第5話 寂しがり

 ココは靴に続いて靴下を脱ぎ捨てた。目の前に白いおみ足が二本。


「バンシィ。靴下を拾いなさい」


「はい」


 言われた通りに、立ち上がって靴下を拾いに行く。


「誰が手で拾って良いと言ったの? 貴方は犬よ。犬らしく口で拾うのが当然じゃない」


「はい」


 言われた通りに四つん這いになってココの近くに落ちている靴下を拾いに行く。


 口で拾うと、ツンとした酸っぱい匂いが鼻腔に漂う。


 いい気分ではないのに反射的に涎がどんどん出てくる。


「顔を上げなさい」


 ココを向くように顔を上げると、俺の顔に足を押し当ててきた。鼻がグリグリと押されるのでかなり痛い。嗅覚だけではなく、物理的にも鼻が曲がりそうだ。


 ココは何度も俺の鼻に足裏をこすりつけるように動かす。俺が呻くたびに甲高い笑い声を上げながら、嬉しそうな顔で俺を見てくる。


 しばらくそのままの姿勢でいると、満足したのか顔から足が外れる。


「いい子ね。靴下を口に詰めたら椅子に戻りなさい」


 ココがそう言っているのだから俺はそうしなければならない。


 靴下をパンのように口に詰め込み、椅子に座り直す。もろちん、俺は犬なのだから椅子の上でお座りの態勢になる。


「バンシィ、貴方はもう要らない。手放すわ」


 また、チャリンと銅貨の落ちる音がする。


 なぜ俺は椅子の上で犬のようにお座りをしているのか、と驚く。


 さっきまではそうしなければならないと思い込んでいた。だが、今にして思えばそんな事はする義理もない。


「ふぉえ、ふぁひひはんはほ!」


「靴下はもう出していいのよ。貴方は私の物じゃないから」


 そういえば口の中にココの靴下があるのだった。


 引っ張って取り出すと、口と靴下の間で涎が糸を引く。


「俺に何したんだよ!」


 ココは俺の剣幕をいなすように両手のひらを見せてきてヒラヒラと振る。


「スキルを使ったの。私は何でも言い値で買うことができる。人の心も意思も、ね」


 そう種明かしをするココはどこか寂しそうな顔を一瞬だけ覗かせる。


 名前は《商才》なんて言ってはいるが人の心まで操れるのだから、戦闘系スキルで冒険者をするのがバカらしくなる性能だ。


「無茶苦茶なスキルだ……ですね」


「あら。別にさっきみたいな話し方でいいのよ。畏まられるような身分ではないわ。卑しい、金転がしだからね」


 ココはさっきから自虐的な物言いをする。構われたいのか何なのか分からないが、俺からすればそれどころではない。


 ユニークスキルは世界に一人だけに与えられる。そして、ココはそれを使いこなして成功している。


 俺のスキルにも同じ力が秘められているかもしれないと思うと心が沸き立つ。《服飾》も捨てたもんじゃない。


「もしかして……ユニークスキルは凄い力を秘めてるとか、そういう事を伝えたかったのか?」


 ココは自分の意図が伝わったからか嬉しそうに頷く。


「半分は正解よ。スキルは使うほど成長する。自分が思いもしなかった方向に進化を遂げる事もある。私みたいにね」


 そう言って二本の指で硬貨を挟み、俺に見せつけてくるのでまた操られるんじゃないかと恐怖で体が強張る。そんな俺の様子を見てココは満足気に笑う。


「ただ、ユニークスキルは押し並べて強力というわけではないわ。この子もユニークスキル持ちなんだけど、ただ、いつでも寝られるだけなの。寝ても寝ても寝られるのよ。羨ましいわね」


「アハハ……そういう事です」


 ココの視線につられてメイドのクロエの方を見ると苦笑いしている。クロエの能力はただ寝られるだけ。他にそんなスキルを持った人が居るとも、羨ましいとも思えないスキルだ。


「貴方がどちらに転ぶのかはわからない。でも、ひとまずは私が支援してあげる。好きなだけ服を作りなさい。私が全て買い取って売り捌いてあげる」


「有り難い話だな」


「もちろん私にもメリットはあるわ。これは投資なの。貴方のスキルが花開いた暁には協力関係を結びましょうね」


 また硬貨をチラつかせてくるので、本当に『協力』で済むのかは分からない。それと気になることがある。


「もし、花開かなかったら?」 


「その時は使用人として雇ってあげるわ。服を修理できるだけでも役には立つじゃない」


 ココはニッコリと笑ってそう言う。


「ココ様って寂しがり屋さんなので、役に立たなくても雇ってはくれるんですよ。素直に寂しいって言えばいいのに、可愛いですよね」


 クロエが後ろからココを突き刺すような事を言う。当のココは照れて顔を真っ赤にして、プルプルと唇を震わせる。


「くっ……クロエ? あまり調子に乗らないの。下がっていいわ」


「はいはい、失礼しますね」


 主人への態度とは思えない適当な返事を残してクロエが応接間から出ていく。


 何となく二人の関係性が見えてきた。主従関係はあれど、友人にも近しいのかもしれない。


「まぁ……クロエの言うことは適当に聞き流しておいて。ユニークスキル持ちの人を近くに置いておくことに意味はあるの。私の秘密を知っている人だからね」


「なら最初から隠して話せばいいんじゃないのか? 自分から種明かしをしておいて秘密を知っているだなんて言われてもな」


「うっ……うるさいわね! そういう事にしておけばいいのよ! 適当な後付の理由なんだから!」


 顔を赤らめてそう言うココはこの街を牛耳る大商人というよりは年相応な少女に見えた。俺より数個上くらいだろう。


「とにかく! 貴方は服を作り続けなさい! 良質な物も悪質な物も私が売ってあげる! 仔細はクロエに言いつけておくから、明日から仕事よ」


 明日から仕事。俺にやることがある。必要とされている。


 それだけで十分に心が満たされる。


 満たされた心は、不意に俺に涙を流させた。


「ココ、ありがとう。俺……この街に来ても役立たずって言われて、あのまま広場で歯のないおっさんと過ごすのかと思っててさ……怖かったんだ。安心したよ」


「そんな大したことはしてないわ。後、気持ち悪い汁をこの部屋に垂らしたら承知しないから。早くこれで拭きなさい。ここでじゃないわよ。この部屋を出てから拭くのよ!」


 ココの不器用な優しさの代わりにハンカチを受け取り、応接間を出る。


 部屋を出ると、クロエが壁によりかかって待っていた。


「お部屋にご案内しますね」


「あぁ」


「犬、似合ってましたよ」


「やめてくれ。もう懲り懲りだよ」


 クロエは「フフ」と笑うと俺の手を取って自分の眉間にあててきた。


 頭にぼんやりと浮かぶ言葉は《瞬間睡眠》。本当に寝るだけのスキルらしい。


「本当に一瞬で寝られるのか?」


「えぇ。試してみますか? バンシィさんのベッドで」


 クロエはそれがどういう意味なのか分かっているようで、ニヤリと笑う。


「いっ……いや……遠慮しておくよ。会って間もない訳だし」


「ふーん……意外とカタブツなんですね。部屋はそこの階段を上がってすぐの突き当りです。それでは……チッ」


 クロエは俺の行き先を指差すと、一人で反対側に向かって行ってしまった。


 舌打ちも聞こえたしクロエは中々気難しい人のようだ。次は断らない方が良いのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る