【風に散る短編】兎追い(2)

 

 山の中を探し回っている様子の男を避け、助之丞は一度街中へ出ることにした。

 うまく見つからずに山を降りることが出来たようだが、安堵するにはまだ早い。

 何しろウサ耳だ。

 人目の多い往来に出れば、瞬く間に大注目を浴びてしまうだろう。

「参ったなー、おまえそのウサ耳、取らねえの? ってか、それ、取れるんだろ? それとも本当に生えてんのか?」

 言ってから、そんなわきゃねえな、とも思ったが、おなごは途端に表情を険しくし、両手で頭上のウサ耳を大事そうに押さえ込んだ。

 取れても取れなくても、大切な物には変わりないようだ。

「……ま、取る気がねえのをムリに取れたぁ言わねーけどさ」

 無理強いをする気は勿論更々無いのだが、それでもウサ耳で目立つのを回避する為には、やはり人目を憚る必要がある。

 そんなこんなで、助之丞はとある場所を思い付いた。

「あ! 城の裏側なんてどうだ!? あそこって案外人来ないだろ?」

 いつまでも城の裏側にいることは出来ないだろうが、今は隠れることが先決なのだ。この謎のおなごから事情を聞き出さねば、他にどうすることも出来ないだろうと思われる。

 おなごも漸く首を縦に振り、人通りを避けて城の裏山へと向かったのであった。

 

   ***

 

 壮麗な白亜の城。

 それは助之丞の目にも雄大で、大手門の通りから見上げれば、いつもその荘厳さに溜息を吐いていた。

 が、裏山へと回り込めば、そこは人通りも警護も薄い搦手からめての門。

 その搦手の更に深い森に分け入った二人は、ようよう一息つくことが出来た。

 清らかで玲瓏とした鳥の囀りの中、杉や松の大木の間に腰を下ろす。

「はー、静かだなあ、こっち側は。あいつもまさかこんなところまで探しに来ないだろ、な!」

「うん」

 気分も落ち着いたのか、おなごもどことなく悄然と肩を落とした風に見える。

 あの見た目の怖い男に血相変えて追いかけられていた事を考えれば、何となく気持ちも察せられる。

「それより、あいつは一体何なわけ? おまえの知ってる奴か?」

 どうせ答えは聞けないだろうと、駄目元で問いかけたのだが、今度はわりとあっさりと答えが返ってきた。

「あれは鳴海じゃ。最近私の護衛となったのだけど……どうも口煩いし厳しくて、時々ちょっと離れたくなるのじゃ」

 護衛、と言うからには、これはいよいよ高貴なお方であるらしい。

 そういえば、豪商の娘という身形でもないし、かといってそこらの武家の娘とは格段に位が違いそうな身支度である。

 助之丞自身の衣服と見比べても、明らかに高級そうなものを纏っている。

 暫時沈黙が流れ、やがておなごの口からやっと正体が明かされた。

「……瑠璃という。丹羽家の娘じゃ。いわゆるお姫様じゃなぁ」

「ああ……」

 やっぱり、というのが素直な感想だった。

 逆に瑠璃のほうが「驚かないのか?」などと面食らったように言いもしたが、それは笑って流した。

 このウサ耳が姫ならば、さっきのあの男も重臣の一人だろう。

 城から脱走した姫君を探し回っていただけで、別に兎狩りではなかったわけだ。

 大方、城の中が窮屈になったのと、好奇心とで飛び出して来たのだろうが、そうと分かれば城に帰るよう諭すのが賢明だ。

「気が済んだら城に帰るつもりで出てきたんだろ? あいつ、あんな必死に探してたんだし、きっと……っつーか、かなり心配してんだと思うぞ」

「うん……。でも、城は嫌じゃ。私が私でなくなる」

「? はい?」

 私が私でなくなる、という言葉の意味が呑み込めず、助之丞は思わず聞き返していた。

 しょんぼりと膝を抱えて俯いたまま、瑠璃は寂しげにこぼし始める。

「兄弟が、病で死んだ。だから、私は婿を取って跡を継ぐんだと、みんながそう言う」

 瑠璃の兄弟、即ち若君のことだが、確かにこれまでに二人病で亡くなっていた。江戸の藩邸で長子が、国許の城でも、二男が病没していた。

「城内は嫌なのじゃ。嗜みとやらを押し付けてくるし……。姫君姫君と持て囃すのも、結局は家の存続に都合良く扱いたいがため。ただ言われるままに教養を身に付け、自由に外を歩く事も出来ない毎日に、嫌気が差しておるのじゃ」

 相変わらずウサ耳をつけたままなのが、今はいっそ痛々しい。

「別にな、家を継ぐのが嫌なわけじゃない。ただね、良い姫君とはどんなだろう、どうすれば皆の期待を裏切らずに済むだろう、とか……。そういうことを考えて、誰も彼もに好まれる自分を作るのに、疲れたのじゃ」

 徐々に涙ぐみながらも、懸命に話そうとするのが、助之丞にも何故だか共感出来た。

(俺だって次男坊だし、いつか自立するか、どっかに養子に行くか、そうでなきゃ一生部屋住み身分、か……)

 家は兄が継ぐだろうし、そうなれば助之丞も身を立てるためには他家へ養子に入る他に道はない。

 どう頑張っても、自らの力だけでは登れる限界が見えている。

 学問も武芸も、頑張っている。けれど、評価されても結局家の中では兄には勝てない。

 それが鬱陶しくて、そこそこ頑張る様子を見せながら、すべてにどうでも良いような中身のない笑顔をするようになった。

 本当は、誰よりも自分の中身を評価してもらいたいのに──。

 どうしても、兄が誉められるほどには誉めてもらえなかった。

 それに傷つく自分も、傷ついていると覚られないように贋物の笑顔を浮かべている自分も、鬱陶しかった。

 立場も身分も違ってはいたが、瑠璃の煩悶と助之丞のそれとは、少しだけ似ている気がした。

「姫様も大変なんだな。そんで、家出したってわけか。……ウサギの耳つけて」

 自分で言ったことながら、助之丞は言葉尻で思わず吹き出した。

 すると、瑠璃も俄かに頬を赤らめ、やっぱりウサ耳を庇うように両手で押さえる。

「こ、これはっ! 鳴海がくれたのじゃっ。鳴海が可愛いと言ってくれたから、つけておるのじゃっ……!!」

「な、鳴海? って?」

「さっきの怖いおっさんのことじゃ」

 鳴海、というのは、血眼になって瑠璃兎を探していた、あの変な男のことであるらしい。

 あれだけ恐怖に引き攣った顔で逃げ回っていたくせに、そうと言うところを見ると、口ほど嫌いな側近ではないようである。

 ウサ耳を押さえつけたまま、瑠璃の視線が上目遣いに助之丞の顔を見た。

「……やっぱり変、か?」

「いや、可愛い……と、思うけど」

 ウサ耳よりも、その仕草が何となく可愛らしく思え、助之丞は不思議と笑みがこぼれた。

 瑠璃も助之丞の返答が素直に嬉しかったのだろう、照れ臭そうな面持ちから一変、今度はぱっと輝くような花のかんばせを見せた。

 怯えていたり、塞ぎ込んでいるよりも、笑えば人をも笑顔にさせるものを持っているのに。

 城中ではきっと、いつも贋物の自分を作り上げる毎日なのだろう。

 それこそ、助之丞自身と同じように。

「鳴海だけは、私に姫君らしさを押し付けない。良い奴じゃ! 姫君がどうこうより、人としてどうありたいかを見つけろと言ってくれるのじゃ」

 助之丞はぽかんと口を開けた。

 逃げ回る割には、あの男に随分と深い信頼を寄せているらしい。

「は? じゃ、何だよ? 逃げる必要ないだろ?」

「うん。だけど、鳴海に見つかれば城に連れ戻されるじゃろう?」

「あ、そう……」

 信頼はしているが、それ以上に城の中が窮屈だったということらしい。

「それに、あのような場所にいては、なりたい自分も見つけられぬ」

「ふぅん」

 ちまい小娘のくせに、随分小難しいことを考えているものだ。

 それだけ悩みが深かったのだろうが、少々生意気な奴だとも思った。

「助之丞は、何をしている時が一番自分らしいと思える?」

「……は?」

 驚いた。

 未だかつて、そんな質問をされたことがなかったからだ。

 虚を突かれ、思わず首を捻ってしまったが、その返答は助之丞が深く考え込むよりも早く、自然と口をついて出た。

「剣術……かな。こう見えても、結構腕は立つし、道場でもよく褒められるしな。得意なことはやっぱ楽しいし、楽しけりゃ好きにもなるし、好きなことやってる時が一番俺らしい……と、思う」

 すると、下から覗き込むようにして聞いていた瑠璃の表情が、ぱっと華やいだ。

「……そうか! 好きなこと、か!」

 

 

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