父親の居場所

 翌日、いつものようにツバクロ市のセージの倉庫に寄って荷を積み込んだジーシェ号は、朝早くに飛び立って北へと向かっていた。


 船首にある操舵室では、どこか憮然とした表情のシーナが腕を組みながら窓の外を眺めている。立て続けに火をつけている煙草の吸殻が、そろそろ傍らに置いた灰皿から溢れそうになっていた。


 絶滅した昆虫や植物の標本の届け先である、タイジという人物。これがシーナの父親だという。

 シーナのあからさまに不機嫌な表情は、親子の関係性が決して良好なものではないことを物語っていた。


「……私が生まれたのはトガクシ市の普通の家庭だった。父と母は一人っ子だった私を大事に育ててくれたよ。特に父は昆虫が大好きでね。私が今こうして生物学で身を立てているのも、父の影響が多分にあるだろうな」


 昨夜、シーナは夕食が終わると、事務所のソファに深く腰掛けてそう語った。


「だけど幸せな時間はそう長くは続かなかった。私が15歳の時、ちょうどレンと同じくらいの年頃だな、その頃から父がおかしくなった。仕事がうまくいかなくなり、段々と酒浸りになっていったんだ。安い合成酒を毎日昼間から飲んでは自分を見失い、母や私に暴力を振るうようになった。そしてそのうちに、今度は母が死んだ。病気でね、きちんと医者にかかればなんとかなったかもしれない。でもその頃のうちにはもう医者にかかる金なんぞ残っちゃいなかった」


 一言一言をゆっくりと、吐き出すように紡ぐシーナの表情は、ガスランプの心許ない灯りの中でもなお青ざめて見えた。


「結局、私は家を出る他なかった。別人になってしまった父を、育った家を、全て捨てて逃げたのさ」

「どうやって生計を立ててたんだ?」

「ある高名な生物学者に弟子入りしてね、最低限の衣食住だけは面倒見てもらったよ。それでも足りない分は、そうだな、正直に言えば身体で稼いだこともある。だがまあともかく、私は家と距離を置いた。それから父がどうなったかは知らないし、知るつもりもなかったんだが……」

「後悔してるの?」

「半分は後悔と自責の念だろうね。あとの半分は父への憎しみだ。平凡な、普通の幸せな家庭を滅茶苦茶にした男への」


 聞けば、シーナは父親がチョウカイ市へ行ったらしい、ということだけは知っていたようだった。だがそれ以上のことは何も知らない。今回の荷の送り主が、どういうつもりでタイジに標本を渡そうとしているのか、まるでわからないという。

 

 レンはぼんやりと外を見つめるシーナを見やり、その心境に思いを馳せた。

 父親が憎い、というのはどういう気分なんだろう。

 レンには両親がいない。二人とも、レンが物心つく前に事故で亡くなったと聞いている。ゆえに孤児院で育ったレンには、シーナの心境を推し量るだけの経験も知識も無かった。


 チョウカイ市には以前も何度か仕事で訪れたことがある。国内随一のスラムが形成されている、貧困と人間の臭いがする街だ。

 もしかするとシーナの父のタイジは、そういった貧困街の中に住んでいるのかもしれないな、とレンは考えた。アルコールを過剰に摂取し続けた結果、その人間がどうなるかということは、レンも知識としては知っている。アルコール依存症や肝臓の病気になり、場合によっては脳にまでダメージが及ぶこともあるのだ。


 だとすれば、この荷主はどうしてそんな男に高価な標本を送ろうとしているのだろうか。

 シーナが30歳だと言っていたから、恐らくその父親は60近い年齢になっているだろう。その年齢まで身体のことを考えない生活を送っていれば、健康を害していても不思議はない。


 ジーシェ号は、乗組員たちのそれぞれの思いを乗せたまま、沈黙の中で航行を続け、その日の日暮れ近くになってチョウカイ市へと降り立った。

 一日でこの距離を飛ぶのは珍しい。朝かなり早く出てきたことや、途中寄り道もせずひたすら真っ直ぐに目的地を目指したことが功を奏した格好だった。


「それじゃあ俺は倉庫に石炭を降ろしてくる。レンとシーナで個人宛の荷物の配達を頼めるか」


 黄昏時のチョウカイ市の発着場に無事着陸すると、コーが首を回して筋肉の疲れをほぐしながら言った。


「いいけど……僕一人でもいいよ。シーナがお父さんに会いたくないんなら――」

「いや、いい。私も一緒に行くよ。ここまでくる間に覚悟は決めたさ」


 レンが言いかけると、シーナがそれを遮るように宣言した。


 結局レンとシーナの二人は、いくつかの個人宛の荷物を抱えて、チョウカイ市の中をあちこちと飛び回ることになった。

 配達先のほとんどは街中の一般的な家庭である。時折工場宛てのものや、市役所に向けた荷物もあった。

 それらを配り終えた後、最後にレンが抱えていた標本を届けることになった。


「ええと、この住所だと……どこだろう。スラムの外れの方かな」

「そうらしいな。やはりいい暮らしをしてるとは言い難いみたいだ。さあ、行こう」


 シーナに促されてチョウカイ市の街中を下ってゆく。やがて街並みはあばら家やバラックのような粗末な建物がほとんどを占めるようになり、貧困の臭いがそこかしこから漂い始めた。


 レンたちは通りと建物のブロックを数えながら歩いた。山裾に向かって下り坂になっている上に、お世辞にも整備されているとはいえない砂利道である。油断すると躓いて転びそうになりながらも、二人はゆっくりと進んだ。


「15、16、17……。おかしいな、20もブロックが無いよ。向こうの通りかなあ」


 荷物に記載された住所と目の前の景色を代わる代わる見ながら、レンが声をあげる。そこは既に街の外れだった。そこから先は僅かな植物が生い茂る山肌である。気付けば二人は発着場まで戻ってきていた。


「どういうことだ。何か見落としたのか? まあいい、それじゃ誰かに聞いてみようか」


 シーナが辺りを見回し、通りを歩く一人の老人に目を止めると、そちらへと歩み寄った。


「すまない、ちょっと尋ねたいんだが。この荷物の住所はこの辺りか?」

「んん? ああ、これはなあ。もっと下だよ」


 老人はごほごほと咳き込むようにしながら言った。


「下? だけどこの先は――」

「このまま真っ直ぐ降りてみな。そうだな、小一時間もあれば着くだろうよ」


 老人が指差した先には、低木と岩の間を縫うようにして、山を下りながら先へと延びている一本の道があった。


「その住所はな、ここいらの住人は『離れ山』と呼んどる。街の外にある街さ」

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