【風に散る短編】兎追い(1)
「うーさーぎー!」
誰かが兎追いをして遊んでいるらしい。
この辺りの子供には、毎度お馴染みの遊びである。
野兎をいかに速く、上手く捕まえられるかを競うもので、大概がこの呼び声のように兎を呼び、声量を段々と細く小さくしながら獲物に近付いていく。
すると、耳の良い兎は、小さくなっていく呼び声から、人間が遠ざかっていると判断するらしい。
そうして、兎が油断したところをさっと捕まえるのだ。
この声がするということは、近くに兎がいるのだな、と助之丞も漫ろに思ったが、兎追いに参加する気など更々ないので、無視して寝そべり続けた。
心地よい草の香りと穏やかな風に身を包み、こうしてのんびり過ごすことのほうが有意義な気がした。
青山助之丞、この時、十四歳。
(兎も迷惑なこったなぁー)
などと、追われる側の兎を哀れんでもみるが、それでも身を起こす気にはならなかった。
だが。
「ううーーさぁーーーぎーーーぃいいい!!」
普通、だんだん小さくしなければならないはずの呼び声が、何故か一声毎に大音声となっていく。
(……何してんだ?)
ふと奇妙に思い、閉じていた瞼をぱっと開いた瞬間。
「うォうーさぁああぎぃいいいいーーー!!!」
ただ事ではない。とりあえず、ただの兎追いではない。
というか、こんな必死な兎追い、未だ嘗て聞いたことがない。
助之丞はやっと身を起こし、自らの寛いでいた新丁坂に面した山の斜面をきょろきょろと見渡す。
この辺りは傾斜の急な場所ばかりだが、ところどころに人目にも付かず、転寝に向いた緩やかな斜面がある。
まさにそこで昼寝を決め込もうとしていたのだが、とんだ邪魔が入ったらしい。
気分台無しでがしがしと頭を掻く助之丞の面前に、意外な兎狩猟者が躍り出た。
「うーーーさぎっ!!!」
「うわっ!!!」
だんっ! と地面を叩き付けるように跳躍、着地したその狩猟者は、子供ならぬ大の大人であったのだ。
凝然と目を瞠れば、きっちり着付けた袴と、帯びた大小、そして何故か背に負った竹編みの大きな籠が印象的であった。
「………」
茫然とする助之丞の横で、その立派に武士であるらしい男は、躍り出るや否や辺りを執拗に凝視する。
そして、特に兎が見当たらないと踏んだのか、次いで、とても迷惑なことにその視線を助之丞へと向けた。
その目のぎらつきの恐ろしさといったら、形容するにも難しい。
「おい。小僧。この辺りで兎さんのお耳を見なかったか」
部分的に妙に丁寧なのが気に掛かったが、そんなものを見かけなかったのも確かなので、助之丞は黙って首を横に振る。
その類稀なる鬼の面容に驚き、声も出せないほどの威圧感であった。
「ちっ……知らん、か。いいか小僧、もしウサ耳を見かけたら、必ず私に報せろ!」
吐き捨てるように言い残すと、奇妙な武士はまたしても必要以上の跳躍力を見せ付けて山の中へと消えていったのだった。
生まれてこのかた、十四年。あんな武士を見たのは初めてのことである。
「……なんだったんだ、あいつ」
男の格好、そしてあの鬼気迫る雰囲気から、そもそも遊びとしての兎追いではなく、本物の狩猟の最中だったのかと思わざるを得ない。
ああまで必死に追う兎を、一体どうするつもりなのだろうか。
愕然としつつ、様々に想像を廻らせる助之丞の耳に、再び奇妙な物音が聞こえた。
呼び声などではなく、ガサガサと野の草を揺する音。
程近い叢に、何かが潜んでいるらしい。
つられて目をやれば、木の根元を覆う大きな叢が派手に動いている。
「……う、兎か?」
じっと吸い寄せられるように見入っていると、やがて草の動きは収まり、その上にビヨンと白く長いものが二つ、遠慮がちに飛び出した。
(兎だ!)
それは見るからに兎の耳。兎が叢の中から耳だけを覗かせている様子だった。
耳の大きさから察するに、結構な大物のようだが、果たしてこれがさっきの男が追いかける兎なのだろうか。
一瞬、大声で先程の男を呼ぼうかとも考えたが、あの鬼面さながらの男と関わるのも気後れがして、助之丞はあえて兎に味方することにした。
「おーい、安心しろよ、もうあいつ行っちまったぞ。あんなのに追い掛けられたら、兎もたまんねーよなー」
すると、叢の兎がガサッと顔を出した。
「!!?」
「ほんとに行ったか? ほんとにもうおらんだろうな?」
用心深く周囲に警戒しながら顔を出した兎は、耳の下はすべて人間であった。
十ほどのおなごである。しかも身に纏う煌びやかな振袖から察して、身分は高いと見た。
動作そのものは追われる恐怖心からか、大罪でも犯した直後のような挙動不審さがあったが、それを除けばまるきり良家のお嬢様である。いや、もう一つ、謎のウサ耳を除けば。
ガサガサと草を掻き分けて出てきたのだが、……最早どこから突っ込んで良いのか。
「ええと……何で追われてんだ? あんなおっかねぇおっさんに追われるなんて、何かまずいことでもやらかしたんじゃないのか?」
助之丞の傍近くに来てもまだ、あの追っ手への警戒は解かれない様子で、きょろきょろと忙しなく首を廻らしている。
「助かった、礼を言う。あの追っ手は、そのー、まあ、何でもない」
「いや、明らかに何でもなくないだろ……」
質問に答えることにも集中出来ていない。が、その口調は並みの女子のものとは少し違う気がした。
良く言えば威厳を感じさせる、だが悪く言えば権高な様子も含むような、そんな言葉遣いだ。
「そなた、名は?」
「助之丞だ。青山助之丞。……おまえは?」
自ら名を名乗るでも無く、おなごは藪から棒に助之丞へ名を尋ねる。かといって、別段名を教えて不都合なこともないので名乗るのだが、おなごのほうは名を聞かれるとやや首を傾げてしまった。
むしろ首を傾げたいのは助之丞のほうなのだが。
「……ウサギじゃ駄目か?」
「………」
何か名乗れない理由でもあるのかと尋ねても、おなごは何となく答え難そうにしている。
仕方なく名を尋ねることを諦めようとした、その時。
「うさぁああぎーーーーぃいいい!!!」
突如ごく近い場所から例の男の呼び声が上がった。
「ギャアアアアアアアアむがっ!!!」
「ばか! んなでかい声出したら見つかるだろ!?」
まるで断末魔のような悲鳴を上げたウサ耳おなごの口を、助之丞は咄嗟の機転で塞いだ。
驚くのは分かるが、叫んだらそれこそ捕まえて下さいと言っているようなものだ。
兎も角、今の絶叫で居場所を知られたと考えると、ここに長居も出来そうにはない。
「おいっ、あいつが来る前に逃げるぞ! いーか、黙って付いて来いよ!?」
かくして、謎のウサ耳をつれての逃避行が始まったのだった。
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