正体

 男たちの足音が去っていくのを待って、三人はそっと隠れ場所から移動を開始した。

 とはいえ、女の手には相変わらずロープを結び付けたままである。今のところ、可能性は五分五分だとレンは考えていた。

 

 すなわち、助けるべき相手か、それとも助けるべきではない人物か。


 今いる路地は前も後ろもそれぞれ大きい通りに抜けている。真っ直ぐ進めばオーミネ市のメインストリート、後ろに進めば裏通りだ。

 どちらもドーナツ状の街の形に沿ってぐるりと円を描いている。つまり、どちらの通りに出てどちらに曲がろうとも、いずれは発着場へとたどり着くことはできる。


 レンは少し考えて裏通りを行くことにした。

 

 特に深い理由があったわけではない。

 ただ、この女の処遇をどちらとも判断しかねる状況の中で、先ほどの追手にはまだ見つからない方がいいだろうということ、そして裏通りの方が目立たなそうだ、という根拠のない推測に任せた形だった。


「――大丈夫。とりあえずは近くにはいないと思う」


 裏通りへ出る角で慎重に左右を確認したレンが告げると、三人は路地を後にして右へと曲がった。

 先ほどまでとは違い、女はレンとシーナの後からついてくるようになっていた。

 追手と出くわすのが怖いのか、ほとんどシーナの影に隠れるようにして歩いている。


 相変わらずレンの手首とロープで結ばれてはいたが、彼女は不平ひとつこぼさずに黙って二人と歩調を合わせていた。


 辺りはそろそろ夕暮れが迫り、薄暗くなってきていた。

 ぽつりぽつりと立っているガス灯に火が入り、ぼんやりとした明かりを漂う排煙に投げかけている。道行く人々は皆一様に上着の前を掻き合わせ、背中を丸めるようにして歩いていた。


「もう日が暮れるね。今夜はこの街で一泊かなあ」

「そうできればありがたいんだけどな。この女を連れて、どこに泊まるっていうんだ? そもそも寝てる間の見張りも必要だろうし」


 シーナがやれやれ、といったように息を吐き出した。その息が煙草を吸っているときのように白く濁り、辺りの排煙や蒸気と混ざり合って消えた。


 裏通りには比較的食料品や日用雑貨を売る店が多いようだった。住宅と混じって立ち並ぶそれらの店先には、仕事を終えた街の住人たちが群れていた。

 その中には誰かを探しているような男たちの姿は見えない。


 人混みを縫って歩いて行くうちに、やがて三人は少し賑やかな場所に出た。

 どうやら酒場や飲食店、さらにはいかがわしい夜の店などが建ち並ぶ界隈らしい。早くも酔っぱらった男たちの声と、寒い中にも関わらず脚や肩を露出した女たちの客を呼ぶ声が混じり合い、独特の雰囲気を醸し出していた。


 レンは歩きながら少しどきどきしていた。

 こういうところを夕方に歩く時には気を付けろ、とコーに昔言われたのを思い出した。あまりまともではない人間も多くうろついているから、ということらしい。


 実際、あちこちの暗がりに佇むまともではない恰好の夜の女たちが目に入ると、それだけでもなんだかいけないことをしているような気がしてくる。

 ふと隣を見ると、シーナは平然とした顔で意にも介さずに歩いている。

 一方の密航者はといえば、ほとんど顔を伏せて俯いたままだ。


 どうやらどぎまぎしているのは自分だけらしい、ということがわかり、レンは少し恥ずかしくなった。

 一人前の飛行船乗りならこのくらい平気にならないと。


 なんとかきょろきょろしないように顔を上げ、ガラス張りのレストランの前を通り過ぎる。店内には明かりが煌めき、客たちが思い思いに食事をしている様子が見て取れた。


 ふと、そのガラスに貼ってある一枚の紙が目に留まった。


 あれ、この紙見覚えがあるな――?


 レンは少し足を止めて、貼り紙をしげしげと眺めた。

 そこには大きく、捜索中、と書かれ、その下には探している人物の特徴が列記されている。

 

「おいレン、どうした。何かあったか」


 先に進もうとしたシーナも立ち止まり、レンの方を振り返った。


「ああごめん。ちょっとこの貼り紙、見覚えがあるなって思って。なんだっけ、最近――」

「うん? これは――確かイシヅチ市でコーが受け取ってたやつじゃないか」

「あ、そうか。それだ。なんか誰かを探してるって言って……」


 そこまで言ってレンは口を閉じた。

 ここに書かれた特徴、これはもしかしてこの密航者のことじゃないか?


 もう一度貼り紙を読む。

 背の低い、若い女。赤毛で肩くらいの長さを後ろで縛ってる。グレーのワークパンツと、紺色のロングコート。


 服装は異なるが、髪や身体的な特徴はぴったりと一致する。

 しかも本人も、追われている、と言っていた。もしそうだとすれば、彼女を追いかけているのは、あのイシヅチ市で見かけた、軍服のようなごつい恰好の男たちということになる。


「ねえ、これ、この貼り紙ってもしかしてこの子のことじゃないの」

「どうやらそうらしいな。こりゃ詳しく聞き出す必要がありそうだ」


 シーナは辺りを見回し、自分たちに注目している視線がないのを確認すると、店先の貼り紙を剥がし取る。店のガラスに微かに糊の跡が残った。


「さあ、急いで戻るぞ。聞きたいことが山積みだ」

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