寒くなると、街中にもあまり人は出ておらず、何か詰まらないものだ。

 だが、捕まって大人しく城へ戻されるのも癪なもの。

 ぼんやりと歩を進めていくと、前方に架かった小橋の上に、四、五人の人だかりが見えた。

(あれは……勝十郎?)

 目を凝らしてみれば、どうもそれは藩校敬学館に通う、生徒たちであるようだ。

 中には既に面識のある者も混じっているようで、中の一人が大桶勝十郎だと判別できる。

 途端に、何か口元が綻ぶから不思議だ。

 これで退屈せずに済む。

「おおーい、勝十ろ……!」

 呼び声を上げ、手を振りかけて、瑠璃はぴたりと動作を止めた。

 何か、様子がおかしい。

 いつもの勝十郎ならば、やいのやいのとふざけた調子でおどけているのに。

 今日はどうしたことか、勝十郎の雰囲気が妙に険しい。

 遠目にもそれが見て取れるのだから、何か余程のことがあったのかもしれない。

 一旦は足を止めた瑠璃だったが、またそろりと橋に向けて足を踏み出した。

 勝十郎だけではない。

 周りにいる少年たちも、何か険悪な気配を漂わせているようなのだ。

 何か言い合いをしている様子だし、中の一人だけが皆に取り囲まれているらしい。

 低い欄干のぎりぎりまで追い込んで、どうにも危なっかしい。

(何してるんだー、あいつら……)

 怪訝には思いつつ、瑠璃はやがて橋のたもとまでやって来た。

「お前、江戸帰りだからって調子に乗るなよ!」

「そうだそうだ! 田舎者扱いしやがって!」

「蘭式鼓法の免許や新式の銃が何だってんだよ! くっだらねえ!」

 口々に罵る少年たちの憤り振りは、傍で見ても結構な凄まじさである。

 声を掛けようにも、割り込む隙がない。

 勝十郎にも話しかけそびれていると、皆に囲まれて散々に言われている少年と、不意に目が合ってしまった。

 顔立ちのすっきり整った、垢抜けた容姿をしている。

 まあ、少々生意気そうで、いけ好かない感じではあるが。

 見たところ、或いは勝十郎と同い年くらいの少年である。

 即ち、瑠璃とも同年のようなのだ。

 そういえば、と、瑠璃は近頃の噂を振り返る。

(最近、江戸詰めの家臣が帰藩してきたっていうのは、聞いたなあ……)

 では、その子息だろうか。

 と、首を捻った時、例の少年が声高に言うのが聞こえた。

「ハッ! 田舎じゃねえか。別に嘘は言ってねえよ。お前らがやっかんでるだけだろ? 下らないのはお前らのほうだ!」

 うわ、と、さすがの瑠璃も頬の引き攣る感覚を覚えた。

 これでは、勝十郎たちが怒るのも無理はない。

「なんっだと、この野郎……!!」

 憤りに震えた勝十郎の声が呻り、次の瞬間、その手が少年に伸ばされるのが見えた。

「う、わ……!?」

「ちょちょッ! 待て勝十郎――!?」

 咄嗟に駆け出した瑠璃に、周囲はぎょっと振り返った。

 が。

 勝十郎の手に突き飛ばされた少年の身体は橋桁から外へ傾き、やがてその支えを失くした。

「んなッ!? 瑠璃!?」

「うわー!! 待て待て落ちるなーッ!!」

 川に落ちる、と思ったその時には、瑠璃は無意識に勝十郎らを押し退けて助けに飛び込んでいた。

 伸ばしたその手が、辛うじて少年の袖を引っ掴む。

 しかし、崩れた体勢は更にぐらりと傾ぎ、引き止めた瑠璃までもが体の均衡を失った。

「んぎゃ……!!?」

「うわわわわ! 瑠璃ーーー!?」

「お、落ち……」

 周囲を取り囲む勝十郎たちが慌てて手を差し向けた時には、既に遅し。

 少年の袖を掴んだまま、瑠璃もまたその身を橋桁から引き摺り落とされた。

「ほぎゃあああああ!!!?」

「る、瑠璃姫が落ちたーーー!!」

 橋の上で大絶叫が沸き起こると、次には瑠璃の身体は小川の水面に叩き付けられた。

 晩秋の川の水は、その冷たさゆえに痛みすら感じさせる。

「づッ、づべたーーッ!」

「くっそう……よくもやりやがったな……!!」

 共に川へ落とされた少年はそう言って橋の上を睨み付ける。

 幸い、橋上から水面まで余り高くなかったから良かったものの、川自体も結構浅い。

 少々打ち身を食らい、瑠璃もまた同様にして橋上へ怒鳴った。

「こんッな寒い時に何をしておるのじゃ、そなたらは!!」

「そうだぞてめえら! 大体こんなやり方、卑怯だと思わねえのかよ!?」

 落ちた衝撃で全身に水を被った二人は、口々に文句を並べ立てる。

「なんで瑠璃がこんなとこにいるんだよ!? おま、ちょっと早く上がれよ!!」

「どど、どうしよう、なあ勝ちゃん。これ、俺らの責任?」

 勝十郎と、その隣でおろおろするのは、どうやら中村久次郎であるようだ。

 彼もまた、瑠璃や勝十郎とは同年の少年である。

 よくよく見てみれば、他にも岩本清次郎や上崎鉄蔵と、見た顔ばかりだ。

 寄って集って、たった一人に制裁を食わせるとは。

 瑠璃は少々憤りを禁じ得ない。

 そこで、ちらりと共にずぶ濡れになった少年を見遣った。

「そなた、江戸から来たのか? なんで勝十郎たちに責められてたんだ?」

「は? っていうか、お前誰だよ」

 頗る挑戦的に見返す少年。

 何とまあ、感じの悪い。

「瑠璃じゃ。一応、田舎の姫君をやっておる」

「………」

「丹羽の娘じゃ」

 嘘を吐かねばならぬ理由もなく、素直に名乗ると、少年はあんぐりと開口した。

「……お、小沢、幾弥だ」

「ふーん、幾弥か。宜しくなあ」

 呆然とする幾弥を尻目に、瑠璃はやっとで水中から立ち上がった。

「おおおい! 大丈夫かよ、瑠璃ッ!」

 橋上から迂回して川岸に駆けつけた勝十郎らに、瑠璃はキッと睥睨を食らわせた。

「何か不満があるのなら、正々堂々やらぬか!! 確かに幾弥はちょっと見、憎たらしいがな、人気のない場所でこそこそと制裁を与えるのは如何なものじゃ!?」

 ざぶざぶと川の水を足で掻き分け、岸へと向かう瑠璃。

「そんなこと言ったってよ! そいつ、いっつも俺らのこと馬鹿にしたように見下してんだぞ!? 腹立つじゃねえか!」

「だからと言って何も川へ突き落とす事はなかろう!!」

「いや、それより瑠璃姫、風邪引くぞ……?」

 憤慨顕わに捲くし立てる瑠璃の側に寄り、些か引き攣った表情で窘めにかかる清次郎。

「私は良い。幾弥に手を貸してやりなよ。幾弥も早く川から上がれ」

「えー?」

 露骨に嫌そうな顔をする清次郎を、瑠璃はもう一つねめつける。

 と、川中のほうから幾弥の声が返った。

「別にいいよ。俺だって御免だね、こんな田舎者の集まりは!」

「何だとこの……ッ!!」

 再び諍い勃発か。

 そう思われた時。

 瑠璃の視界に、遠くから濛々と砂煙を上げて急接近してくる人影が映った。

「!!? しまった! もう追っ手が……!」

 瑠璃のその声に、剣呑な雰囲気も一瞬にして霧散する。

 皆がその砂煙を眺めると。

「瑠璃様のバカンダラがーーー!!!」

 と、大音響で叫びを上げつつ突進してくる鳴海の姿を認めることが出来た。

 何か、凄まじい形相である。

「な、鳴海が来た……!」

「げええ!? なな、鳴海様!?」

 何とした事か。

 今日に限って鳴海が追っ手としてやって来るとは。

 しかも鬼の形相でバカンダラ呼ばわりである。

「いっつもいっつもどーしてこうもフラフラフラフラほっつき歩いておられるんだ、このあばずれがぁぁぁあああ!!!」

 速度を緩めもせず、鳴海は川岸へ駆け下りてきた。

「あばずれ!? どうした、何があったのじゃあッ!?」

 普段、瑠璃には甘い鳴海が、今日は何故か本物の怒りの面相であることに、全身で慄いた。

 怒声も思わず足が竦むほどで、瑠璃は逃げ場を失くす。

 と、鳴海が締め括りの雷を落としながら、正面から瑠璃に突っ込んできた。

「心配掛けおってこの不良娘がぁ!!」

 耳に届いた刹那、瑠璃は突進した鳴海に突き飛ばされる形で、再び川中に尻餅をついたのである。

 ざばっと豪快な飛沫を上げて、再度頭から冷水を被る。

「………」

「こんなところで何をしておられるか! お陰で一学殿からバカンダラ呼ばわりされた私の身にもなって頂かねば……!」

 水中で絡みついた鳴海は、おうおうと嗚咽を上げて泣きじゃくっている。

 一学に貶されたのが、余程辛かったらしい。

「だ、大丈夫かよ、瑠璃……」

 岸から声を掛ける勝十郎に、瑠璃は虚ろな視線を返した。

「まあ、そうじゃな……闇討ちは如何なものと思うが、こういう正々堂々とした突っ込み方も、何だな……」

 決まり悪く瑠璃が言うと、勝十郎も清次郎も、皆が控えめながらもはっきりと頷く。

 再び水中に尻餅をついて、その上にも何だか号泣しているいい大人に纏わりつかれる我が身を、瑠璃は少々嘆かわしく思う。

 と、その横をざぶざぶと掻き分けて岸へ上がる幾弥の姿が横切った。

 こちらに手くらい貸せば良いものを、助ける気など微塵もないようだ。

 薄情者め、と心で毒づく瑠璃の耳に、微かに吹き出した声が届いた。

「くくッ……! ぷーッ!!」

 見れば、幾弥が背中を丸めてその肩を震わせているではないか。

「?」

 およそ生意気な面構えで、つんけんしていた、幾弥が。

 この状況、瑠璃にとっては災厄以外の何者でもないのだが、不思議とこちらまで可笑しくなってしまうのは何故なのか。

 思わず、瑠璃もぷっと吹き出した。

「なな、何が可笑しいッ!! この私がバカンダラ扱いされたのが、瑠璃様は楽しいとでも仰るかー!!?」

「あ、いや……そういうつもりでは……」

「ではどういうおつもりかッ! 私は、私はッ! 瑠璃様のお転婆振りの重責を背負わされておるのですぞ!? 少しは私の言うことも……!」

「そんな、重責って……」

「毎朝の稽古は仕方なく承知こそすれ、以外はお慎み下さいと再三申し上げているというのに!!」

 べそべそ泣きじゃくる鳴海に、瑠璃はげっそりと吐息した。

 一言物を言えば、否、一言も口にしないうちに、鳴海から返されるお叱りの数々。

「喧しいのう……」

「やッ、喧しいぃぃ!? る、瑠璃様が、私に反抗した……ッ!!?」

 鳴海の余りの煩わしさに、瑠璃が片耳に指を突っ込むと、何を依怙地になってか、鳴海は更に衝撃に打ちのめされた表情に転じる。

「……て、手塩にかけてお育て申し上げた、こ、この私に……ッ!」

「アハハハ! 何、こいつら。こんなのが姫様なわけ? で? 何なんだよ、この爺やっぽいの!」

 ついに一人豪快に笑い出した幾弥。

「うわああ! お、お前ッ! あの人怒ると怖えんだぞッ!! 死ぬ気か!!?」

 幾弥の発言に、勝十郎が咄嗟に注意を促したが、それは幾弥の口を止めるに至らない。

「何だよ、泣いてんじゃんか! 哀れだなー!」

 けらけら愉快そうに笑い声を上げ続ける幾弥を、岸辺の少年たちは慌てふためいて取り押さえにかかる。

 まあ、噂に聞くところは、鳴海は相当に厳しく、恐れられるほどの存在。

 鬼鳴海の異名を取るくらいだから、勝十郎たちが肝を縮めるのも無理はない。

(しかし……コレのどこがそれほどに怖いかねえ)

「あははははは」

「もうやめろ! 本当にどうなっても知らねーぞ!?」

「もうだめだ勝ちゃん! こいつ他所に連れていこう……!」

 暫くもめていた川岸の彼らも、久次郎の一言で漸く動き出した。

 兎に角、幾弥を鳴海から遠ざけようと試みることにしたらしい。

「鳴海……そなたも結構怖がられているみたいだなあ……」

 何気なく呟くと、鳴海が突如顔を上げた。

「そういえばそこの貴様!!!」

 突然思い立ったように背後を振り返り、幾弥を指差して怒鳴り出す鳴海。

 幾弥に笑われていた事に、漸く気が付いたか。

 少年たちが、怒声にぎくりと身を強張らせると、幾弥もまた笑うのを止めた。

「げ。何あいつ。急に怖えー」

「うぅわ、馬鹿お前、もう余計な事言うなよ……!」

 何をも恐れぬ幾弥の態度に、周囲は愕然とする。

 それと同時に、勝十郎たちは幾弥を無理矢理引き摺るようにして一目散に逃げ出したのである。

「おああ!! コラ待てーーーッ!! 瑠璃様と冬の小川で何をしておった!!? よもや私の瑠璃様に唾などつけておるまいなぁぁあ!!?」

 さっさと逃げていく彼らの姿を目で追いながら、瑠璃は何と無く、笑みがこぼれた。

 あの様子ならば、幾弥や勝十郎たちが打ち解けるまでに、そう長い時間はかからないように思えたのだ。

「る、瑠璃様も何を余裕で微笑んでおられる!!? ま、まさかあの小僧と……!?」

 賺さず瑠璃にも問い質す鳴海。

 その顔は痛ましいほど必死である。

 実の父でさえ、真正面からこうまで必死の形相など見せぬであろうに。

「阿呆。幾弥には今日初めて会うたんじゃ。さっき誤って橋の上から諸共に落っこちただけじゃ!」

 何を想像して疑いの眼差しを受けるのかはよく分からないが、一先ず経緯を話してやると、鳴海は一つ安堵の息を吐いた。

 と、その途端。

「ぶへっくしょーいい」

 鼻にむず痒さを感じ、瑠璃は思い切りよく鳴海に向けてくしゃみをした。

「………」

 文字通り、唾を付けられた鳴海の顔に、瑠璃は一瞬ぎょっとした。

「す、すまぬ、……」

「――いやいや。構うものですか。大事な瑠璃様のくしゃみならば、何度でも被りましょうぞ」

「………」


   ***


 数日後。

 城の箕輪門に程近い、藩校敬学館の前を、小突き合いながら歩く、幾弥と勝十郎の姿を見掛けた。

 どうやら、何とか仲良くやっているらしいではないか。

 そうと見て、瑠璃もまた静かに笑った。

「瑠璃様、何を余所見しておられる。早くせねば我が隊の調練などお見せしませんぞ」

 頼み込んで漸く承諾してもらった、鳴海の隊の調練視察へ出向くところである。

「なあなあ、鳴海! 見てみろ、あれ! 幾弥と勝十郎が仲良くなってる!」

 喜ばしいこと。

 きっと鳴海も共に喜んでくれるに違いない。

 そう思った矢先。

「あ、瑠璃の爺や。ぶははははははははははは」

 先にこちらに気付いた幾弥が、鳴海を指差して突如笑い出した。

「あァ!? 小僧、貴様ッ!! 瑠璃様は渡さぬぞ、良いかッ!? 覚えてお……」

「あははははははははははは」

「くっそ!! 何が可笑しいッ!!?」

「大人気ないぞ、鳴海……」

 幾弥が鳴海を見掛けると「爺や」と言って笑い出す、その珍現象は、その後暫く続いたという。

 

 

【闇討ちのその先に 了】

 

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