【風に散る短編】兎追い(3)了

 

 

 気付けば、辺りは既に日の入りも間近になっていた。

 松の林は朱色に染まり、西の空が眩しく照り輝く。

 ひょんなことから共に一日だけの逃亡生活を送ることになったわけだが、助之丞にとってこれはこれで楽しかったようにも思える。

 少し可笑しなウサ耳のお姫様を横目に、助之丞は肩を揺らして苦笑する。

「そのウサ耳、城下で流行ると良いな」

「うん! そしたら私が流行最先端じゃな!」

 にこりと微笑んだ瑠璃の頭を、助之丞は思わずわしわしと撫で付けた。

「そーそー、笑ってるほうが良いぞ。無理して皆の望む姫様演じて、つまんない顔してるよりもさ、ちょっとお転婆だろうが兎だろうが、そのままのおまえでいたほうが、俺は好きだなぁ」

 最後の一言を口に出してみて、助之丞自身驚いた。

 励ましてやろうと思って言っただけなのだが、これではまるで告白染みてしまっている。

 と、咄嗟に撫でていた手を引き戻したが、うろうろと手のやり場に困り、結局自分のうなじを掻いてみた。

(何言ってんだ俺、こんなウサ耳のちび相手に……)

 何故か照れ臭くなって視線を逸らした、その時。

 助之丞の鼻先を柔らかな芳香が掠め、唇には何か温かなものが静かに触れた。

「──!!?」

 一瞬、何がどうしたのかも分からなかった。

 数拍置いて後、唇に重なったものが離れ、そこで漸く、ウサ耳小娘に口付けされていたのだと知る。

 驚きすぎて、ただ茫然とそのあどけない顔を凝視してしまった。

 ただ咄嗟に願ったのは、夕日の茜色が頬の紅潮を隠してくれれば良い、ということのみ。

「私も、助之丞は好きじゃ!」

「そ、そう……か」

「今日は城下へ出て来て良かった」

 嬉しそうに頬を染めて言う瑠璃に、助之丞はぽかんと見入る。

「うーーさああぁぎぃいいい!!!!」

 互いにぼんやりと見合っていたところに、再びあの呼び声が聞こえた。

 一体どれだけ叫び続けていたのか、掠れて苦しそうな声音である。

 追っ手の鳴海が近いと知ると、瑠璃はぱっと立ち上がった。

「助之丞、また会えるか?」

「う!? えっ、いや、あの……」

 今し方起こったことに気を取られ過ぎていたために、すぐには上手く言葉を返せなかった。

 そんな動転する助之丞の様子に、瑠璃も若干不安を覚えたらしい。ほんの少し顔色を曇らせてしまった。

「……駄目か?」

 肩を落とした瑠璃に、助之丞は更にぎくりと焦った。

 可笑しな趣味のおなごだとは思ったが、また会いたいか会いたくないかと聞かれれば、会いたいとも思った。

「別に、駄目じゃねぇけど。まあ、城で疲れたら、その……いつでも城下に出て来いよ。俺もその辺に居るし、さ」

「うん、また会おう、約束じゃ」

 照れ隠しでぶっきら棒な物言いになってしまったが、瑠璃は言われたままを素直に受け止めたようだった。

「うさーーぎゃあああああ!!! うさーぎゃああああ!!!」

「あ、鳴海がそろそろ限界のようじゃ。じゃあまたな、助之丞!」

「おう、じゃーな」

 声が一段と近付くと、瑠璃はさっと身を翻して、自ら声のほうへと去っていった。

 けたたましい呼び声はやがて収まり、ウサ耳姫様無事捕獲と相成ったことが窺えた。

 が、間髪居れずに今度は激しい怒号が轟き、助之丞はびくりと全身で慄いた。

「バカウサギめがーーーっ!!! 一体今までどこで何をしておられたぁああ!! 瑠璃様は私の首が飛ぶのを見たいと仰るかぁああうわあああああん!!!!」

 最後には号泣し始めた鳴海とやらの怒号が気になり、助之丞は木陰からこっそりと妙な主従を盗み見た。

 昼間に見たときには折り目正しく着付けていたはずの肩衣も袴も、枝に引っ掛けたのかあちこち裂けてぼろぼろである。

 つまりはそれだけ必死に瑠璃を探していたということなのだろうが、瑠璃を見つけて安堵のあまり大泣きしているらしい。

 かと思えば、大きな竹籠に問答無用で姫様を放り込むと、そのまま籠を背負い直し、のっしのっしと城のほうへ歩き出して行ってしまった。

(俺、将来あの人の配下にだけは、なりたくねーなー……)

 

   ***

 

 えっちらおっちら、鳴海の歩調に合わせて揺れる籠の中。

 瑠璃は放り込まれた籠の中から、にょっこりと顔を出した。

 随分と心配をかけてしまったことを詫びようと思ったのだが、鳴海の足音に混じって「ぐすんぐすん」と鼻を啜る音がする。

「ごめんな、鳴海。もう泣かんでくれぬか」

「ごめんで済んだら岡っ引きは要りませんぞ!!?」

「でもね、嬉しいことがあったのじゃ。なんとのう、このウサ耳を誉められた! どうじゃ!」

 日々の稽古に疲れた瑠璃を気遣って、鳴海が贈ってくれたものである。

 それを誉められた事は素直に嬉しかったし、きっと鳴海も喜んでくれると思った。

 だが。

 次の瞬間、鳴海の足はぴたりと止まってしまったのだ。

「フォ、ふぉめられた!!?」

「えっ、いや、誉められたんだが」

「フォフォフォふぉめられたとは、一体どこのなにがしに!? この私の目を盗んで、そのようなどこの馬の骨とも知れぬ者と逢瀬を!!? 相手の名は何でございますか、この鳴海めが直ちに成敗……!」

「黙りゃ!」

 パカーン! と小気味良い音を立て、瑠璃の檜扇が鳴海の頭を引っ叩く。

 この男、真面目なのは良いが、時々歯止めが利かなくなるのが玉に瑕である。が、文武両道にして、なかなか人情にも厚い部分は、瑠璃も太鼓判を押していた。

「それより鳴海! 明日から私も自分に正直に生きることにした! っというわけで、手始めにそなたに剣術を習いたい!」

「剣術ですと!? だ、駄目ですぞ! 瑠璃様には剣よりウサギさんが似合いますからな!」

「ウサギも剣を持って戦う時代が来たのじゃ!」

「そんなウサギさんは断じて認めません!」

 

   ***

 

 そして、慶応四年。

「どかーーーーん!!!」

 北条谷の砲術塾に居た助之丞の耳に、瑠璃の元気な声が聞こえた。

「どかーん! じゃないだろう!? もう少し普通の挨拶で入ってこられないのか!!?」

 天衣無縫な瑠璃の振る舞いに、逐一突っ込みを入れる人物。この塾の若先生、木村銃太郎である。

 助之丞との出会い以来、どうやら自分に素直に生きてきたらしい彼女は、今も何故だかこの若先生に毎日のように力一杯叱られている。

「どかーん! とは、城中ではごく当たり前に使われる挨拶じゃ。以後そなたも使ってみると良いよ」

「嘘を言うんじゃなーーーい!!」

 叱られはするのだが、これがなかなかどうして、強い姫君に育ったものだ。

「銃太郎殿は怒ってばかりじゃのー。ま、それは兎も角、最近饅頭の美味い店を見つけたんだ、あとで皆で行かないか? な、助之丞は行くだろう?」

 瑠璃と銃太郎とのやり取りを見守っていた助之丞に、話が振られた。

 相変わらずあどけないところがあるものの、その笑顔は溌剌としていて、眺めていても気分が良い。

 きっと彼女にとっては、もう遠い過去となっているのだろう。

 追われる兎と出会ったあの日から、今日までずっと慕っていることにも、気がついていないのだろう。

 それでも、きっと自分はこの先も、その兎を目で追い続ける。

(ったく、ホントに捕まんねぇなあ、このアホ兎)

 助之丞は軽く困った風に笑ってから、賛成を唱えた。

 

 

 【了】

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