殺害

 夜の帳が降りて、上空に星が瞬き始める頃、ジーシェ号は山頂に煌めく街の灯りに吸い寄せられるように、エボシ市へと近づいていた。


 結局あの襲撃者の正体はわからずじまいだった。

 ハロスの中を行くというコーの作戦がうまくいったようで、空賊たちはその後姿を見せることはなかった。

 もしかすると霧の中で何かに衝突して墜落してたりするかもしれないな、とレンは楽観的に考えて、双眼鏡でエボシ市の灯りを観察した。


 レンたちが住んでいるジョーネン市とは比べ物にならないほど小さな街だった。

 標高も低く、ともすれば灯りのすぐ足元までハロスが来ているのではないかと錯覚するほどだ。それでも誘導用の灯台だけは立派なもので、お世辞にも沢山行き交っているとは言い難い飛行船たちを眩い灯火で導いていた。


 ジーシェ号を着陸させると、二人は差し当たり手ぶらのまま届け先の住所を訪ねてみることにした。何しろ二人でもちょっと苦労するほどには重い荷物である。

 坂だらけの街を苦労して持って行ったら家が見つからない、などということになってはたまらない。


 レンはランタンの灯りを頼りに、エボシ市内の地図を見ながら、家々の間を歩いた。その後ろからコーがついてくる。街の中は人影もまばらで静かなものだったが、時折どこからか蒸気が噴出するしゅうっという音が鳴り響く。

 大して道幅もない大通りを進み、外壁にパイプが張り巡らされた、一際大きな工場らしき建物の角を左に曲がると、その先は急な下り坂の路地だった。


「ここは担いで運ぶのは大変そうだよね。荷車使う?」

「そうだなあ。他にルートが無けりゃそうするしかないか。いよいようちも駆動台車を買わないといけないかもな」

「是非そうしてほしいよ。あれ、坂道や階段でも走れるんでしょ? うんと楽になると思うけどなあ」


 コーとレンはそんなことを話しながら、暗い足元に気を付けて下っていった。


「だがあれは中古品でも結構な値段するしな……しかもかなりの燃料喰いだと聞いてるから、ちょっと躊躇うよ」

「でも先行投資だと思ってさ……あ、この先だよ」


 レンが前方を指し示したその時、突然そちらの方で大きな音がした。


 二人は思わず立ち止まる。金属と木がぶつかり合ったような音の具合からすると、どこかの家の扉を強く閉めたのだろうか。


 と、レンが少し高く掲げたランタンの光の僅かに外側を、何者かの影が走り出て行く。そして二人が呼び止める間もなく、建物の暗がりへと消えていった。


「……なんだ?一体――」

「コー、その家だよ。今人がでてきたとこ。そこが届け先だ」

「じゃあ今のは受取人か?それにしちゃ随分……」


 コーは首を傾げながら、レンからランタンを受け取り、問題の家のドアをノックした。


「すみません、届け物ですが」


 中からは返事がない。やはり今慌てて飛び出して行ったのが受取人なのだろうか。どうしたものか、とレンがコーの様子を窺った時だった。


 微かに人の呻き声が聞こえた。


 二人そろってドアに耳を押し当てる。間違いない、声は中からだ。コーが少し躊躇って、失礼しますよ、と声を掛けながらドアを押し開けた。


 家の中は赤色がまだらに塗られていた。いや、違う。これは血だ。レンは一瞬で理解した。飛び散った血飛沫で、壁や床の白っぽい木材が汚れている。

 そして天井から下げられたガス灯の中に浮かび上がっているのは、床にうつぶせに倒れ伏している一人の男の姿だった。


「おい、あんた大丈夫か!?」


 事態を把握したコーが慌てて男に駆け寄る。

 倒れた男は呻き声をあげているが、それはかなり弱々しいものだった。コーが男の身体を仰向けにひっくり返す。それを見てレンは思わずうわ、と悲鳴にも似た声をあげた。


 男の腹から血が噴き出している。着ているものはそこを中心に真っ赤に染まっていた。元々は白衣か何かだったようだが、もはや以前の色合いは見る影もない。


 男は傷口を抑えながら、息も絶え絶えに声を絞り出した。


「き、君たちは……」

「運送屋だよ。あんた宛てにバカでかい荷物を届けに来たんだ。一体何があった?すぐに医者に運んでやる」

「いや、もう無理だ……。こ……この街の医者では……こんな傷は塞げ……まい。それより、君らに、たの……みがある……」


 呼吸が弱くなっていく。レンは医学にはてんで素人だが、それでも致命的な量の出血だということは感覚的にわかった。ああ、この人は死ぬんだ。


「あの……荷物……、あ、預かって……。学会……の、誰かへ……」

「おいおい、しっかりしろ! 学会ってのはなんだ? 誰かって――」

「狙われて、い、いる、から……気を……つ……」


 そこまで喋ると、男は沈黙した。

 レンは思わず目を背ける。すると視界には、凶器と思わしき大型のナイフが床に転がっている光景が飛び込んできた。


 あることが脳裏に浮かび、レンは咄嗟にコーの肩を叩いた。

「ねえ、まずいよ。そこに凶器がある。僕たち、犯人にされちゃうんじゃ――」

「ああ、まずいな。一旦逃げた方がいい」


 コーもそれに同意し、男の身体を静かにその場に横たえる。手や服が血まみれだったが、綺麗にしている暇はない。この光景を見られたら非常に厄介なことになるのは明白だった。


 かつての警察組織は、それは優秀だったと聞く。様々な薬剤や特殊な技術を駆使して、犯罪現場に残されたものから正しく犯人を割り出すことができたらしい。


 だがそれも大戦までのことだ。

 あの戦争で、不足する兵士を補うため、国は最終的に警察官をも動員した。そしてハロスを生み出す元凶となったあの化学兵器が使用され、軍人たちはほぼ全て死に絶えてしまったのだ。

 かくして警察は19世紀の時代へと逆戻りだ。第一発見者だと主張したところで所詮はよそ者であるコーたちが、果たしてどれだけ信用してもらえるかは大いに疑問が残るところだった。


 コーとレンは家の扉をそっと開けた。蝶番がきしみ、夜の静寂に思いもよらぬ大きな音を立てる。レンは思わず首を竦めたが、幸いにも目の前の路地には他の人間は見当たらない。

 周囲の家にも動きがないことを確かめると、二人は脱兎のごとく駆け出した。

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