密航者
「樽の中に誰かいる? 勘違いじゃないのか?」
「そんなことないよ。僕もシーナも間違いなく聞いたもの」
荷室にコーを連れて行きながら、レンは声を顰めて主張した。
コーはつられて足音を立てないように気を付けながら荷室へと向かう。船内には蒸気エンジンの立てるしゅうしゅうという音だけがこだましていた。
問題の樽の前に並んで立ち、三人はしばし息を殺してその場に立ち尽くした。
どうしたものか、と思案しているコーと、樽を見比べながら、レンもシーナも困り顔である。
中に誰かが隠れているとして、その人物の処遇をどうするべきか。
いや、そもそもがどういう人間なのかも定かではない。もし危険人物なら果たして自分たちだけで対応ができるだろうか。
レンの考えを見透かしたように、シーナは白衣のポケットからモデルガンを取り出して構えて見せた。いざとなったらこれを突きつけて脅してやろう、ということだろう。
やがて意を決したように、コーが問いかけた。
「おい、誰か中にいるのか」
しばらく待つが返事はない。
ただ蒸気が吹きあがる音が響いているだけだった。
コーはレンに目配せすると、樽にそっと手をかけた。
レンも同じように反対側から手を添える。そしてコーが口の動きだけで、せーの、と発したのに合わせて、樽を荷室の床へと横倒しに転がした。
鈍い音を立てて板張りの床に樽が倒れる。
すぐさまコーが蓋を足蹴にした。先ほど確認したとおり、きちんとはまり込んでいなかった木の蓋が、簡単に外れて転がった。
次の瞬間だった。
蓋の外れた樽の中から、一人の人間が転がり出してきた。
赤みを帯びた髪を後ろでひとつに縛り、口元から鼻までは襟巻で隠している。丈の短いボタンシャツに、カーキ色のオーバーオール。鋭い眼光の小柄な女が荷室の床に片膝をつき、三人を睨み付けていた。
一瞬、呆気にとられていた三人だが、最初に動いたのはシーナだった。
「おい、手をあげろ。大人しくするんだ」
手にしたモデルガンを女の顔の前2メートルの位置に構え、女を威嚇する。
コーとレンがゆっくりと女に近づこうとした。
突然、女が雄叫びを上げながら走り出した。
低い姿勢から板張りの床を蹴って一気にシーナとの距離を詰める。一瞬シーナが怯んだ次の瞬間には、女の蹴り上げた右足がモデルガンを弾き飛ばしていた。
シーナが咄嗟に後ろに飛び退る。とはいえ、辺り一面に樽が並べられている狭いスペースである。その距離はせいぜい数十センチといったところだった。
コーとレンは慌てて女を取り押さえようと、左右から飛びかかった。すかさず女が身を捻りながら反転し、レンに向かって右の拳を突き出した。間一髪のところで拳が空を切る。すると女はその拳を横に薙ぎ払い、振り回すようにして逆側のコーの顔面に叩き込んだ。
「くそ! おい、大人しくしろ!」
コーが殴られた鼻を抑えながら、大声で叫んだ。
しかし女は狂ったように暴れまわるのを止めようとはしなかった。
レンの足に蹴りを入れ、振り返ってシーナを突き飛ばすようにしながらダイニングへと走り出す。
樽の間をすり抜けながら逃げ出した女を、三人はそれぞれに痛む箇所をさすりながら追いかけた。
「おい! 待てっていうのに!」
「コー、三人で一斉に飛びかかるぞ。相手は丸腰だ。ぶん殴られる程度で済むだろ」
やはり鳩尾の辺りを抑えて呻きながら、シーナが叫んだ。
女はダイニングを通り過ぎ、操舵室へと逃げ込んだ。コーたちは足早にそれを追う。
とはいえ慌てることはないのだ。ここは上空3,000メートルの空の上である。どうやっても逃げる場所はない。
操舵室では、行き場を失った女が窓を背にして身構えていた。
三人は再び女と対峙すると、少しずつ距離を縮めていった。
よく見ればまだあどけなさの残る顔つきだった。もしかして僕と同じくらいの年じゃないだろうか、とレンは思った。15歳か、あるいはもう少し上だろうか。襟巻から覗くこちらを睨みつけている双眸は、鋭いながらもどこか可愛らしさが見え隠れする。
じりじりと距離を詰めていくと、女はやがて観念したようにふうっとため息をついた。
そして三人に背を向け、窓を弄り始めた。
「ちょっと待て! おい、まさか飛び降りるつもりじゃないだろうな!」
真っ先に女の意図を察したコーが、慌てて飛びかかった。レンとシーナも後に続く。
間一髪のところで羽交い絞めにされ、女は尚もコーの腕の中でもがいた。ただ、先ほどまでの大立ち回りから一転して力が入っていない。
どうやら諦めたらしかった。
「やれやれ。何者だいお前さん。密航者は海に放り込まれるってのが昔々からのお決まりだぞ。それとも自分からハロスの海に飛び込もうってわけか?」
肩で息をしながら、コーが女を後ろ手に縛りあげた。
女のこめかみにはシーナがモデルガンを突きつけたままだ。大人しくされるがままになっているところを見ると、どうやら本物だと思っているらしい。
「……ねえ、あんたたち、あたしをどうする気?」
ようやく女が言葉を発した。見た目から想像していた通りの、どこか幼さの残る少女の声だ。
「さて、どうするかな。このままずっと乗せとくわけにもいかない。オーミネ市あたりで降ろそうか。警察にでも引き渡すしかないだろう」
それからコーは深くため息をついた。
「まったく、どうしてくれるんだよ。ウィスキーひと樽分の損害だぞ?正直に話したところで、あの倉庫主のおばさんが信用してくれるかどうか……」
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