戦禍の街(第4話完)
「賄賂を渡したってこと?ふた樽もあげちゃってよかったの?」
政府の黒い飛行船が、ジーシェから巻き上げた2つのウィスキー樽と共に離れていくのを見ながら、レンが言った。
「よかねえよ。だけど仕方ないだろう。あのままじゃ全部の樽をダメにされた上に、メロまで見つかってたんだぞ。そうなれば最悪、俺たち全員捕まってもおかしくなかった」
「必要経費ってわけだ。でもおかげでメロは無事だったし、我々もなんとか通過した。よしとしようじゃないか」
シーナが飄々と言い放つ。その隣では、横倒しになった樽からメロが這い出てくるところだった。
「ごめんなさい。あたしのせいで……全部でみっつも樽がなくなっちゃった。なんとかして弁償するわ」
服の乱れを整えながらメロが深く頭を下げるのを見て、コーは笑った。
「そうしてくれるならありがたいけどな。だが戦争中の連中から金は期待できねえだろ。仕方ないさ。今回は運が悪かった」
「コー、あんたやっぱりお人よしだな。いいよ、明日から私の分は1日2食に減らしてくれて」
シーナが笑うと、レンも頷いた。
「僕もそれでいい。それよりもうすぐ着くんじゃない。ほら、煙が見えてきた」
窓の向こうには厚く垂れこめた雲とははっきりと違う、街の煙が立ち上っているのが見えていた。
ダイセツ自治区の街々の煙だ。
いつのまにか外は激しい雪になっている。日暮れが近くなり、街の灯がこの距離からでもやけに眩しく映った。
レンが隣を見ると、メロは少し目を潤ませながら、遠くの光を懐かしそうに眺めている。
そうだ、彼女は帰ってきたんだ。
そこに見えるのは、例え紛争中であっても、間違いなく彼女の故郷だった。
*
アサヒ市にある反政府軍トーナムの本拠地は、埃っぽくあちこちにある隙間から凍てつくような寒気が吹き込む、古びた建物だった。
「メロから話は聞かせてもらった。大変世話になった。ありがとう」
ケニはコーたちが食事をとっている部屋に入るなり、深々と頭を下げた。
薄暗いガスランタンの投げかける光が、彼の彫りの深い顔の陰影を益々際立たせている。オールバックに撫でつけられた漆黒の髪の毛に灯りが反射し、微かに煌めいた。
「あなたたちがいなければ、メロは帰って来れなかったかもしれない。そうでなくともあとひと月も遅くなっていれば、戦況が大きく変わっていただろう。だがあなたたちのお陰で、政府軍の新兵器への対策が取れる。我々はまだ戦える」
「やめてくれ。少なくとも俺たちは戦争に加担するために来たわけじゃない」
コーが眉を顰めて言うと、ケニは少し笑みを見せた。
「わかっているさ。これは我々の問題だ。我らの故郷を守り、同胞たちを守る。それは我々自身の仕事だ。だが、それでも、あなたたちは救世主なんだよ」
チーズを挟んだ固いパンを齧っていたシーナが、ふん、と鼻を鳴らした。少なくともジーシェ号は、トーナム側でも政府側でも、どちらの味方でもない。
ただこの街に届け物をしただけだ。
「戦争はまだ続くんですか」
レンはケニに尋ねた。例え一時だけでも、同じ船で飛んだ仲間だ。メロには生き延びてほしい。それは口に出さないまでも、レンの心からの希望だった。
「そうだな。哀しいことだが、まだ続くんだろう」
「終わらせられないんですか? メロは――この街は、これからどうなるんでしょう」
「この戦いの行く末なんて誰にもわからないよ。ただひとつ、言えるのは、故郷を失ってしまえば、我々にとっては死んだも同じだということだ。だから戦う」
懐から取り出したボトルを口にして、ひとつ喉を鳴らし、ケニはそう告げた。それは確固たる意志を秘めた、揺るぎないものだった。
「わかっているさ。戦争なんて誰も喜ばない。ましてやあの忌まわしい大戦から百年と経っていないんだ。バカげてるなんてことはわかってる。何より平穏を望んでいる俺が、よりによって次々と死者を生み出しているんだ。こんな狂ってる話があるか」
「メロはあなたのことを――」
「言うなよ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だけど俺みたいな汚れた人間はな、きっとこの戦争が終わる頃には消えてなくなってるのさ」
ケニは悲しい目をして遠くを見つめていた。
レンはそれ以上何も言えず、ただ黙って食事を口に運んだ。誰も望んでいない戦争。誰もが望んでいる平和。大いなる矛盾だ。
やがてささやかな食事が終わり、ジーシェが残った7樽のウィスキーと共に飛び立とうとしているところへ、メロがやってきた。
「みんな、ありがとう。いつかあたしたちの故郷が平和になったら、遊びに来てね」
「そうだな。楽しみにしてるよ」
シーナがメロに微笑みかけると同時に、係留索が外され、ジーシェはふわりと浮きあがった。
「さあ、俺たちの本業に戻ろうか。アカイシ市へ戻るまでに、3樽分の言い訳を考えておかなきゃな」
コーがわざと明るい声で言った。
どこか遠くの空に、微かに銃声が響いた。
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