再会と拒絶、そして別れ

 倉庫での荷降ろしを終えたコーが合流し、三人は尾根伝いに下る荒れ果てた道を下っていた。

 かれこれ30分以上にはなるだろうか。

 振り返れば、先ほど後にしてきたチョウカイ市の街並みはすっかり雲と排煙に覆われて見えなくなっている。


 随分進んだつもりだったが、低木に覆われた視界の向こうには、時折風に吹かれて流れてくる雲とごろごろと転がっている岩の他は人工物のひとつも見当たらない。


「本当にこの先でいいのかな。なんか不安になってきた」

「そもそも、こんな街から離れて暮らそうっていう感覚がわからんな。不便なだけだと思うが。余程人嫌いなのかね」


 レンとコーが軽口を叩きながら歩く後ろからは、思い詰めたような表情のシーナが続く。レンはその様子に気付いていたが、敢えて何か話しかけようとはしなかった。

 きっと色々と思うところがあるのだろう。


「でもさっきのお爺さんの話だと、タイジさんの他にも何人か住んではいるようだったね」

「ちょうどシズが住んでた辺りみたいに、かつての街の名残みたいなところに住んでるのかもしれないな」


 シズというのは、以前コーが吹雪から助けてもらったことのある女性だった。余命いくばくもなかったシズは、コーにかつての恋人への届け物を託したのだ。そのシズが住んでいたのが、オガトー市の周囲に広がる見捨てられて廃墟化した街だった。


 喋りながら歩いているうちに、やがて周囲にある程度の高さの木が増え始めた。

 まだまばらではあるが、街の生活圏を外れたのだ、と嫌でも思い知らされる。耳をすませば蒸気機関の音も人々の喧騒もなく、ただ風が木立を揺するざわめきだけが聞こえてきた。


「ああ、見えてきたな。あの建物の塊がそうだろう」


 やがてコーがふと立ち止まり、見下ろす先にある一群の建物を指さした。

 確かに間違いなさそうだ。僅かに尾根が突き出して小さな頂を形成しているところに、5,6軒の家が身を寄せ合っている。

 一部の家の金属製の煙突からは、灰色の気体が立ち上っていた。どうやら人が生活しているのも間違いなさそうだ。


「ハロスが近いな」


 それまで黙ってついてきていたシーナが、ふと声をあげた。

 言われて「離れ山」の向こうに視線をやると、確かにハロスの厚い層がすぐ下まで迫ってきているように見える。

 実際の距離はなんとも言えないが、少なくとも風の具合によっては吹き流されたハロスが到達してもおかしくないように思われた。


 三人は口数少なに離れ山までの最後の尾根道を歩いた。もうしばらく下り、そして小さな頂上に向けて僅かに登った先に、目的の家があった。

 錆があちこちに浮き出た、薄っぺらい金属の屋根を見上げ、三人は少し顔を見合わせる。それから意を決したように、コーが受取人の家のドアをノックした。


 少し間があって、中から微かに呻き声が聞こえた。だがそれだけだ。

 しばらくそのまま待っていると、また呻き声が聞こえる。よく聞けば、「入れ」と言っているようにも思われた。


 シーナが前に進み出て、おもむろにドアを開く。酷く軋む蝶番が悲鳴を上げ、開いたその向こうには、ワンルームのベッドに横たわる老人の姿があった。


「あんたがタイジさんかい。あんた宛ての届け物を持ってきたんだが」


 コーが声を掛ける。が、タイジは要領を得ない掠れた声で呻くばかりで、こちらを気にする様子もない。目覚めているのかどうかすらも怪しかった。


「どうやら体調はよくないらしいな」


 シーナが吐き捨てると、レンの手から荷物を取り上げ、それをタイジの枕元へと持っていった。


「親父、私だ。わかるか」


 するとタイジは、また微かに、しかし今度ははっきりと、声を発した。


「あんた、なにもんだ」

「シーナだよ。娘だ」

「知らん。俺に娘などいない」


 シーナは呆れたようにしばらくタイジを見つめていたが、やがて勝手に標本の包みを開封し始めた。そして中に同封されていたメモ書きを手に取り読み上げた。


「少しでも元気になるように祈っています――親父の昔の仕事仲間かららしい。売って金にしてもいいってことだろうな」

「どうする。とりあえずは仕事完了ではあるが」

「ああ、戻ろう。だがその前に、近所の人に話を聞きたい」


 それから3人は連れ立って何軒か近隣の者を訪ねた。

 一様に覇気のない、老いさらばえた近隣住民たちの話を総合すれば、タイジはハロスに侵されているのだということだった。

 どうやら一日の大半が寝たきりで、不憫に思った近所の者が交代で最低限の世話だけしてやっているのだという。

 だがほとんど記憶を失っているタイジは、時折ふらふらと山を下ってしまう。大概は少し行ったところで倒れているのを発見されるのだが、そうやって下へ行く度にハロスを少しずつ吸い込み、それが身体を蝕んでいるのだった。


 やがて離れ山を後にして、長い沈黙の帰路を歩いた3人は、ジーシェ号へと戻ってきた。


 重苦しい空気の中で、コーとレンが忙しく立ち働き離陸の準備を整える。


「さあ、帰ろうか」


 コーの一言に、それまで黙っていたシーナが口を開いた。


「すまない。私はここで船を降りようと思う」


   *


「ねえ、よかったのかな。本当に、置いてきちゃって」


 レンはため息をついた。チョウカイ市を発ってからもう何十回目になるかわからない同じ問いである。そしてコーがやはり何度も繰り返した答えを返す。


「仕方ねえよ。本人がそう言ってるんだから。無理強いはできない」


 何年ぶりかで二人に戻った船内は、やけに静かで、蒸気エンジンの響きが大きく聞こえるばかりだった。

 レンは胸中につかえた苦い塊のような感覚を必死に押し殺していた。


 僕は寂しいんだ。否定しても仕方がない。シーナがジーシェ号を離れたのが、まだ受け入れられないんだ。


 シーナは結局、父親を見捨てることができなかった。

 当たり前の話だ。いくら憎んでいたとはいえ、記憶を失い、毒に侵され、死が迫りつつある父親を一人にしてはいけないだろう。


「もしかしたら、何年かすれば戻ってくるかもしれん。気長に待とうや」


 コーが慰めるように言って舵を回した。

 ジーシェ号がそれに呼応して進路を少し曲げる。


 もうすぐジョーネン市に着く頃だ。レンは浮かんでくる涙を悟られまいと、一人で仮眠室へと向かう。

 切り替えなきゃ。

 仲間ではあったけど、シーナは自分のやるべきことをやるんだ。仕方ない。


 仮眠室では、無理やり設えた三つ目のベッドが、いなくなってしまった主を待って船と共に揺られていた。

 レンはそこに突っ伏すと、3秒だけ、自らの目が涙を流すのを許した。

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