第27話 クロエ・ニクロ①

「ああっ! ああっ!」


 ベッドに横たわっていると上の階からいつものうるさい声とギシギシと何かが軋む音がする。


「うるさいなぁ……」


 たまにはまどろみの気持ち良さを感じたくて普通に寝ようと思ったのだが、今日もスキルを使わないといけないみたいだ。


 布団に潜り込み《瞬間催眠》を発動すると、一瞬で意識が飛んだ。


 ◆


 ドガッっと腹のあたりに衝撃が走る。


「グッ……ってぇな!」


 目を開けると、無精ひげを蓄えた父が立っていた。手には酒瓶。まだ寝起きで嗅覚は戻ってきていないが、多分今日も酒臭いのだろう。


「おい、クロエ。早く起きて飯を作れよ」


「いってぇ……普通に起こせよ」


「何だよその目は! お前みたいなポンコツが飯を食えてんのも俺のおかげだろうが!」


「水を酒に出来るスキルも大概だろうが! 酒臭ぇやつがでけえ顔すんじゃねぇよ!」


 痛む腹をさすりながら起き上がり、寝室を出て目の前のキッチンに立つ。


 父がスキルで作った酒を気付け代わりに一口含む。好みの問題かもしれないが、あの父が作ったというだけで不味さが倍増する。


 それでも、ほんのり酔うと気分は良くなってきた。なんだかんだで酒を飲めば悩みは吹き飛ぶ。悩ましい時は酒に限る。


 飯を作れと言われたが家にあるのはしなびた野菜と手元にある酒だけ。どう足掻いたところで、出来上がるのは野菜の酒スープだ。


 そんなわけでしなびた野菜をちぎり、そのままテーブルに放り投げる。


「ほらよ。出来た」


「あぁ!? てめぇ、ふざけてんのか?」


「うっせぇなぁ。買ってくりゃ良いんだろ? ったく、もっと稼いで来いよな」


 テーブルに置かれた小銭を乱暴に握りしめ、家を飛び出す。


 寝すぎたみたいで既に日は高い。父が作れと言っていたのは朝飯ではなく昼飯になるだろう。


「あっちぃなぁ……」


 夏真っただ中という事もあり、空気はむせかえる程の暑さだ。


 多分、今日は腐りかけの野菜を格安で売ってもらえるだろう。


 どうせ腹を壊すのは私と父だ。私は寝れば治るし、父は酒で誤魔化すから問題は無い。


 母親は酒乱の父に耐えきれず私を残してどこかへ行ってしまったらしい。


 取り残された私、クロエ・ニクロは毎日好きなだけ寝て、父がスキルで作った酒を売って得た僅かばかりの金で不味い飯を作る毎日を過ごしている。


 幸せか否かと問われれば否と答えるだろう。


 私もスキルを使って生計を立てられれば良かったのだが、大星石ウルサが私に与えたスキルは《瞬間睡眠》。効果は、ただ寝られるだけ。そのせいで仕事もないし金にもならず、家を出る事が出来ないでいる。


 だから、暴力的な父から逃げ出すことも出来ず、フラフラと過ごす毎日が続いている。


 勿論、私のスキルがこの生活において全く役に立たないかと言えばそうではない。寝れば体調は良くなるし二日酔いになったことはないし、寝る前にベッドでグダグダと悩む事もない。


 死ぬために生きる。そんな日々を過ごすにはうってつけなスキルだった。


 今日の悩みも寝れば忘れられるのだろう。


 市場に着くころ、身体の各器官がやっと目覚めてきたようで、じんわりと汗をかき始めた。


 市場の端の方、腐りかけの食材をあちこちから集めている店に向かう。


「おっちゃん。おはよ」


 腐った食材店のおっちゃんはすきっ歯を見せながらニッコリと笑う。


「よう、クロエ。今起きたのか。相変わらずだな」


 おっちゃんはガハハと豪快に笑うと、適当に袋に食材を詰め始めた。


 私が持ってくるのは銅貨一枚だけ。それで適当に見繕ってくれるのだ。


「ほらよ。肉もサービスしといてやったぞ」


「お! ありがとな!」


 中からは腐臭がするし、袋の口のあたりではハエがぶんぶんと飛んでいる。それでも、久しぶりの肉なので嬉しくなり、袋をクルクルと振り回しながら市場を駆け抜けていく。


 人だかりも落ち着いてきたので気を抜いたその時、曲がり角からいきなり出てきた何かとぶつかってしまった。


「あだっ!」


「きゃっ!」


 私とはまるで違うおしとやかで上品な驚き方だった。ぶつかったのは金髪の女の子。私と同じくらいだろう。


 Cの形をした髪飾りの輝き方からして高級品みたいだし、貴族かもしれない。


 こんな貧乏人が集まるような場所に来る人ではないのは確かだ。面倒な事になってしまったと思い、顔を逸らす。


「大丈夫? ケガはない?」


 貴族の娘は私に激高するでもなく、普通に接してくる。私を起こそうと、手袋を取って手を差し伸べてきた。


「あ……うん。ない……です」


「そう、良かったわ……貴女……」


 貴族の娘の目が細まる。やはり何か気に障ったのかと思い、体を強張らせる。


「貴女、可愛いわね。仕事は何を?」


「は……はぁ?」


 いきなり可愛いだの仕事は何だのと聞いてくるので驚いてしまった。世間知らずのお嬢様なのだろう。


「はぁ? じゃないわ。私はココ・アイルヴィレッジ。商人よ。少し話しましょ」


「は……話すって何を? 私と貴族が話すことなんてないぞ?」


「私は貴族じゃないわ。ただの商人。卑しい金転がしなの」


「い……いやらしい?」


 ココはブッと吹き出す。笑った顔はとても朗らかで、恐怖心を一気になくしてくれる。


「まぁ、それでもいいわ。とにかく来なさい。風呂、入ってないんでしょ? せっかくきれいな髪の毛をしているのにもったいないわ」


 面と向かって指摘されると恥ずかしくなってきて前髪を手櫛で梳いて見せるも、油でギチギチになったところを再確認しただけになってしまった。


「どうするの? 来るの? 来ないの?」


「い……行くよ! 」


「いい子ね。さ、こっちよ」


 ココは私の手首を掴むと、グイッと引いてどこかへ向かい始めた。

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