【風に散る短編】山猫騒動(5)了
「儂は作田山の主。昨夕そこな男がこの道を通ったのだが、その折、一悶着あってな。戒めのつもりで儂自ら祟ってくれたのだ」
「一悶着?」
ゆったり寛いだ口調に転じた山猫に、銃太郎は戸惑いつつも一応刀を下げた。
「昨夕、その男は儂とすれ違った。その時、今はいつ頃か呟いたのでな、儂はこう答えたのだ。昨日の今頃だ、とな」
物凄くおちょくった返答だと思うのだが、山猫は実に真剣に語る。
「すると奴はな、何と突然奇声を上げて儂に斬りかかってきおった! 冗談の一つも通じぬ阿呆めが! 儂はもう、腹が立って腹が立って……!」
「えぇーーー……」
事の大まかな顛末は分かったが、何とも下らない話である。
山猫の話を聞く限り、鳴海も山猫も、どっちもどっち、といったところだと銃太郎は思う。
「だがまあ、これに懲りて、奴も斬り付ける相手を選ぶようになるだろう。なぁに案ずるな、明朝には元に戻っているはずだ」
山猫はそう言い残すと、颯爽と立ち上がり、大きく跳躍したかと思うと、瞬く間に深い森の中へと消え去った。
「あッ、お、おい!? ちょっと待て、明朝!? 明朝まで大谷殿はこのまま……!」
銃太郎が呼び止めた時には、山猫は既に影も形も見えなくなっていた。
***
ずるずる、ずるずる。
作田山から城へ帰る道を、銃太郎と瑠璃は無言で歩いていた。
銃太郎は芋虫鳴海を、瑠璃は腰砕けになった家老を引き摺る。
時折、背後からギョルギョルという不気味な鳴き声が上がったり、瑠璃が疲労を訴えて、丹波を堀に投げ捨てようとしたり。
「銃太郎殿、もう鳴海も丹波殿も、ここに置いてゆかぬか」
「そうしたいのは山々だが、そうもいかないだろう」
ぽつりぽつりと交わす会話は、両者共に息も上がり、酷く苦しげな声である。
銃太郎でさえも、この急傾斜の多い城下を大の男を引き摺って歩き通すのはしんどいのだから、瑠璃が音を上げるのも無理はない。
「仕方がない。そらっ、ご家老も私が引き摺っていこう。貸しなさい」
片手に鳴海、もう一方の手に丹波の足を掴み締め、銃太郎はえんやこらと城へと続く坂道を上っていく。
「それにしてもあの山猫め。明朝なんてけちなことを言わずに、その場で大谷殿を元に戻してくれても良いものを……」
「まったく同感じゃ」
相槌を打つ瑠璃のほうから、銃太郎はふと視線を感じて顔を上げる。するとその視線が絡み、瑠璃は徐に口を開く。
「えーと、銃太郎殿、あのねぇ……」
「? 何だ?」
やや口籠りつつ話しかける瑠璃に尋ね返すと、途端に視線を逸らされてしまった。
少し伏し目がちに俯いた瑠璃は、どことなく照れ臭そうに二の句を継ぐ。
「その……さっきは、山猫から庇うてくれて、ありがとう。あー……、あの時の銃太郎殿、いつになく格好良かっ……」
「ギョルーーーーー」
瑠璃の語尾を掻き消したのは、鳴海の鳴声だ。
「………」
「………」
「す、すまんが、大谷殿のせいでよく聞こえな……」
「もう良い、もう言わぬ! きっ、気にせんで良い!」
「そんな」
やっぱり少し報われない感じも否めないが、それでも瑠璃の目に自分の姿が写っていたことを知ると、頬が急に熱を帯びる。銃太郎も思わず俯いてしまった。
「………その、私で良いなら、いつでも守ってやるから、えーと……困ったことがあれば何でも言いなさい」
「そ、そうか? ありが」
「ぎょろろろろろーーーーーーー」
その時、夕陽色に染められた鳴海が、一際猛々しく咆哮を放った。
とっても間の悪い男である。
「じゃ、銃太郎殿。早速一つ頼まれてくれないか?」
「えっ、あ、ああ! 良いぞ、何だ?」
もしかして、山猫の祟りが収まるまで傍にいて欲しい、とか、そんな頼み事だろうか、と淡い期待が芽生えた。
が。それは当然の如く打ち砕かれるのである。
「そなた、明朝まで、このぎょろ鳴海を預かってくれ……」
(えぇぇええええええ)
「如何な腹心の窮地とは言え、この祟りは私の手には負えぬし、兎に角こやつ、煩うてならん」
「………」
明朝、あの山猫の言った通りに鳴海は無事祟りから開放された。
だが、正気に戻ったはずの鳴海は、銃太郎を見るなり奇声を上げて銃太郎に襲い掛かった。
「ききき貴様が桃色の肉球かァアッ!! よくも祟ってくれおって、成敗──!!」
「大谷殿ぉぉお!!? あんたそれでもホントに正気に戻ってんですか!!!?」
結局、やっぱり最終的にはあんまり報われない銃太郎であった。
【了】
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