第26話 取り消し
部屋に残されたのは俺とココとクロエ。
クロエがイヴに続いてこっそりと部屋から出ようとしている。
「クロエ、待ちなさい……いえ、待ってもらえないかしら」
「は、はひ!?」
ココが命令口調ではないので、クロエも驚いて振り返る。
「いっ……今は一応主従関係はないでしょ? だ、だから……その……しっ、知り合いよ! 知り合いとして話しかけているの!」
ココも慣れない話し方をしたからか、必死に自分を正当化しながら顔を赤くする。
クロエは泣きながらココに向かって走り、胸に向かってダイブする。
「ココ様! もう一度私を雇っていただけるんですよね!? 嬉しいです! 私、何でもしますから! 夜のお供だって、トイレのお世話だってなんだって!」
「くっ……クロエ……離れなさい! じゃなくて、離れて頂戴……でもなくて……離れてよ!」
ココは犬のようにまとわりついてくるクロエを引き離すと、額の汗を拭う。
「ふぅ……クロエ。貴女はイヴの事を知っていたのね。見事な観察眼だったわ。それなのに、私と来たら……貴女があんなことをするのに理由があるはずのに、それすらも聞かずに首にしてしまった。本当にごめんなさい」
「あー……えぇと……だっ、大丈夫ですよ! 気にしないでください! 私だって、首になったのにココ様の部屋に隠れていたんですから、それでおあいこです」
クロエの口ぶりからして、イヴの正体は分かっていなかったのだろう。ココは大きな勘違いをしている気がするが、何も言わずそのままにしておくことにした。
「クロエ、貴女も私の――」
「嫌です」
クロエはココの要求を聞く間もなく突っぱねる。大方ココはクロエも対等な友人としてもう一度迎え入れたい、と言うつもりだったのだろう。
さすがにココも食い気味に断られると思っていなかったようで、面食らった顔をする。
クロエは自分の意図が伝わっていないと感づいたように「あ! 違うんです!」と慌てて話を続けた。
「ココ様、私のご主人さまはココ様だけですよ。だから、友人にはなれません。楽しそうに笑っている時も、仕事でイライラしているときも私はお側にいます。使用人として。友人だったら離れたくなる時もあるかもしれないですけど、使用人ならそうはいきませんから」
実際の線引きは曖昧なのだろうけど、名目上は使用人として留まりたいとクロエはいう。ココもクロエの意図が分かると、何度も頷く。
「クロエ、ありがとう。貴女の望むようにしましょう」
クロエは「はい」と言うと背筋をピンと伸ばしてココと向き合う。
「では、先ほどの解雇通告は無効に」
「そうするわ」
「後は、契約の中に『契約の解除は双方の合意によってのみ履行される』と追記してください」
「貴女が契約解除に合意する事は無いんでしょうね。私も二度と合意するつもりは無いけれど」
「えぇ。当然です」
二人で分かりあったように笑っているので一安心。部屋を抜けるタイミングを見失ってしまい、愛想笑いを浮かべていると、ココが俺の方を向いてきた。
「クロエ、少し下がっていてくれる? バンシィと話があるの」
「はい。では、お茶と……血痕の掃除も必要ですね。準備してきます。それでは」
クロエはいつもより気合を入れて直角にお辞儀をすると、部屋から出ていってしまった。
俺もココも喋らないので、さっきまでの喧噪が嘘のように静かな空間になる。
忘れないうちにココをスキルで守っておくことにした。いつもつけている髪飾りが適任だろう。
ココの頭に手を当ててありったけの能力を付与する。【防御力強化】【自然治癒】【幻術耐性】、他にも思いつく限り。
「ほら、これでもう死にたくても死ねないくらいに頑丈になったぞ」
「あ……ありがと」
ココは俺の手を優しく払い除けると、モジモジとしだす。
「バンシィ、その……助かったわ……守ってくれて、その……ありがとう」
「いきなりしおらしくなるなよ」
「う、うるさいわね! 私は死にかけたの。まだ心臓が早鐘を打ってるわよ。ほら」
ココは俺の腕を掴むと、自分の左胸に俺の手を当てさせる。柔らかい部分よりは少し上の方なので、変な気持ちにはならないが、ココの鼓動を手で感じる。確かにかなり早い。
「お……おう。本当だな」
顔を真っ赤にして俯くココと、そのココの心音が更に早くなるのを無言で感じているだけの俺。手を離すきっかけも掴めずなんとも気まずい時間が続く。
しばらくそのまま立ち尽くしていたが、一向にクロエは戻ってこない。部屋の前で空気を読んで待っているのかもしれない。
ココの鼓動は徐々にゆっくりになってきた。
「おぉ。落ち着いてきたな」
そう言った瞬間にまたバクンと脈打つ。
「い、いつまで触っているのよ! もういいわ」
パッと振り払われたが、俺も何故か手を離したくなくなっていたので、良い切っ掛けが訪れたと思った。
ココは髪を一度ふりかざすと、呼吸を整えて俺を見てくる。仕切り直せたようだ。
「とにかく、貴方には何度も助けられたわ。ありがとう。恩は必ず返すわ。いつでも好きな事を言ってね」
好きな事と言われてもパッとは出てこない。このままこの屋敷でずっと養ってもらいたいと言ったらさすがに軽蔑されるだろうか。
お礼に何をしてもらうかは保留としておくとして、とりあえず気になる事を雑談ついでに聞いてみる事にした。
「考えとくよ。そういえば、結局イヴとは夜通し何をしてたんだ? ココって女の方が好きだったりするのか?」
ココは想定していなかったと言いたげなあほ面で俺を見てくる。
数秒の思考停止の後、ココは自身の地雷が爆発したかのように顔を真っ赤にする。
「なっ……何を言っているの!? 乳の大きな女も可愛い女も好きだけど、そっ、それはただ可愛い服が似合うし羨ましいからであって……別にそういう好きじゃないし……むしろ性の対象としては……」
テンパってしまい、自分が何を言おうとしているのか気づいたときにはかなり喋ってしまっている。
苦笑いしていると、ココは前に店で弄りすぎたときのように顔を赤くして「あぁぁ!」と叫んだ。
弄りすぎた、と謝ろうとしたとき、ココは俺の方へ突進するように向かってくる。体が接触しても勢いは止まらない。
そのまま両頬を手で挟み、口と口がぶつかった。
「んぐっ……」
ココはしっかり目を閉じている。睫毛がプルプルと震えているのは衝突の反動なのか緊張なのか分からないが、これは多分キスというやつなのだろう。
何をきっかけにやめるのかもわからないまま、しばらくそうしているとココから離れていった。
少し背伸びしていたのか、ココが離れていくにつれて頭の位置が下がっていく。
やがて、俺につむじを見せるように俯いた。
「男とか女とかじゃなく、どの個体が好きかどうかが大事でしょう? 以上! 出ていきなさい」
下を向いたままだが、迫力はいつも以上。
ココの細い指が指している扉に向かう以外に選択肢はなかった。
部屋を出るとクロエがニコニコとした様子で出迎えてくれる。
「何かありました?」
多分、本当のことを言ったらいよいよ殺されかねない。
「何もなかったぞ。あぁ、そうだ。何もなかった」
半ば自分に言い聞かせるようにそう言ってクロエを躱して自分の部屋に向かう。
結局、ココは男と女のどっちが好きなのかわからないままだった。
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