酒樽

「そうだな、東へ行く荷物ってことなら、こいつを頼めるかい。アカイシ市だ。特に急ぎじゃないから、何日かのうちに届けばいい」


 イシヅチ市の一番大きな倉庫で、中年の女の倉庫主から示されたのは、大きな樽が10個だった。一人では持ち上げられそうにない大きさである。


「中身は?」

「ウィスキーさ。本物だよ。くれぐれも大事に運んどくれ」

「本物? おいおい、これだけの量か?ひと財産だな、こりゃ」


 コーが驚きの声をあげる横で、レンも目を丸くしている。

 それはそうだろう。このご時世、世間では合成酒ばかりが幅を利かせており、本物の酒というだけでもちょっと珍しい。

 中でも蒸留酒となれば、どこの街でも作っているところがないため、滅多に手に入らないのだ。


「少し前にスカベンジャーどもが見つけてきたのさ。なんでもかつてのお屋敷の地下にまだ荒らされてないところがあったとかでね。あっという間に買い手もついたよ」


 倉庫主の女はぐふぐふと下品に笑った。さぞかし儲かったことだろう。

 コーはその荷を引き受けることに決め、細かな書類のやりとりをしに事務室へと入っていった。レンとシーナは早速積み込みの手配にかかる。

 倉庫の作業員の屈強な男たちが、それぞれ駆動台車を操ってわらわらと集まってきた。

 昔なら転がして運んだところだろうが、現在では希少価値がまるで違う。万一割れて中身が漏れ出しでもしたら大事だ。


 発着場のジーシェまで向かう道のりは、早くも傾きかけてきた薄日に照らされて空気が光っているようだった。

 レンがくしゃみをひとつした。剥き出しの鼻や耳が冷え切っている。横を歩くシーナも鼻をすすっている。早くジーシェを離陸させ、暖まりたいところだった。


 全ての荷を積み込み終わるのと、手続きを終えたコーがジーシェへ戻ってくるのがほとんど同時だった。

 全員が乗り込むと、窓から顔を出したレンが係員に合図を送る。係留索が解かれ、ジーシェは寒空へと舞い上がった。


「うう、寒かった。もう冬になるねえ」

「ほんとだな。暖房を入れてくれ。風邪ひいちまう」


 コーが自分の頭をてのひらで何度か擦る。だから帽子を被ればいいのに、とレンは内心呆れながら、蒸気エンジンの排熱を利用した暖房システムのスイッチを入れた。

 船体に張り巡らされたパイプに蒸気が通る微かな音が響く。

 その間にもジーシェ号はどんどんと高度を上げ、東に向かって進みだしていた。


 やがてゴンドラ内が温まり始めると、ようやく詰まっていた鼻も通るようになってきた。レンはまたくしゃみをし、エンジンの様子を見に船の後方へと向かった。

 シーナは舵輪を握るコーのすぐ横で、そのやり方を観察している。

 どうやら操縦の勉強ということらしい。


 シーナが操縦できるようになれば僕も少し楽ができるな。

 レンはそんなことを考えながら、ダイニングを通り過ぎて荷室へと足を踏み入れた。


 後方のエンジンルームに行くには、この樽で溢れかえった荷室を通り抜ける必要がある。

 当然通路は確保してあったが、何しろ積み上げられないのでかなりぎりぎりに積んである。お陰でその中を通り抜けるには一苦労だった。

 

 何かトラブルがあってエンジンまで走らないといけない、などということがあれば面倒だ。燃料はできるだけぎりぎりまでくべてしまおう。

 そう思いながら樽と樽の間をすり抜けようとしたとき、レンの鼻に強い匂いが届いた。


「あれ、ウィスキーの匂い?」


 レンは呟いて足を止めた。

 首を傾げながらもう一度大きく鼻から息を吸い込む。

 確かにウィスキーの匂いが強く感じられる。


 おかしい、荷物を積み込んだときにはそんなことなかったのに。それとも鼻が寒さで効かなかったせいだろうか。


 レンは不思議がりながら近くの樽を確認した。もし破損して漏れ出してるなどということになれば一大事だ。かなり慎重に積み込んだ筈だが、もしかすると運搬のときに傷がついたりしたのかもしれない。


 いくつか手近なところの樽を見てみたが、どれも変わった様子はなさそうだった。

 奥に積まれた樽までは一人では近づけない。仕方なくレンは一度引き返して、シーナを呼んでくることにした。


「なんだ? 漏れてるかもしれないってことか?」

「うん、結構強く匂いがするんだよ。だから染み出してるかもって思って」

「そりゃまずいんじゃなのか。しかし――ああ、確かに匂いがあるな」


 レンに連れられて荷室へとやってきたシーナも、鼻をひくつかせて確認し、眉を顰めた。

 どうやらレンの勘違いというわけでもなさそうだ。


 それから二人は、樽を少しずつ動かしながらひとつひとつ入念にチェックすることにした。ウィスキーで満たされた大樽は二人がかりでようやく引き摺れるほどの重さである。その作業を続けているうちに、いつしかレンはシャツが汗ばんでいることに気付いた。


 そして7つ目の樽を動かそうとしたとき、シーナが声をあげた。


「おい、これじゃないか。表面が微かに湿ってる。蓋の具合が変だ。少し隙間があるぞ」


 シーナが指差した樽は、確かに蓋がやや傾いてはまり込んでいるように見えた。


「ちょっとこっちに引っ張り出して、確認してみよう」


 シーナとレンはその樽にとりつくと、せーの、と声を掛けてスペースに押し出そうとした。

 

 そのときだった。

 くしゅん、と小さなくしゃみが聞こえた。

 その音はくぐもって、まるで樽がくしゃみをしたかのようだった。


「おい、レン、くしゃみしたか?」

「ううん、してない。シーナも?」


 二人は顔を見合わせて、それから樽を見つめた。

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