捕虜の疾駆

 山頂を囲むように形成された特徴的なオーミネ市の姿が見えてきたのは、初冬の短い日がだいぶ傾いてからのことだった。


 密航者は結局ダイニングの椅子にしっかりと縛りつけられ、時々呻き声をあげる他は大人しくしている。

 捕らえられてからというもの、ジーシェ号の三人が入れ代わり立ち代わり女に事情を聞こうと頑張ったが、結局一言も喋ろうとはしなかった。


 レンはテーブルを挟んだ向かい側に腰かけ、遠慮なく彼女の姿を子細に眺めまわした。とりあえずオーミネ市に到着するまでの見張り番というわけだ。格闘を繰り広げているうちにずれた襟巻から、形のいい鼻や控えめな口元が覗いていた。


 コーもシーナも、着陸の準備のため操舵室で忙しく動いている。

 手の中に持たされているモデルガンをくるくると回しながら、レンはこの闖入者について考えを巡らせた。


 やはり見たところ、自分と同じくらいの年のようだ。

 何か事情があって密航していたのだとしたら、力になってあげてもいいんだけど。


「……ねえ、なんか言ってよ。どうしてあんなところに隠れてたのさ。もしかして人買いから逃げてきた、とか?」


 レンが何度目かもわからない質問を投げかけると、女はこれまでと同じようにふん、と鼻を鳴らして目を背けた。


「さっきのね、女の人、シーナっていうんだけどね。君と同じように荷物の中に入ってたんだよ。僕たちが運んでた箱の中に。まあシーナの場合は誰かに襲われて箱に入れられたんだけど」


 女は相変わらず顔を伏せ、聞いているのかどうかもわからなかったが、レンは話を続けた。


「それでまあ、色々あったんだけど、結局今は一緒にこの船で働いてるんだ。コーは面倒見がいいから、何か事情があったなら話してみた方がいいよ。助けになれるかもしれない」


 するとそれまで黙り込んでいた女がようやく口を開いた。


「あんたたち、何者なの。運送業か何か?」

「そうだよ。僕らは運送屋だ。この船はジーシェ号」

「そう。じゃああたしには関わらない方がいいよ。まあ、どっちみちもうすぐお別れみたいだけど。着いたんでしょ? オーミネ市」


 その言葉にふと気が付くと、窓の景色が変わり始めていた。

 街の煙が空に漂っている。船体も少し前傾し、高度を下げているのがはっきりと感じられた。女の言うとおり、オーミネ市に到着したらしい。


「どうしても話すつもりはないってことね。まあいいや。君がその気なら、それで」


 レンは立ち上がると、操舵室の様子を見にダイニングを出た。レンの姿を見たシーナが、コーの手元からそちらへと視線を移した。


「どう? 何か喋った?」

「あたしには関わらない方がいい、だってさ。コー、どうするの? 警察に連れてく?」


 レンの問いかけにコーが溜息とともに頷いた。


「他に方法もあるまい。本当はひと樽分の損害を弁償させたいんだけどな。警察にも届けは出すが、まあ戻ってこないだろう。金を持ってる奴が密航者にはならないだろうし」


  *


 オーミネ市の発着場にジーシェを着陸させた三人は、少し話し合ってレンとシーナが女を連れて警察へと向かうことに決めた。コーが残って荷の確認をしたいと言ったためだった。

 それもそうだろう。高級品の樽がひとつ台無しにされたのだ。

 他の樽にも同じようなことがあってはたまらない。


「だけどさ、どうして気付かなかったのかな。荷物を積み込む時にはもう隠れてたんでしょ。そしたらその時に気付いてもいいようなものだけど」

「そうだな。荷積みの時には駆動台車を使ってたし、何より作業員が十分な数いたからだろう。一人でふたつ運んだ奴がいれば重さの違いに気付いただろうが、一人ひとつしか運んでなきゃ気付きようがない」

「ああ、そっか。シーナ頭いいね」


 レンとシーナは、雑談を交わしながら街中を歩いた。

 レンの右手にはしっかりとロープが結わえられている。その先には勿論、密航者が後ろ手に縛られたまま繋がれていた。


 人目が少し気になるが、こればかりはどうしようもない。


「倉庫で保管されてる間に、中のウィスキーを抜き取って入り込んだってことだよね、きっと。勿体ないことするなあ」

「確かあの荷物は倉庫で3日くらい置いてあったと聞いたからな。まさか倉庫に運び込まれる前からいたわけじゃなかろうし、よく潜り込めたもんだ」


 二人は話しながらも時折前を歩く女の様子を窺う。しかし女はレンたちの会話が聞こえているのかいないのか、何の反応も示さずにただ黙って歩くだけだった。


 山頂をぐるりと一周する大通り沿いに、オーミネ市の警察署が建っていた。

 遠目には周囲の建物と同化して見つけにくい。一行は一度は気付かずに通り過ぎてしまい、しばらく進んでから引き返す羽目になった。


「なんだよわかりにくいな。もう少し目立つようにしといてくれればいいのに……」


 シーナがぶつくさと文句を言いながら踵を返したときだった。

 繋がれたままの女がはたと足を止めた。


「どうした?早く進めよ」


 後ろから背中を押そうとシーナが近づいた。

 次の瞬間、女が走り出した。腕に巻きつけたロープに引きずられるようにしてレンが後を追う。いや、追わされると言った方が正しい。女は両手を後ろで縛られているとは思えないほどのスピードで近くの路地に飛び込むと、そのまま急な坂を駆け下りた。


 追いかける二人は必死になってロープを引き、女を止めようとする。

 しかし下り坂で勢いのついた小柄な身体は止まらない。踏ん張りが効かず、結局ずるずると半ば滑るように後をついていくだけだ。


 路地を駆け抜け、右へ左へと何度も曲がり、500メートルは走ったと思われる頃、安っぽい小さな宿のすぐ脇の暗がりに飛び込むと、ようやく女はそこで停止した。

 なんとか追いついたレンもシーナも息を切らせてしゃがみ込む。


「な、なんだったの。ねえ、にげ、逃げるつもり、だった、の?」

「違う。あ、あいつらが、いた、から」


 何とか声を絞り出したレンに対し、女はやはり荒い呼吸の中で答えた。


「あ、あいつらって?」

「あたし、を、お、追ってる、連中」


 まだ息の整わないレンとシーナはそれを聞いて顔を見合わせる。

 追われているだって? レンは口の中で呟いた。一体誰に追われているというのか。


 レンはジャケットの前を開いて冷えた外気を服の中に取り込んだ。今の全力疾走ですっかり汗をかいてしまった。

 額に浮かぶ汗が冷たい空気に晒されて頭の熱を奪っていく。

 ようやく呼吸が落ち着いて来て、少し冷静に考えられるようになった。


「そうか、つまり追われているから隠れるためにうちの荷物に潜り込んだんだ。そういうことだね?」


 レンが尋ねると、女はこくりと頷いた。

 そのぱっちりとした大きな目には不安の色が浮かんでいるように見える。


「何をしたんだ?なぜ追われている?」


 白衣のポケットから煙草を取り出して咥えながら、今度はシーナが質問した。オイルライターを擦って火を点け、まだ少し荒くなっている呼吸を鎮めるように大きく煙を吸い込む。

 女は少し煙そうに顔をしかめながら、ぽつりと呟くように言った。


「あたしを捕まえて殺したいの。敵だから」


 それっきり再び黙り込んだ女に、レンは少し心を動かされた。

 もしかして、この子は悪人じゃないのだろうか。追いかけられて、それで仕方なく密航した。だとすれば、警察に突き出すより助けてあげた方がいいんじゃないか。


 そのとき、大通りの方からばたばたと走る音が聞こえてきた。

 ブーツでも履いているのだろうか、固い足音だ。続けて、このあたりの筈だ、探せ、という男の怒鳴り声。


 それでレンは事態を察した。

 どうやらこの子を捕まえようとしている連中が近くに来たらしい。


 どうする、と自問する。事情は分からないが、このまま連中に身柄を渡していいとは思えなかった。


「シーナ、どうしよう」

「そうだな。一度ジーシェに連れて帰ろう。コーがどう判断するか、聞いてみようじゃないか」

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