浮上

 ジーシェ号がハロスを抜け出たのは、結局それからたっぷり2時間も経ってからだった。

 

 ようやく視界が開けてみれば、太陽はだいぶ傾き、そろそろ光に赤みが含まれ始めている。すぐ下にある霧と澄んだ空気の境界面で光線が反射するように揺れ動き、コーは目を細めた。


 ガスマスクを外して額の汗を拭う。ゴンドラの中に入りこんでくるハロスは僅かではあったし、何より一呼吸それを吸ったからといってすぐに倒れるようなものでもないため、マスクをつけなくても問題はなかったかもしれない。

 だが用心のためだ。万一不時着し、その時にマスクをしていなければ、大量に毒を吸い込むことになる。即死するわけではないにせよ、脳にいくらかのダメージはある筈だ。


 見ればレンも同様にマスクを外し、顔をタオルで拭いているところだった。

 窓から見回しても、茶色い飛行船は影も形もない。


「撒いた、よね?」

「撒いただろう」


 二人は顔を見合わせると、互いの汗で蒸れた酷い顔を見て、同時にニヤリとした。


 太陽ははっきりとわかるスピードで高度を下げている。

 コーたちはそれに逆らうようにぐんぐん高度を上げていった。


 そこでふと、レンは重大な発見を伝えるのを忘れていたことに気が付いた。


「そうだ、思い出した。ねえコー、あの荷物だけど、中身は生き物かもしれないよ」


 レンが言うと、コーは少し眉を顰める。


「生き物?特に動いてる様子も無かったが」

「うん、でもさっき何度か触ってみたら、明らかに重心が移動してるんだよ。もしかしたら中身が動き回ってるのかも」

「昇降が激しかったから、それで中身が動いたってことは?」

「考えられるけど。だからもしかしたら、ていう話なんだけどさ」


 レンの言葉が尻すぼみになるのを聞きながら、コーはまたしても考え込んだ。


「うーん……まあ生き物だとしても別に運ばない訳じゃないが。ただ、中で死なれたりして賠償請求でもされると厄介だよなあ。というか、そもそもあんなサイズの生き物ってなんだ? 山羊か羊? それとも余程珍しいものか……」

「うん、それ僕も全くおんなじこと考えてた。このままでいいのかな」

「だけど勝手に開けるわけにもいかねえしな」


 そう言うとコーは舵輪を離れ、レンの頭をぽんと叩いた。操縦を替われという意味だ。


「向こうに着いたら、受取人に聞いてみるとしよう。今まで生き物を運ばされたことは無かったが、もし頻繁にあるようなら規定を作っといた方がいいかもしれないな」

「そうだね。もしかしたらお客を増やせるかもしれないし」


 舵輪にとりついたレンを尻目に、コーは船尾の方へと歩いて行く。自分でも荷物を確かめたかった。ドアを開けると、生み出された空気の流れを受けて、操舵室の片隅に浮かんでいるハロスの残りがあざ笑うかのように震えて拡散した。


 

「んー、確かにこいつは……」


 コーは荷物を揺すったり持ち上げたりしながら独り言を漏らした。

 レンの言う通り、重心がおかしい。積み込んだときはもっと均一だった筈だ。少なくとも中身が動いたことは間違いなさそうだ。

 もう一度確かめようと荷物に手を伸ばした、その時だった。


 箱の中で、微かな呻きが聞こえた。


 慌てて耳を箱に押し当てる。だがそれっきり、箱の中はまた沈黙した。

 

「こうなると俄然気になるな。途中で暴れたりしないといいんだが」


 コーは腕組みをしながらまた呟くと、軽食を取りにダイニングへと戻っていった。

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