第3話 共同生活

 優花ゆうかはハヤテが特別だと知っても怯えたりすることはなかった。この世界の事を知らなかったせいもあるが、ハヤテの私生活を先に見ていたのも大きいだろう。


「味噌もある。これって大根よね?」


「優花って物知りだね」


 ハヤテは大きな屋敷に暮らしているのに、朝昼晩とコッペパンを齧っていたので、そういう世界なのだと思っていた。しかし、街に連れて行ってもらうと、お米や醤油をはじめ肉や野菜など、優花の世界で見る食材は何でも売っている。科学の発展の代わりに魔法が使われているためか時代劇のような町並みだが、生活水準は元の世界と変わらない。


「人間に必要な栄養は、薬草ドリンクと炭水化物だけで十分補えるんだよ」


 ハヤテは得意げに言っていたが、身長の割には細すぎるし、青白い顔をしている。優花のイメージする魔導師そのままだったので、そういうものだと思っていたが、ただの栄養不足だったらしい。


 最初に緑茶が出てきたのは奇跡だったのだろう。後で聞いたら、所長が来たときのために買ってあったらしい。所長にも食生活のことで叱られてきた事が安易に想像できた。


「ちゃんとご飯を食べよう!」


「なんで?」


 優花自身の食事はすぐに自分で変えたが、ハヤテの長年の習慣を改善するのは一苦労だった。最初はかなり強引で、ハヤテを困らせていたと思う。


「優花って魔法が使えたんだね。優花の作るご飯を食べるとフラフラしないんだ」


「……」


 ハヤテが純粋な笑顔でそう言ったときには、さすがに優花も言葉を失った。すでに身体に支障をきたしていたわけだ。



 何でも知ってるのに、なんにも知らない危なっかしい人。それが優花の持つハヤテの印象だ。いつも助けてくれるのに、時々驚くほど抜けていて、そのギャップが優花を惹きつける。


 そばにいてあげたい。彼の役に立ちたい。そんなふうに思わせてくれるハヤテを、優花が特別に想うまでに時間はかからなかった。


 ハヤテもふっくらとして健康的になり、優花の作る食事を楽しみにしてくれていた。優花が居てくれるおかげだと言われて、ハヤテも必要としてくれているのだと勝手に思っていたのだ。だからこそ……



「優花、お待たせ。やっと君を異世界に帰す準備ができたよ」


 ハヤテになんの憂いもない笑顔で言われて、優花は頬を叩かれたような衝撃を受けた。ハヤテは自立した立派な男性で、優花に居場所を与えてくれていただけなのだと思い知ったのだ。


 その姿を見て、『帰りたくない。そばに居させてほしい』と言う勇気は優花になかった。優花はハヤテに頼らなければ、この世界では生きていけない。ハヤテが必要としないなら、役立たずのお荷物だ。


「やっと、帰れるのね。良かった。ありがとう、ハヤテ」


 優花は笑って言えた自分を心の中で褒めた。人間ショックが大きいと理解が追いつかずに、意外と平然としていられるらしい。


「じゃあ、準備をはじめるね。鏡に手をおいてくれるかな」


「うん」


 優花が鏡に手を置くと、笑顔だった鏡の中の自分がどんどん泣きそうな顔になっていく。優花はそんな自分から目を逸らして俯いた。


 早く自分の世界に戻らないと、ハヤテに帰りたくないと思っていることが悟られてしまう。優花は焦って『早く帰りたい』と心の中で何度も唱えた。優しいハヤテを困らせたくない。


「優花、僕はいつまでも君の幸せを祈っているよ」


 そう言われて振り返ると、泣きそうな顔のハヤテと目が合った。


「ハヤテ……」


 気がつくと、優花は懐かしい我が家に戻ってきていた。先程まで傍にいたはずのハヤテの姿はどこにもない。生まれ育った世界に戻れたと分かっても、喜びは湧いてこなかった。


 ハヤテは何であんな顔をしたのだろう。優花は取り返しが付かないことを悟って、頭の中に浮かんだ答えを心の奥にしまい込んだ。

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