第7話 ココ・アイルヴィレッジ②

 パン屋の屋台の前に立っていると、いつも食べている硬そうなパンの横に、焼きたての柔らかそうなパンが運ばれてきた。


「ココ、いらっしゃい。今日はどうする? いつものやつかい?」


「あー……そう……ですね」


 巾着の中を見ると銅貨が数枚だけ。柔らかそうなパンは高いので、銅貨数枚で買える量では三人で食べたらすぐになくなってしまう。多分明日の朝ごはんの分まで残らないだろう。


 スキルを貰うという人生で一度しかない日。こんなめでたい日はどこの家もご馳走で子供を出迎えてくれるらしい。


 それなのにうちときたら、いつもより種類の多い豆のスープだけ。別に貧乏ではないし、生活に困ってもない。それなのにどうしても満たされない気持ちが沸々と湧いてくる。


「柔らかそうなパン、食べてみたかったなぁ……でも、高いですよね」


「おや、良いんだよ。いくらあるんだい?」


「銅貨が……四枚です」


「じゃ、銅貨一枚で売ってやるよ。これとこれもサービスしてやるからよ。ほら、持ってけ持ってけ」


 パン屋のおじさんはいつも銅貨一枚で買えるパンの量の五倍くらいの量を渡してくる。どれも質がいいやつだ。いつもの硬いパンではない。


「い、いやいや! こんなに貰えないですって!」


「いいんだよ。ココちゃんのためだからな!」


「あ……ありがとうございます」


 山盛りのパンが入った革袋を受け取る。まだ銅貨三枚も残っているし、こっそり自分用の果物を買ってもバレないだろうか。


 お母さんには、いつもの料金でパンをサービスしてもらったと言えばいいだろう。


 そんな風に自分を正当化した私は、パン屋の二軒隣りにある、いつも甘い香りを漂わせている果物の屋台へ吸い込まれるように向かっていった。



 ◆



 結局、大量の果物、塩漬けの肉、生肉、野菜、パン、と前が見えないくらいの食糧を貰ってしまった。


 どの店もサービスをしてくれるし、私が冗談で「タダで」と言ったら本当にタダでたくさんのご飯をくれた。ポケットには使い切らなかった銅貨が一枚残っている。


 今日はなんて幸せな日なのだろう。そういえば私のスキルは《商才》だった。商売上手になれるのかもしれないし、明日からどこかのお店で働かせてもらえないだろうか。肉屋で働いたら賄いとしてお肉を分けてもらえるかもしれない。この街でも楽しく暮らせそうだ。


 ルンルン気分で家に到着した。手が塞がっているためお尻で家のドアを勢いよく開ける。


「ただいま! 見て見て! こんなに貰っちゃった!」


 お母さんが大量の食糧を目の当たりにして目を丸くしている。


「おやまぁ、すごいねぇ。皆お祝いしてくれたのかい?」


「そうだよ!」


「良かったねぇ。そういえばなんのスキルをもらったんだい? 見せてもらうよ」


 両手が塞がっている私の隙をついて、お母さんが私の眉間に指をあてる。


「《商才》……? 一体何だこりゃ。商売をするためのスキルって事かい? もしかして、これもスキルの力で貰って来たのかい?」


「うーん……分かんないけど、そうなのかな?」


 首を右に傾げる。だが、次の瞬間には顔は左を向いていた。パチン、という音と鋭い痛みと共に。


 それが、お母さんに引っ叩かれたという事だと気づくまでしばらく時間がかかった。


「え……な、何? どうしたの?」


 お母さんは目を真っ赤にして震えている。


「わ……わたしゃ悲しいよ。手塩にかけて育てた一人娘が悪魔の使いになっちまったよ!」


「おい! どうしたんだ!」


 奥の部屋から、騒ぎを聞きつけたお父さんが出てくる。


「あんた……ココのスキルを見ておくれ……」


 私から距離を取りながらお母さんがお父さんにそう言う。父さんは渋々私の眉間に指をあてる。


「スキルって……《商才》? なんだこれは! ココ、まさか商人になるのか!?」


「いや……まだそう決めた訳じゃ……」


「それに何だこの大量の食糧は! 母さんが渡したお金で買える量じゃないだろう! 人を騙して商品をくすねるようなスキルってことじゃないのか? 父さんは悲しいぞ!」


「だから、話を聞いて――」


「今すぐ教会に行って懺悔しよう。母さん! 外套を持って来てくれ!」


 お父さんもお母さんと同じようにヒステリックな反応だ。


 そんなに私のスキルが気に食わなかったのだろうか。ただ、商売が上手にできるだけのスキル。おなかいっぱい食べられるし、物に不自由しない生活が送れるというのに。


 お父さんは私の肩を掴んで何度も揺さぶってくる。「目を覚ませ」だの「悪魔よ立ち去れ」だのと散々な言いようだ。


 その時、私の中で何かが切れた。


 結局、この人達は自分の思い通りになる私が好きだっただけなんじゃないか。


 朝だって、今だって、ちっとも私の話を聞こうとしない。


 私は冒険者になりたかった。戦闘系のスキルだろうと、そうじゃなかろうと。


 教会のために一生を捧げる事も、自分のご飯を切り詰めてまで寄付をするような人生もまっぴらごめんだった。


 そんな私の夢を、彼らは一度でも聞いて、受け止めてくれただろうか。


 そんな事は無かった。


 今だって自分に都合のいいように私の想いを解釈している。私は《商才》というスキルを貰って、それを悪用してこの食糧を奪ってきたと言いたげな態度だ。


 商人になるだなんて一言も言っていないのに、彼の中ではそういう事だと既成事実が出来上がっている。


 この人達は、自分の理想の娘、つまり清楚で信心深くて欲が無い、そんな娘が欲しかっただけじゃないか。私がそこから外れようとした途端、態度をガラリと変えて悪魔呼ばわり。


 こいつ等は、要らない。


 こんな生活はもうこりごりだ。


 私は一人で生きていく。


 ポケットから使い切らずに余っていたコインを取り出し、床に叩きつけ、二人を睨みつける。


「アンタ達なんかもう要らない。どこへでも行っちゃえ。奴隷として売られちゃえばいいんだ」


 物凄い剣幕だったお父さんは急に朝と同じ穏やかな顔になる。


「あぁ……分かったよ。行ってきます」


 お父さんは、毎朝のように聞かせてくれる、仕事に行く時と同じ穏やかな声色で家から出ていった。


「あたしも行ってくるよ」


 外套を脇に抱えたお母さんも虚ろな目をして出て行ってしまった。


 別に二人がいなくても良い。私は一人でも生きていけるのだから。



 ◆



 居眠りをしていたのか、ビクッと体が浮き上がって目が覚める。


 クロエもバンシィも部屋から追い出して、応接間でひと眠りしていたのだった。


 ポケットからコインを取り出す。あのときと同じ鈍い色。少し錆も出てきただろうか。服の裾で擦ると、案外汚れが溜まっていたことに驚きを覚える。


 家から出て行った両親はそのまま戻ってこなかった。多分、どこかで奴隷として売られているのだろう。


 もう何年も前の話だから買主は見つかっただろうけど、その後の息災は知らない。知りたくもない。


 今思えばあの時の私は力に酔っていたのかもしれない。


 あの時は気づかなかったけれど、私のスキルはユニークスキルで、使い方次第ではとても強力なものだった。人の心も意志も簡単に操れる。


 そのスキルのおかげで、他の人に比べれば労せずに富を築いた。だけど、そんな私にすり寄ってくるのは金目当てのヒモ男か若い女目当てのおじさんばかり。


 結局、一人でこうやって眠りにつく日々だ。誰も私に本音を見せてくれない。誰も私という人物を見てくれない。


 どうすれば人を信頼できるのだろう。全く分からない。


 唇を突き出し、コインを床に投げると、チリンと高い音がした。


「本音で喋りなさい」


 誰もいない部屋でぼそりと呟く。


 こうやって洗脳して本音で喋らせたところで、それは信頼を築けていると言えるのだろうか。


 そんな訳はない。


 はぁ、とため息をついて、背もたれに身体を預け、もうひと眠りすることにした。


 背もたれだけは裏切らない。私が体重を預けたらきちんと受け入れてくれる。


 だが、体重をかけたその瞬間、バキッっという音と共に背もたれがぽっきりと折れた。


 私は背中から床に叩きつけられる。


「あなたも裏切るのね」


 床に寝転び、バキバキに折れた背もたれを睨みつけながら、椅子に向かって恨み言を呟くのだった。

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