第28話 クロエ・ニクロ②

 連れてこられたのは私の故郷でも一番に高級なホテルの最上階。


 部屋に入ると、細かい装飾があしらわれた家具が広い部屋の真ん中に我が物顔で鎮座していて面白い。


「まずは風呂ね。さ、脱いで」


「え……えぇ!? 一緒に入るのか?」


「私も外を歩いて汗をかいちゃったのよ。女同士なんだし別に構わないでしょ?」


 ヤバいタイプの変態に捕まってしまったという疑いが頭をよぎるが、ココは私には目もくれずにさっさと服を脱いで、高そうな椅子に高そうな服をかけていく。


 下着姿になったココは、余分な肉がついていなくてスラッとしていて、ブクブクに太った商人のイメージとはまるで違っていた。


「何を見ているの?」


「あ……な、なんでもないよ」


 負けじと服を脱ぐが、壁の隅まで清掃の行き届いているこの部屋に私の服を置くのはなんだかとても罪深いことをしている気分になる。


 服を持ってウロウロしていると、ココが近づいてくる。


「これは思い出の品なの?」


「いや、別に……そういうわけじゃないけど、汚いから……」


「風呂から出たら新しい服を着せてあげる。これはもう用済みね」


 ココは私の手から服をもぎ取ると、自分の服の上に重ねて置いた。ゴミのように捨てられるとさすがに自分が汚いと思われているみたいで悲しくなりそうだったが、意外とココは優しい人なのかもしれない。


 浴槽にはぬるめの湯がたっぷりとはられていた。ココは桶を使って自分の身体を流すと、私を隣に誘う。


 ぬるま湯が身体を流れると、反射で少しブルっと震えた。


「冷たかった?」


「あぁ……いえ。大丈夫」


 二人で湯船に浸かっても特に会話は弾まない。


 自分の意志で来たとはいえ、住む世界の違う人ということは明らかなので何を話せばいいのか分からない。


 湯船を伝う波紋を眺めていると、ココから話しかけてきた。


「そういえば、名前は何だったっけ? 聞いてなかったわね」


「クロエ。クロエ・ニクロ」 


「可愛い名前ね」


「おう。ありがとな」


「歳は?」


「今年十六になった」


「じゃあスキルは貰っているのね。何が使えるの?」


「あ……いや……別に……」


「どうしたの?」


 一度口火を切ったココはとにかく質問攻めだ。


「ゴミスキルなんだよ。ただ寝られるだけのスキル」


「ふぅん……そうなのね」


 ココは私の眉間に指を当てる。「なるほどね」と一人で納得しているみたいだが、何について納得しているのかはよくわからない。


「何がだ?」


「何でもないわ。仕事は何を?」


「何もしてねぇんだ。寝られるだけのスキルなんて金にならないからな」


「スキルを使わない仕事もあるじゃない」


「まぁ……そうだけど……」


 強いて言うならやる気が起きないだけ。現状を変えるほどのモチベーションも力もないのだから。


「私は行商人として各地を周っているの。そろそろ商売も安定してきたからどこかに拠点を構えようと思っててね。そうすると、使用人が必要になるわ。屋敷の掃除、警備、事務的な雑用、食事。とにかく人手が欲しいんだけど、まだ一人も良い人がいないのよ」


「大変なんだな。でも仕事とはいえ、こんなところに泊まれるだけ羨ましいよ」


「このホテルよりも豪華な屋敷に住めるとしたらどう? 食事付き。上司は私」


 最初の質問攻めもこのための布石だったのかもしれない。


「私は……こんなんだし、務まらないよ」


「そうね」


 ココは自分の手を流れる水滴を眺めながら相槌を打つ。


「そうねって……じゃあなんで誘ってるんだよ」


「可愛かったから。荷車がパンパンで仕入れる服を悩んでいたのよ。貴女に着せてみて、どれを取捨するか決めたくなったの。綺麗な服を着せたら多分貴女を手放したくなくなるから先に誘っているのよ」


「私は着せ替え人形じゃねぇよ」


「そうね。汚い服しか着ない人形だものね」


「は……はぁ!?」


「そうでしょ? 死ぬために生きている貴女は人形同然。貴女の人生、私が買い取ってあげてもいいわ」


「なっ、何なんだよいきなり!」


 浴槽で立ち上がり、ココに向かって叫ぶ。


 だが、ココは冷静なまま、微動だにしない。たまたま目の前に現れた私の股を凝視してくるので、恥ずかしくなってしまい、振り上げた拳の下ろす先もないままもう一度浴槽の中に座る。


 今度はココが浴槽の縁に腰掛ける。ぬるい湯でもずっと浸かっていると疲れてくるみたいだ。目線的には見下される格好になるけれど、特に不快感はない。むしろ、高いところからココに見られていると安心感すら覚える。


「この街から出たくはないの?」


「まぁ……機会があれば」


「今、目の前にその機会があるわ。貴女のスキルも何も関係ない世界。何を躊躇うことが?」


「何なんだろうな。怖いのかも。この街から……あの親から離れるのが」


「そうなのね。ご両親が厳しいの?」


「厳しいっていうか……めちゃくちゃだよ。アル中の父親は暴力しか振るわないし、母親は逃げたし」


「私もそうだったわ。ベクトルは違うけれどね。たまたま逃げられたのよ」


「私も逃げたいよ……でも、そうしたらあいつは……父親はどうなるんだよ。毎朝早く死ねって思うよ。けど、アル中で孤独な暮らしとか絶対に一人にさせらんないだろ。本当に死んだら泣いちゃうよ」


 自分でも本当にそう思っているのか分からないが、思い通りにならない生活、漠然とした不安。すぐに眠って誤魔化し続けていたものがドバっと溢れ出てきた。


「優しいのね」


 ココは私を真正面から抱きしめる。


「私は血も涙もない商人なの。親すら売り払う、ね。貴女の優しさが欲しいわ。私に向けて欲しい」


「え……いやっ……まっ、まだ会ったばかりだろ? そんな事言われても……」


 ココはすんすんと私の首筋の匂いを嗅ぐと、離れていく。


「それもそうね。クロエ、あがりましょう」


 ココは一人で浴槽から出る。遅れて私も出ると、タオルを投げてよこしてくれた。


「フカフカだな。このタオル」


「プリムという街で生産されているらしいわ。そこの没落貴族が屋敷を手放したがっていて……なんて話はいいわね」


 そこを拠点として買おうと思っていて、みたいな話をしようとしたのだろう。


 さっきまで熱烈に誘われていたのに、急に距離を取ってくるのでそれはそれで寂しさを覚えてしまう。


「どうしたの?」


「あ……いや、良い街なんだろうなって思ってただけだよ」


 ココは嬉しそうに笑うと、タオルを頭にかけて浴室から出ていく。


 またココの後に続いて出ていくと、既にココはクローゼットを開け、鼻歌を歌いながら服を選んでいた。


「さ、端から全部着てもらうわよ」


 クローゼットの中にあったのは三十着はくだらないこの地方の民族衣装だった。身体にピッタリと張り付く素材で身体のラインが良く分かる、少しセクシーな服。


 どれも光沢があって、窓から差し込む光を反射していて綺麗だ。そんな大量の服を見せつけてきながら、ココは不気味に微笑んだ。

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