秘密の仕事と予期せぬ来客
午後の陽光に照らされたミョウコウ市の一角、山頂にほど近い商業地の中に、バクロー商会の支部はあった。
街の全体を睥睨するように聳える4階建ての建物は、錆止めの塗装の小豆色に鈍く輝いている。その屋上から突き出た専用の発着場に、アルセナー号が停泊していた。
「カイツ、ダイセン市方面の例の荷はどうなった。まだ交渉中か」
「いえ、ヤマさん、つい30分ほど前にまとまりました。これで午後には積み込みできます」
カイツ、と呼ばれた男が丁寧に答える。ウェーブのかかった黒髪を短く刈り込み、ぎょろりとした目が印象的なやせぎすの男だった。
「よしよし、次からも今回の条件じゃないと運ばないと言っとけよ。あの荷主、散々値切りやがって。あと一回でも値切ってきたらブチ切れてるところだぜ」
ヤマはそのでっぷりと太った腹を揺らしてぐふぐふと笑うと、目の前のデスクに積み上げられた書類に目を通し始めた。
カイツの方は見ようともしない。
つまり、これで用は済んだということだろう、と判断したカイツは、失礼します、と言い残して役員室を後にした。
このバクロー商会で働くようになってかれこれ20年は経つが、このヤマという男はどうにも好きになれない。
なんでもかんでも俺に仕事を振ってくるくせに、やたらと注文が細かい。そんなに気になるなら全部自分でやればいいじゃねえか。
カイツは渋面を作ったまま1階へと階段を降りて行った。
蒸気とガスのパイプが這い回る階段室の壁からは、絶えずしゅうしゅうと音が響き、否が応でも活気にあふれたわが社の仕事っぷりを連想させられる。結構なことではあるが、カイツのような雇われの身ではただ煩いとしか感じられなかった。
従業員たちが仕事をしている1階のフロアに入っていくと、今しがた到着したサカがカイツを認めて片手をあげてみせた。
「よう、相変わらず渋い顔してるな。そんなんじゃ客が逃げちまうぞ」
「うるさいな。生まれつきの顔だよ。それより道中、何もなかったか」
「ああ、いたって平和なものさ」
サカは後ろで縛った長髪を撫でつけながら、満足げに頷いた。
「変わったことといえば、行きの道中で遭難中の船を助けたくらいだよ」
「遭難?」
「そう。どうやら重油のタンクに穴が空いちまったらしくてね。風に流されるままに漂ってたんだ。聞いたら同業だっていうし、石炭を少しばかり分けてやったんだ」
「なるほどな。その石炭分は経理の方へは報告したか?」
カイツが咎めるように言うと、サカはからからと笑ってみせた。
「ケチくさいこと言うなよ。いいじゃないか少しくらい。それにその連中もチョウカイ市への政府の依頼だったんだ。アルセナー号がちょっと寄り道をして余計に燃料を食った。それだけだよ」
カイツはやれやれ、と首を振ると、自分のデスクへと向かった。このサカという男、快活で大雑把な性格のせいか、誰にでも好かれやすい。しかしカイツはどうも信用しきれなかった。こういう奴に限って裏があるものだ。
「それで? 例の荷は?」
「ああ、言われたとおり一旦積んできたよ。学会への引き渡しは明日なんだろ? それまで地下の倉庫に入れてあるよ」
「わかった。ご苦労さん。今日はもうあがっていいぞ」
サカは了解、とまた片手を挙げ、時計に目をやってからフロアを後にした。
つられて時計を見ると、もう5時近い。俺もそろそろ今日の仕事にケリをつけないといかんな、と考えながら、カイツは伝票の整理に取り掛かった。
やがて時計が5時を指すと、フロアにいた従業員たちが一斉に腰を上げ、帰り支度を始めた。カイツは特別仕事熱心だとは思わないが、それでもこの溜まった仕事を片づけずに帰ると明日が辛い。今日はもう少しやっていこう。
そう思ったのと、受付のベルが鳴ったのが同時だった。
顔を上げると、白衣を着た女が立っていた。
厚ぼったい眼鏡をかけ、白衣の下には野暮なワークパンツを穿いている。それでも少し見惚れる程度には整った顔の女だった。
「生憎だがね、今日はもう店じまいなんだよ。配達の依頼なら明日にしてくれないか」
「すまない。用件はすぐに済むよ」
女はそう言って白衣の胸ポケットにつけた徽章をつまんで見せた。
「それは――学会か? なんでまた?」
カイツは徽章を見て訝しげに尋ねた。
女がつけている徽章は学会員であることを示す印だ。それにこの白衣。まず間違いなく学会のメンバーだろう。しかしアルセナー号が運んできた荷物を引き渡すのは明日の筈だ。
「いやなに、学会を通じて今回の子供たちを頼んだのは私なんだ。たまたま今日、ここに連れて来られてると聞いてね。可能ならさっさと引き渡してもらった方がいいと思って。丁度近くに来ていたものだからね」
女はそう言うと、愛想よく笑って見せた。カイツは不意を突かれて押し黙ったまま少し考え込んだ。
取引相手は学会の男が二人だった筈だ。
突然やってきたこの女に、勝手に荷を引き渡せる道理はない。しかしもし女が言うのが本当なら、さっさと引き渡してしまえばうちの会社で一晩預かるという、面倒な事態を避けられることになる。
「あー、そういうことですか。いや、しかしね、そう言われても……我々としてもすぐ信用する訳には……」
カイツが言いよどんでいると、女はふ、と少し声に出して笑った。
「ま、それはそうだろうね。私も簡単に信用してもらえるとは思ってないよ。それじゃどうだろう。とりあえず保管の状況だけでも教えてもらえれば、私としても安心して帰れるんだが」
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