沈没

 信号弾をガス袋に打ち込もう、というシーナの提案を聞いて、コーは少し渋面を作った。


「確かにうまくいくかもしれんが……まず射程圏内まで近づくのが危険すぎる。相手は空気砲を装備してるし、多分他にも銃火器の類を持ってるだろう。100メートルまで近づく前にこっちが撃ち落とされるのがオチだぞ」

「でも逃げても逃げきれないでしょ。どこかで隠れて待ち伏せするのは?」

「隠れるってこんな空の上でか?」

「ハロスの中は?」


 コーはまだ髭を掻き回しながら唸っている。確かにハロスの中で速度を落として待ち伏せ、相手が十分近づいたところで急浮上すれば、信号弾でも当てられそうな気はする。

 理屈としてはわかる。が、果たしてそううまくいくだろうか。


「正直ジーシェは決して高級な船じゃない。あの厄介な霧は隙間からいくらでも入り込んでくるんだ。ハロスの中に入るならガスマスクは必要だ。短時間でも万一吸い込めばどんな影響がでるか――」

「でも他にいい案も思い浮かばない。どうせうまくいかなければ私が攫われるだけだろ。この船を墜落させる危険に比べれば大したことはないんじゃないか」


 シーナはなおも食い下がった。

 その間にも賊の飛行船は徐々に、しかし確実に距離を縮めてきている。そろそろ決断しなければ、敵の射程圏内に飛び込みかねない。


 しばらく考え込んでいたコーが、ふう、とひとつ息を吐き、口を開いた。


「よし、いっそ降参するか」

「降参? 何言ってるの。だってうちの荷物には手を出させないって――」

「いや、出させないさ。降参のふりをするんだよ」


 コーはそう言いおいて、レンに操舵を任せて仮眠室へと入っていった。ほどなくして白いシーツと、それから先にカギ爪がついた長いシデ棒を持ってきた。


「シーナ、手伝ってくれ。こいつを棒に結び付けるんだ。これで白旗になる」

「なるほどね。白旗を振って近づき、一気に襲撃する。大航海時代の海賊だな」


 シーナもコーの作戦を理解したらしい。手早くシーツをシデ棒に結んでゆく。程なくしてこの船には不釣り合いなほど大きな白旗ができた。


「いいか、俺がこれを窓から突き出しながら、敵船との距離を測る。レンは舵を取ってくれ。相手が真後ろじゃなくて斜め後ろにくるようにするんだ。丁度いい位置に来たら合図するから、シーナがそいつを撃て」

「オーケー、それまでは隠れておこう」

「シーナ、そういうの撃ったことあるの?」


 てきぱきと決まっていく作戦を聞きながらそれでも不安なレンが尋ねる。


「まさか。初めてだ。ただ、やり方は知ってるさ。目標に向ける。引き金を引く。以上。簡単なもんだ」


 随分と簡単に言ってくれるな、とレンは頭の中で舌打ちをした。もし外せば、今度はこちらが至近距離からの掃射を受けてハチの巣になる番だ。しかも信号弾の予備は無いから、一発勝負ということになる。


 気が付けば茶色い飛行船は肉眼でもその細部が確認できる距離まで来ていた。

 コーとシーナはダイニングへと移動し、そこの窓から様子を窺っている。間のドアを開け放してあるので、レンのところからもそちらの状況はよく見えた。


 エンジンの音に被せるようにして、ぷしゅうっという音がした。

 撃ってきたらしい。そこですかさず、コーが窓から即席の白旗を突き出した。


 それと同時にもう一発。今度はゴンドラに命中したらしく、金属音が響く。しかし敵の攻撃はそれで全てだった。

 しばらく耳を澄ましてみるが、撃ってくる様子はない。


 こうなればほぼ作戦は成功したようなものだ。

 コーは窓から少し身を乗り出して相手との距離を目測で確認した。およそ300メートル。まだ遠い。向こうのデッキには男たちがこちらを双眼鏡で観察しているのが見える。

 200……150……。


「よし、撃て!」


 コーが合図したその途端、窓の桟の下に隠れていたシーナが立ち上がり、コーのすぐ横から信号弾を発射した。

 

 しゅるるる、という音を立てて弾が飛ぶ。

 そして一瞬の沈黙の後、どん、という衝撃と共にそれは炸裂し、昼間の空に太陽がもうひとつ出現した。


 が、それまでだった。

 相手の飛行船のデッキでは慌てふためいた男たちが走り回っている。ただ、他に何も変わりはない。


「クソ、遠かったか!」


 シーナが毒づいたのと同時にコーが叫んだ。


「レン! 全速力で上昇だ! 急げ!」


 レンは慌てて昇降舵に手を伸ばす。上昇に切り替えるとエンジン出力を最大にした。傾いたジーシェ号がぐんぐん昇り始める。と、船尾の方から、ゴンドラに空気砲の弾が命中する音が聞こえ始めた。


 まずい、このままではガス袋を撃たれる。

 パリン、と窓が割れる音がする。窓にも命中したらしい。

 そしてレンが墜落の覚悟を決めたその時だった。


 もう一度爆発音が響いた。


 が、ジーシェはぐんぐんと上昇を続けている。ややあってダイニングからコーとシーナの歓声が上がった。


 思わずレンも舵輪を離れてそちらに駆け付けた。見ると、ジーシェのすぐ後ろ、やや下方に大きな火球ができている。


「どうなったの?」

「信号弾ってのはしばらくその場で燃え続けるんだな。そこに相手の船のガス袋が避けきれずに突っ込んだ。あとは引火して見ての通りだ」


 コーが安堵した顔で説明している横で、シーナが懐から取り出した煙草に火をつけた。窓の向こうでは炎に包まれた空賊たちがハロスの中へと沈んでいくところだった。


「今度から、信号弾は予備も含めて3発くらいは持っておくことにしたらどう。私みたいに毎回当たるとも限らないから」

「それもいいかもしれねえな」


 そう言ってコーはダイニングの椅子にどっかりと腰を下ろした。

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