第32話 幼女

 屋敷の門まで走っていくと、イヴが庭を散歩しているところだった。


 屋外にいるときはさすがに下着ではなく、鎧をつけているみたいだが、露出する肌の面積は大差ない


「イヴ! あいつらってもう行ったのか?」


「おお。結構前に出たぞ。どうしたんだ?」


「あぁ……いや……ちょっとな」


 イヴは俺の顔を覗き込んでくる。その眼差しはやけに真剣だ。


「ちょっとここで待っていてくれ」


 イヴは俺をおいて駆け足でどこかに向かっていく。


 屋敷の方角だったが、入り口ではなく裏手に回り込んでいった。


 少ししてイヴは茶色い毛色の馬に乗って戻ってくる。背が高くなり、見上げる格好になる。


「待たせたな。この子はココって名前で呼んでいるんだ」


 元ネタになったであろう商人とは似ても似つかない馬面。馬なのだから当然なのだけど。


 主人に対して不敬極まりないが、これがイヴらしさともいえる。


「本人は知ってんのか?」


「もちろん非公認だよ。ほら、早くココの背中に乗れ。私が連れて行ってやる」


「なんで俺が馬を操れない前提なんだよ……」


「なんだ。出来るのか」


 正直に言うとできない。だが、思い当たる節もあった。


 服にスロットをこじ開けて【馬術】を付与する。


「まぁ……多分乗れるよ」


 イヴを後ろに寄せて馬に乗り、手綱を握る。


 やり方はよく分からないが、とにかくサルヴァのところへ行きたい。


「北に向かって走ってくれ」


 ココ、もとい馬に話しかけると、馬は一度いななき、勢いを徐々に増しながら屋敷の敷地を飛び出した。


「おお! 走れ走れぇ! ココぉ!」


 人がまばらにいる道を一気に駆けていく。イヴは大興奮の様子で馬を主人に見立ててペシペシとケツを叩いている。


 そんな風に緊張感もなく遊びながら走っていると、すぐに街を守る城壁の真下にまでたどり着く。だが、サルヴァの姿は見当たらない。


「全然追いつけないじゃねぇかよ……」


 多分、クロエはココと二人の時間を過ごすためにサルヴァがまだ近くにいると嘘をついて俺をけしかけたのだろう。


 ここまで来たらもう引き返す気にもならないし、クロエには存分にココとの時間を堪能してもらうことにした。


「急いでくれ。コ……馬!」


 馬を馬と呼ぶのも変な気持ちだが、ココと呼ぶのもそれはそれでもっと気恥ずかしい。


 馬は城門をくぐるとまた加速していく。街中では全力を出していなかったみたいで、さっきまではジョギングだったとばかりに駆ける。蹄が地面を蹴る音がリズミカルだ。


「むっ……無茶苦茶な操り方だが、乗り心地は悪くないぞ! そういう流派もあるんだな!」


 後ろから振り落とされないように俺の腰を掴み、イヴが話しかけてくる。ちらっと振り返るといつの間にか鎧を脱ぎ捨てて下着姿になっていた。


「おっ、お前! いつの間に脱いでんだよ!」


「この方が気楽だからな。それにほら、もう人の多いところは抜けたぞ」


 街をぐるりと囲む城壁はいつの間にかはるか後方にあった。


 前方に広がるのは草原ばかり。サルヴァ達もかなりの速度で進んでいるみたいだ。


「あの男とは親しいのか?」


 同じ景色に飽きたイヴが後ろから尋ねてくる。


「幼馴染みなんだ。一緒に旅をしようって約束をしてたのに……俺が弱いから連れて行ってもらえなかったんだよ」


「そうか。それも彼なりの優しさなのかもな」


「優しさ?」


「だって、そんな卑屈なお前の横で一人活躍してみろ。惨めに思えて更に卑屈になっていくのが目に見えるじゃないか。危険があった時、自分に加えてお前の身を守れるかも怪しい。そんなやつと旅ができるか? よしんば出来たとして仲に亀裂は入らないか? そんな事になるくらいならあえて突き放すのも優しさだよ」


 あの時の羞恥心はそういった類のものではなかったという記憶もよぎる。


 それにサルヴァだってそういう想いがあるなら説明してくれればよかった、と責めたくなる気持ちだってある。だが、過去のことは過去のことだ。認める他ない。


「うーん……そういう考え方もあるのかもな。ま、結局あいつもパーティの中じゃ足手まといの下っ端みたいだけどな」


「バンシィ、お前は何を言っているんだ? 彼は他の三人とは比べ物にならないほど強いはずだよ」


「そうなのか?」


 イヴの口調からしてどうやら冗談ではないらしい。


「私も冒険者の端くれ。相手の力量は何となく見たら分かるさ。他の三人は虎の威を借る狐。そのくせ傲慢なあの態度。私は正直、あの三人は嫌いだ。そりゃあ私よりは強いのかもしれないが、尊敬はできないな」


「そうだったのか……」


 サルヴァは下っ端なのではなく、自分の責任感から一人で背負い込み、なんでも一人でこなしていただけだったらしい。


 そんなことも分からず、俺は酷いことを言っていた。また新たな謝罪ポイントが増えてしまい気恥ずかしさと後悔が浮かぶ。


「まぁあまり気負うなよ。さっさと追いついて仲直りして、明日からまたダラダラと過ごそうじゃないか」


 イヴはそう言うと胸を思いっきり背中に押し当ててくる。


「ちょっ……やめろよ!」


「ほらほらぁ! これで元気でも出せぇ!」


「やめろって!」


 色々と元気になってしまうのだが、それをひた隠しにするため股をギュッと閉じるも、馬はそんな事を気にせず北に向かって駆けていく。



 ◆



 魔物が引く荷車はものすごい速さで盗賊のアジトに向かった。


 何台の馬車を追い越したか分からない程だ。この地方では俺達のことはあまり知れ渡っていないようで、魔物が引く荷車を見ると、一様に驚いた様子でこちらを見てきた。


「サルヴァ、つきましたよ」


 ザーラが荷車の扉を開けながらそう案内してくる。


「あ……あぁ。行ってくるよ」


 荷車から降りると、後ろから声がする。


「ねぇ、キヤぁ。ここで待ってても暇だしどっか行こうよぉ。森の中とかどう? なんて言うんだっけ? 青姦?」


「おいおい。ベルシュ、今日もか? 昨日やったろ。今日はザーラの番だって」


「ふふ、私は三人でもいいですよ……あっ」


 ザーラは俺が話を聞いていた事に気付くと、少し気まずそうにして目を逸らす。


 ここにいても無性に腹が立つだけなので、立ち去る事にした。


 少し離れたところには、朽ちかけの砦がある。煙突からはもくもくと煙が立ち上っているので人が居るのは確定だし、数人の見張りが壁の上をウロウロとしている。


 草を踏みしめ、砦に向かって一人で歩く。一人だから逆に警戒されなくて済んでいると無理矢理ポジティブに考える事にした。


 草が風でさざめく音の中にかすかに荷車の中からの嬌声も聞こえる。


 お楽しみの声から逃げるように砦に真っ直ぐ向かうと、見張りに気付かれた。


「おい! ここは盗賊団のアジトだぞ。悪い事は言わねぇからあっちいけ」


 砦の壁の上から声がかかる。


「悪いがそれは出来ないんだ」


 壁を駆け上がり、見張りの前に飛び出る。着地と同時に抜刀し、見張りを切りつける。


「おい! 敵襲だ!」


 他の見張りにバレるのは想定済み。一人ずつ倒していけばいいのだから。


 壁の上を走り、向かってくる盗賊を一人ずつなぎ倒していく。


 俺は、誰のため、何のためにこんなことをしているのだろう。俺だけが命懸けで戦って報酬は山分け。


 あいつらにいい思いをさせるためではない事は確かだ。そんな事のために冒険者になった訳じゃない。


 バンシィだったらどうだろうか。あいつが馬車でのんびりしていても別にこんな気持ちにはならないはずだ。


 そんな事を考えながら一人ずつ確実に命を奪っていく。


 やがて、砦の最奥部に到達した。


 明らかにこの奥にボスがいると分かる、豪華な扉と厳重な警備体制だが、それも簡単に突破した。


 扉を蹴破る。


 部屋の中に居たのは、一人の幼女だった。フリフリの服にぬいぐるみ。どうも、この部屋で遊んでいたみたいだ。


 その幼女は怯えた様子で涙を湛えながら俺を見てくる。


「お……お嬢ちゃん、ここのボスはどこに行ったんだ?」


「ふ……ふぇぇ……知らない。無理矢理連れてこられたの……」


 部屋の中に誰かが隠れている様子はない。どうやら外出中だったみたいだ。


 下っ端はかなりの数を倒せたので、盗賊団としての力は削げただろう。親玉はまた出直して探せばいい。


「お嬢ちゃん、君を助けに来たんだよ。街に帰ろうか」


「うん! ありがと! ねぇ、抱っこして?」


 幼女は安心したのか、腰が抜けて上手く歩けないようだ。


 腕を伸ばしてくるので、それに応じて抱っこする。


「ほらよ。もう大丈……夫っ……」


 背中に鋭い痛みが走る。じんわりと服を伝う暖かい感覚もセットだ。


 床に倒れ込むと、幼女が俺の顔を踏みつけてくる。


「お前が俺の部下たちを殺したのか。それなりに強ぇみてぇだが、ま、この程度か」


 幼女とは思えない程にさっぱりとした話し方と高い声のギャップに違和感を覚えながらも、これが最後の仕事なのだと気づき、少し安心して血の温かさを感じた。

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