地下倉庫と消えた女

「保管の状況? というとどういうことです?」

 

 カイツは顔を上げて女を見つめた。

 受付のデスクを挟んで向かい合う二人を尻目に、従業員たちが三々五々フロアを出ていく。終業時間を超えてまで働こうという者はほとんどいない。


 ボイラー室が少し出力を弱めたらしい。

 建物の金属の壁に反響していた蒸気の音が少し低く、そして小さく変化し始めた。


「つまりね、あの子供たちはあまり強いストレス状態にさらされると困るんだよ。私の実験の中で、それは余分なファクターになる。どういうことかと言えば、正常状態で投与する筈のイソプロペンとメルカプタンの量が多くなりかねないんだ。そうなるとエルディーフィフティの閾値の推定が不正確になって――」

「あ、いや、その、専門的なことは、ちょっと」


 カイツが慌てて遮ると、女は少しため息をついて続けた。


「要するに、きちんと管理して余計なストレスを与えないようにしてもらえればいい、ということだ。それが担保されてないと実験に支障が出るのさ。だからバクローみたいなきちんとしたところに頼んだんだ。そこらのならず者どもじゃなくてね」

「わかりましたよ。管理状態が確認できればいいんですね」

「そういうこと。子供たちは今どこに?」


 女がよく通る声で聞くので、カイツは思わず声を顰めた。


「頼むからもう少し小さな声にしてくださいよ。あの荷物の中身についてはうちの従業員も全員が知ってるわけじゃないんだ」

「そうか、それはすまなかった」

「じゃあついて来てください。今引き渡すわけにはいかないが、保管状況だけならお見せしましょう。地下倉庫にいますから」


 カイツが先導して階段室に向かうと、女は後から黙ってついてきた。

 金属製の階段を降りる足音が響く。女のブーツの踵が立てる音が、カイツの発する音を覆い隠すように強く鳴った。


 しかしどういうことだろう。カイツの頭の中では疑問がぐるぐると渦巻いていた。

 自分が依頼したからといって、わざわざ様子を見に来るとは、余程几帳面な性格なのだろうか。

 確かにバクロー商会のような大手運送業者であっても、配送事故は絶えず起きている。何年か前にも実際買い付けた子供たちを運ぶ途中でガス袋が炎上し、墜落した挙句大事な商品が全滅したことがあった。


 そういったことを鑑みれば、自分の実験に必要な条件をちゃんと満たした状態で運搬されているかが気になる、というのはわからないではない。しかしそれにしても、明日まで待てばどのみち引き渡される予定だったのだ。


 カイツは時折首を傾げながら、女の前に立って地下へと降りて行った。

 階段を一番下まで降りるとそこからは薄暗い廊下が奥へと延びている。地下のフロアには一時的に預かる荷物の保管倉庫や燃料庫、ボイラー室などが並んでおり、従業員も上の階ほど多くはない。


 それでも終業時間とあって、奥で作業をしていた者たちがちらほらと帰り支度をして階段へと向かうのにすれ違った。


「この奥か? 地下倉庫というのは」

「ええ。荷が入れてあるのは奥から2番目の倉庫です」

「その向こうはボイラー室? 倉庫が暑くなったりはしないか?」


 カイツは女を一瞥すると気づかれないように舌打ちをした。まったく細かいことを気にしやがる。まるでヤマのやつとそっくりな性格だ。見た目は正反対だが、言うことがいちいちよく似ている。


「大丈夫ですよ。断熱はしっかりしてます。普段は預かった荷を置いておく倉庫なんで、温度が上がるようだと大変ですから」

「ふうん……その向こうにも階段があるな?」


 今度は女が廊下の突き当りにある非常階段を指さした。


「ええ、非常階段です。普段は使いませんがね」


 カイツがうんざりしたように返答したところで、廊下の向こうからやってきた男に声を掛けられた。


「また会ったな。今日は仕事あがらないのかい?」

「ああ、サカ。ちょっとお客さんを案内しにね。サカはこんなところで何を?」

「一応、荷の様子を確認しにね。それよりどうだい、終わったら一杯。待っててやるよ」

「わかったよ。終わったら上に行くから、すこし玄関で――」


 言いかけて、カイツはサカが学会員をじろじろと眺めまわしているのに気付いた。全く無遠慮な奴だ。上客を怒らせでもしたらどうする。カイツが咎めようとしたとき、サカが先に口を開いた。


「おい、あんたどっかで会ったことないか?」

「いや、勘違いだろう」

「そうか? しかし見覚えが――」


 そこまで言ったところで、カイツがサカを女から引き離すと少し奥へと連れて行った。


「やめておけよ。いいか、相手は学会員だぞ。失礼な口をきけば何を言われるかわかったもんじゃない。頼むから邪魔しないでくれ」

「悪かった悪かった。だけど最近どっかで見た顔だったんだよ」


 声を顰めるカイツに、サカもトーンを落として応じた。


「それよりガキどもの様子はどうだった? 確認したんだろ?」

「ああ、みんな泣きつかれたのかぐったりしてるが、健康状態は問題なさそうだ。見張りも真面目にやってるし、大丈夫だ」

「よし。それならいい」


 カイツはサカを解放すると、振り返って女に声をかけようとした。


「お待たせしました、こちらに……」


 しかしカイツの声は空中で行き場を失い、まばらな人混みの蠢く廊下に響いた。


 女の姿がどこにもない。


「あれ? どこへ行った?」

「ああ? いつのまに……」


 カイツとサカは顔を見合わせて首を傾げた。

 それから二人で廊下を戻りながら女の姿を探したが、白衣姿はどこにも見当たらなかった。煙のように消え失せた女を見つけられぬまま、二人は結局飲みに行くのを諦めたのだった。

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