第36話 焼き菓子
真顔で何度か瞬きをしたココは唇を震わせながら話し始める。
「まっ……まず、大前提として私とバンシィの間には雇用契約はないわ! だっ……だから……えぇと……私には断る権利はないし……その……バンシィが決めたらそれで終わる話かしら?」
ココは戸惑いながら説明する。歯切れも悪く、いつものココらしくない。
「ココ様、素直になったらどうです?」
クロエがニヤニヤとしながらココの肩を手を置く。
「うるさいわね。とにかく二人で話して頂戴! 私は散歩でもしてくるから」
ココは平静を装いながらも、ぎこちなさが漏れ出る歩き方で執務室から出ていってしまう。
「もう……ココ様ったら」
クロエは唇を尖らせて俺の方を見てくる。
「なんだよ」
「何でもないですよ。でも普段はあまり散歩なんてしないんですよね」
つまり、ココにとって動揺するほどのことが起こったということ。
俺がいなくなるのがそこまでダメージを負うなんて考えづらい。
いや、ココは俺に莫大な額を投資している。回収も出来ないうちに俺がいなくなると大損こいてしまうので、頭の中でそろばんを弾くのに一生懸命になっているのだろう。
「まぁ……サルヴァ、俺なんか連れて行っても役に立たないぞ」
「そんなことないだろ。ヒーラーも補助も出来るじゃないか。そりゃ攻撃は難しいかもしれないけど、そこは分担だよ。俺にとってはこれまでとはまるで違うんだ。役割も、信頼も」
サルヴァは力強くそう告げる。
あの三人がいなくなったからといってサルヴァが一人で何でもこなせる訳ではない。現に一人で無理をしたから死にかけたのだから、信頼できる仲間を求めるのは自然だろう。
だけど、その枠に俺が収まることになるなんて思ってなかった。
「すぐに結論は出してくれてなくていいよ。でも、俺達の最初の目標に立ち戻るチャンスだと思うんだ。二人で旅に出る」
「それは……」
本来はあの村から出たかっただけ。冒険というのは手段でしかなかった。
ただ、サルヴァに捨てられたという気持ちだけが冒険への未練を断ち切らせずにいた。
そして、それすらもなくなった今、俺は俺の目標を達成してしまっていることに気づく。村を出て、この街で十分にやっているのだから。
もちろん、目を輝かせ本気で向かってきてくれているサルヴァにそんな残酷なことは告げられない。
「す……少し考える時間をくれないか? 明日には結論を出すよ」
「あぁ、そうだよな。いい知らせを待ってる」
サルヴァは頷いて執務室から出ていき、クロエも見送りのためにそれを追いかける。
執務室に残されたのは俺とイヴだけ。
イヴもさっと立ち上がり、俺の肩をポンポンと叩く。
「まぁ、寂しくはなるけど、お前のしたいようにすればいいさ」
それだけ言うと、首をポキポキと鳴らしながら部屋から出ていってしまった。
誰に相談しても答えはない。自分で決めるしかないのだろう。
堂々巡りを繰り返しながら、俺は誰もいなくなったココの執務室を後にした。
◆
昨日の疲れもあったのか、部屋に戻ってベッドに横になって悩んでいると寝落ちしてしまった。外は真っ暗になっている。
小腹が空いたのでキッチンに行って何かつまもうと思い部屋を出る。
廊下を歩いている誰かの背中が見えた。その誰かはあるところで回れ右をしてこちらに向かってくる。
その人の正体はココだった。俺と目が合うと、ギョッとした顔を見せる。
「何だよ」
「さっ……散歩していたのよ」
「昼間からずっとか? こんな時間にウロウロするような場所じゃねえだろ」
「そういう考え方もあるわね」
ココは俺の指摘を適当に流すと、焼き菓子を手渡してくる。
「どうせ部屋に戻ってすぐに寝ちゃって今起きたら小腹が空いてて何かつまみ食いしにいくところだったんでしょ? これにしましょ」
「お……おう。ありがとな」
まるで俺の生活をずっと見ていたかのような説明っぷりに驚く。廊下で立ち食いするのも何なので部屋に招こうと思ったのだが、ココはそれすらも見越していたようで、さっさと一人で俺の部屋に入っていく。
慌てて追いかけると、ココは鏡の前で髪の毛を直している所だった。
「椅子、これを使えよ」
部屋の隅に置いてあった椅子を持っていき、即席で丸テーブルとイス二つを用意した。
ココは振り返ると小さく「ありがと」と言って椅子に座る。
そのまま無言で菓子をぼりぼりと食べ始めた。
「それで、結論は出たの?」
何の話か、と聞くのは無粋だろう。明らかにサルヴァからの誘いをどうするのか、という件なのだから。
自分の中ではとっくに答えは出ているのだが、何となくそれを言うのが気恥ずかしくて誤魔化すことにした。
「まぁ……今起きたばかりだからな。期限は決めてあるし、これから考えるよ」
ココは「そう」とだけ言うと水を口に含み俯く。
「ココからしたら止めて欲しいよな。これまでの投資が無駄になっちまうし」
「それは……そうね。確かに」
また昼間のように歯切れの悪い返事。
「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
熱でもあるんじゃないかとココの額に触れてみるが、そういう訳でもないらしい。
だが、額に触れる前後で明確な変化はあった。
目つきが、明らかに鋭くなったのだ。まるで、何かの決意を固めたようにも見える。
「バンシィ、そこに立ちなさい」
「ん? あぁ」
そのくらいならなんてことないので、椅子を引いてそのすぐ横に立つ。
ココはぎこちない歩き方で俺の背後に回り込んできた。
「何だよ。また何か驚かす――」
驚かされたのは間違いない。だが、良い意味での驚きだ。
ココが背後から抱き着いてきた。背中に顔を埋めているのが分かる。
「バンシィ……服、脱いでくれない?」
「おっ……おっ……な、何だ?」
ココは俺の慌てぶりに何の反応も示さず、ただ背中に顔を埋めるばかりだった。
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