第4話 贈り物
幸い祖母が残してくれた家がある。優花はしばらくの間、家に引き籠もって抜け殻のように過ごした。
そんな優花を正気に戻したのは、この世界に戻ってしばらくした頃に鏡の前に突然現れた大きな蟹の足だった。元々の蟹は優花のベッドより大きいだろう。
【毒抜きは済んでいるから、火を通して食べると良いよ。優花は蟹が好きだって言ってたのを思い出したんだ。 ハヤテ】
二度と会えないと思っていたハヤテからの簡潔すぎる手紙には、優花も思わず笑ってしまった。ハヤテの世界の物は、こちらには持ち込めないと言っていたのにどうやったのだろう。きっと、寝食を忘れて研究してくれたのだと思うと、嬉しさより心配が勝った。
【食べた感想を聞かせてほしいな】
それでも、巻紙の最後に小さく付け足すように書かれた言葉にどうしても心が踊ってしまう。小言は心の中に留めて置くことにして、すぐに味見をして感想をしたためた。
鏡にコツンと手紙をぶつけて『届け』と願うと、手紙はスーッと鏡に吸い込まれて消えた。優花の部屋の鏡はまだハヤテの部屋と繋がっている。ハヤテから驚くほど早く届いた返事で、優花はそのことを確認した。
それから二人は世界を跨いで文通を続けた。ハヤテからは時々食材が届き、優花も手料理を送ったりした。
このままでは駄目だと思い仕事も探したが、結局定職に就く気にはなれず、アルバイトをして生活費を稼ぐ日々を送っている。心がこの世界に戻って来ていない。それが優花自身も良く分かっていたからだ。
そして転機になったのは、ハヤテが送ってきた『メデューサの髪』などという恐ろしい食材だった。
【こんなもの、送られても食べ方が分からないじゃない】
【じゃあ、こっちに食べにおいでよ。もちろん、帰りは責任を持って送り届けるよ】
優花は驚いたが、もう一度異世界に足を踏み入れる事に抵抗はなかった。
拍子抜けだったのは、再会したハヤテの態度だ。『メデューサの髪』の天ぷらを二人で食べて、普通に鏡の前で別れた。一緒に暮らしていた頃の気安い態度だ。
「じゃあ、またね」
「うん」
最後に交わした、その短い会話だけが唯一の約束だった。
世界を越えた恋は難しい。一歩踏み込むことで、相手が背負うもの、自分が失うものが多すぎる。
お互いに何も言えないまま、優花が世界を行き来する日々が始まった。ハヤテは定期的に不思議な食材を送ってくる。それに『食べ方が分からない』と返事をし、『じゃあ、おいで』と言われるのがお決まりのやり取りになった。
どう見ても伊勢海老にしか見えない『長ひげ大海老』なるものが送られてきたときにも『食べ方が分からない』と言ってしまったが許してほしい。
しばらくそんなことを続けていると、いつの間にか一往復のやり取りが短縮され、贈り物と共に『食べにおいで』と書かれた手紙が届くようになっていた。
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