シズとアツ

『まあ、大したもんもないが……寒さくらいは凌げるでしょう』


 女はそう言いながら、二人を座らせた暖炉に薪を足し、火を強くしてくれた。二人の遭難者の手には温かなスープが握りしめられている。

 野菜の切れ端と、ほんのわずかな肉の欠片が浮いているだけの質素なスープだったが、その液体の温度そのものが冷え切ったコーたちの身体には格別のご馳走だった。


 女はシズ、と名乗った。55歳になるという。


『シズさんはどうしてこんなところに? このあたりは他に住んでいる人は?』


 コーが尋ねると、シズは寂しそうに笑った。


『昔はこのあたりも立派な街だったのさ。ただね、ハロスが段々と高いところまで来るようになってね。それで恐れた他の連中は上へと街を造りなおして移っていったの。それでも何人かは残った。もう何十年も前の話さ』


 それからシズとコーたちは様々な話をした。

 最近の天候のこと。飛行船の進歩のこと。最近の街の様子。ハロスが少しずつ増えていっていること。コーたちの仕事の具合。

 シズは久しぶりの客人に喜んだようで、一人暮らしの寂しさを埋めようとするかのようにあれこれと質問を繰り出した。


 やがて夜も更け、コーたちが休もうかという段になって、シズが小さな包みを取り出した。


『あんたたち、運送業をしているならひとつ頼まれてくれないかい。これをね、アツという名の男の元へ届けてほしいんだ』

『そりゃ構いませんが……アツというのはどこのどなたですか?』

『それがね、どこにいるかわからないんだ』


 それはとても奇妙な依頼だった。

 聞けば、アツという男は自分が所有する飛行船に寝泊まりし、決まった家がないのだという。特別仕様の飛行船でハロスに潜っては、この毒の霧の研究をしていたらしい。

 シズは小さな荷物には見合わないほどの大金を取り出して、それをコーに渡した。


『無理なお願いなのはわかっているよ。だから料金は前払いでこれだけ渡しておく。時間もどれだけかかっても構わない。だからいつか、アツの飛行船を見つけたら、その時に渡してほしいんだ』

『いくらなんでもこんな額は受け取れません。あなたは我々の命の恩人だ。無料で引き受けますよ』

『いや、いいのさ。私は病魔に侵されていてね。もう長くないんだ。残す当てもないし、金ばかり持っていても仕方がない。この荷物も言ってみれば形見みたいなもんなんだ』


 シズはそう言って力なく笑った。


『アツは私の恋人だったの。しばらくこの家に二人で住んでいてね。あの頃は幸せだったよ。でもあの人はじっとしていられる人じゃなかった。ハロスの研究を続けるんだといって、家を飛び出したきりさ。きっともう帰るつもりはないんだろうね。私も忘れようとしたんだけどね。先の長くない身になってみれば、せめて、私が生きていた証をあの人に届けたいと思うようになって――』


 結局、コーたちはその荷物を受け取るしかなかった。

 唯一といっていい手がかりは、真っ黒な特別仕様の飛行船であるということ。

 そして今もどこかでハロスに潜ることを繰り返しているそいつを見つける日まで、荷物はコーの手元で預かったままなのだという。



「それからずっと荷室の片隅に置いたまま埋もれてたってわけだ。俺も行く先々で気にしてはいるんだがな。何分手がかりもなにも見当たらないままだ」

「そのシズという人は? 結局どうなったのか知ってるのか?」


 シーナが尋ねると、コーは首を横に振った。


「荷物を預かってからしばらくして、あまりにも手がかりが無いんで他に何かヒントはないかと思って家に行ってみたがな。もう亡くなった後だったよ。近所の人が近くの墓地に埋葬したそうだ」

「そっか。それじゃあ本当にこれ以上の手がかりは無いんだね」

「まあ、期限の指定は無いんだ。気長に探すさ」


 そう言われてレンは革袋をためつすがめつしながら、中身はなんだろうかと思いを巡らせた。その様子を見ていたコーが、考えを見透かしたかのように一言付け加えた。


「中は懐中時計だよ。とっくに壊れてるけどな」

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