検問と献品

 平穏な一夜が明け、ジーシェ号は再び北へと向かっていた。

 相変わらずの曇り空である。凍えるような寒さが船の中にも染み込み、蒸気エンジンの排熱を利用した暖房システムが必死にそれを温めようとしていた。


 結局バンダイ市には、追手も、トラーフド社がばら撒いている人探しのビラも、入り込んではいないようだった。

 捜索の手が伸びていないのだろう。

 だとすればここから先はあまり神経を尖らせなくてもよさそうだった。


 四人と九つの大樽を乗せたジーシェは、一日中列島の上を飛び続け、やがて北の大地を本土から隔てる海峡の上に差し掛かった。

 窓から見る海の上はハロスが切れており、波が大きくうねっているのがこの高度からでもわかる。白い波頭が幾重にも折り重なり、まるでレースの刺繍のようだった。


「ハロスが水の上には滞留しないのはなぜなんだろうな」


 窓から海を眺めていたシーナが誰ともなく呟いた。


「水のせいか。風のせいか。シーナにもわからないんだな」

「聞けば船で海へと出て、ずっと海上で暮らしている人間もいるらしい。本当かどうか知らないけど。だが少なくとも、それだけ水域がハロス浄化のヒントになるかもしれないってことだ」


 レンはそういうものか、とひとり納得しながら海峡を見下ろした。海には魚という生き物が生息しており、その多くは実に美味いと聞いたことがある。

 生憎レンは生まれてこの方見たことすらなかったが、肉より美味いなら一度食べてみたいな、と考えたところで、腹がすいていることに気が付いた。


「ねえ、夕飯はどうするの。僕もうお腹すいてきた」

「そうだな、トムラウシ市で何か食えればいいんだが……紛争地帯の真っ只中だからなあ。その辺、どうなんだ。状況は」


 コーが話を振ると、レンと同じように海を見下ろしていたメロが振り返った。


「うーん、少なくともお店とかは難しいと思う。あたしがいた頃はほとんどやってなかったから。トーナムの本拠地までいければ、何かお礼にご馳走できるとは思うけど……でも美味しいものが出せるような状態じゃないわ」

「そうなるとメロを送り届けてから引き返すしかないか。遅くなるけど――おや、何か来るぞ」


 突然コーが立ち上がり、前方の窓に近寄った。

 他の三人もつられてそちらを見る。暮れかけの薄明りの中で、向こうから真っ黒の飛行船が1隻、こちらへ向かって来るところだった。


「すれ違うのか? いや、違うな、何か旗を出してる。止まれってことか」

「トラーフドじゃないよね?」


 レンが尋ねると、メロが首を振った。


「違う、あれ政府軍の船だわ。どうしよう。あたし、顔が割れてるのよ。見られたらまずいことになるかも」

「本当か。なら隠れるしかないな。止まらずに突っ切れば撃ってくるかもしれん。おい、シーナ、メロを隠してくれ」

「わかった。メロ、こっちへ」


 シーナは身を翻して、メロを連れて荷室の方へと消えていった。

 樽の中に隠すつもりだろう。万一船内を調べられたときのことを考えれば、それ以外に隠れる方法はない。


 やがて黒い政府の船は、スピードを落としたジーシェの側方に回り込むと、船体を平行に横づけして停止した。


「連中、乗り込んでくる気だ。扉を開けろと言ってる。仕方ない、開けるぞ。落ちるなよ」

 

 コーは苦々しげに吐き捨てると、ゴンドラの扉を開け放った。


 雪交じりの冷たい空気が吹き込んでくる。政府の船からはタラップが渡され、命綱をつけた兵士が3人、凍えるような海の上空を歩いて入ってきた。


「すまないが政府の検問中だ。ご協力願おう。この船の船長は。北へ行く目的は何か」


 重々しい声で、たっぷりと髭を蓄えた初老の男が告げた。


「船長は俺だ。コーという。この船はジーシェ。運送業者だ。アサヒ市へ荷物を運ぶところだ」

「運送船か。積み荷は」

「ウィスキーだよ。上物だぜ」


 コーが答えると、初老の男はふん、と鼻を鳴らした。


「ウィスキーだと?反政府軍の連中にか?いい気なもんだな」

「ダイセツ自治区への運送はまずいのかい?俺たちは荷主に頼まれただけだから、こっちの状況はあまりよく知らないんだが」

「このあたりが紛争地帯だということは知っとろう。だがまあ、そうだな、反政府軍にウィスキーを届けちゃならんということにはなってない。我々も武器の類が無ければ通していいと命令されてる」

「そりゃありがたい。届けられなかったとなれば信用に関わるもんでね」


 コーはホッとした様子を見せた。いや、事実内心でも胸をなで下ろしただろう。それはレンも同じだった。ここで拘束されたり荷物を取り上げられることはなさそうだ。


「だが、荷は改めさせてもらうぞ。武器を隠してるかもしれんからな」


 それを聞いて落ち着いていたレンの心臓が再び早鐘を打ち出した。

 荷物を改めるだって?それじゃメロが見つかってしまう。


 ちらりと盗み見ると、コーも同じことを考えているようだった。眉間に少し皺を寄せ、顎ひげをせわしなく撫でている。

 そして政府軍の男たちが荷室に向かおうと歩き出したところで、コーがそれを遮った。


「待て待て。まさか樽を開けようってんじゃないだろうな」


 男たちはそれには構わず、ダイニングを通過して荷室へと入っていった。


「いかにも。中身を確認しなければ何の意味もない」

「冗談じゃない。おい、上物のウィスキーだと言っただろ?樽を開けられたらダメになっちまう」

「だが規則だ。中を見せないならここで引き返してもらう」

「そうはいくかよ。こっちだって商売だ。品物をダメにされたら仕事にならん。あんたら政府の人間だろう?民間人をそうやって虐めていいのかい」


 早速手近にあった樽に手をかけた男を制し、コーはなおも食い下がった。荷室の隅ではシーナが成行きを見守っている。

 懐に手を入れているのはそこにモデルガンが入ってるのだろう。

 レンはシーナを目で制した。そんなもの出したらダメだ。争ったら勝ち目はない。


「しかしだな、反政府軍への支援物資は重罪になる。見逃すわけにはいかん」

「待てって。ちょっと待ってくれ。わかった。それじゃこうしよう」


 コーは初老の男の耳元に口を寄せ、何かを囁いた。

 男の眉が少し上がる。それから口の端をにやりと歪めて笑ったように見えた。


「ほう。お前、なかなか世渡りがうまいな」

「こっちだって必死さ。なにせ大金がかかってる」


 それからしばらく、初老の男は何か考え込んでいるようだった。やがて大きくため息をつくと、コーに向かって告げた。


「ふた樽だ。それで通してやる」

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