バンダイ市

 好天にも恵まれ、午前中の飛行は実に順調だった。

 コーとレンは交代しながら舵を握り、ジーシェは滑るように飛んでいた。時折近くを他の船が通りかかり、コーたちは彼らに通信であいさつを送った。

 

 やがて太陽が高くなり、正午が近づいた頃、行く手にはひときわ大きな山岳都市が見えてきた。これまで通り過ぎてきたいくつもの小規模都市でも排煙が遠くまで見えてはいたが、今度の街は規模が違う。

 何本もの煙の柱が立ち上り、その間隙を縫って何基もの飛行船が離着陸をしている。

 

「バンダイ市だ。あそこで一休みしていこう」


 コーはそう告げると、自ら舵輪を操り、飛行船の群れの中にジーシェ号を割り込ませていった。

 バンダイ市はこの地域の交通の中心であり、旅をする者やコーたちのような運送業者が立ち寄って一休みすることが多かった。街中には倉庫も多く、物流の拠点でもある。

 高標高の土地が比較的広く、傾斜がなだらかであることが、空の交通の要衝として発展を遂げた大きな要因だったのだろう。


 すぐ目の前に赤と黄色で塗り分けられた派手な大型船が横切った。どうやら観光客を乗せた遊覧飛行らしい。

 デッキには高級そうな身なりをした連中が身を乗り出すように平地を眺めているのが、この距離からでも見て取れる。

 どうせハロスしか見えんだろうに、物好きな奴らだ。コーは苦笑しながら舵を右に切って、衝突を避けた。そのまま速度を落としながらジーシェ号を街の発着場へと近づけていく。蒸気エンジンが激しく煙を吹き出し、周りを威圧するようにしゅうっと音を立てた。


 デッキから身を乗り出したレンが係留ロープを地上へ投げおろす。下で誘導していた筋骨たくましい女の係員がそれを掴むと、船の動きに合わせて手繰り寄せた。

 やがてジーシェは地上数十センチのところでゆったりと停止した。


 デッキから降りると、活気のあるバンダイ市の空気が二人を包んだ。ジョーネン市とはまた少し違う人々の喧騒、スパイシーな料理の匂い、行き交う飛行船のエンジン音。蒸気エンジンの排煙ですらこの街では違って感じる。


 コーとレンはゆっくり散歩するような足取りで、斜面を横切るように緩やかな勾配に沿って飲食店が立ち並ぶ、街の中心への道を歩いた。


「さて、何を食おうか」

「うーん、僕は何でもいい。コーに任せる」

「それじゃ“ラーラ”にしよう」


 コーはそう言うと、通りを右に折れ、路地の方へと入っていった。


 大通りと交わる道はどれも斜面に直角の配置となる。そのためどの路地も急勾配で、そのほとんどは階段になっている。周囲に立ち並ぶ、木材と石と鉄を組み合わせた建物の間を通り抜け、階段が途中で途切れる踊り場の脇に“ラーラ”があった。


 この店に来るのは久しぶりである。コーたちはバンダイ市に寄港するときにはここで食事をとることが多かった。馴染みの店、とまではいかないが、まずまず常連であるといっていいだろう。

 蕎麦粉のガレットやラムの香草焼きといった庶民的な料理が売りの店で、値段も手ごろなのがありがたかった。


「ガレットとカツレツのセット、2つね」


 コーが注文を取りに来たウェイトレスに告げる。そばかすがよく目立つ、まだ10代とも思われるウェイトレスは、つっけんどんにはあい、と返事をし、厨房へと戻っていった。


 グラスに注がれた水をひと息に飲み干す。少しフレイバーが足してあるようで、レモンのような柑橘系の爽やかな風味が鼻を通り抜けた。

 少しの沈黙と共に店の喧騒が二人の耳へと飛び込んでくる。


「レン、お前、いくつになったんだっけか」


 唐突にコーが口を開いた。


「なに、藪から棒に。こないだの誕生日で15だけど」

「そうか。もう15か……」


 少し目を細めたコーを見て、レンが眉を顰める。


「それがどうしたの。なんか急にオジサンみたいなこと言うね。何かあるの?」

「そりゃレンからすれば十分オッサンだろうよ。いやなに、そろそろ事務的な仕事も少しずつ覚えたらどうかなって思ってさ。荷主との交渉とか、倉庫主との書類のやりとりとか」

「そりゃやらせてもらえるなら覚えるけど。というかそれ、コーが面倒なだけじゃないの」


 それを聞いてコーは苦笑いとも困惑ともつかない曖昧な表情になった。どうやら半分は当たりらしい。コーって普段は結構マメに見えるのに、意外とそういう面倒くさがりなとこあるよな、とレンは考えながら、カールした黒髪を指で梳いた。


 少しごわごわしている。紫外線にやられているのだろう。

 いっそコーのような丸坊主にしてみようか、といつも思うのだが、その度に「坊主が二人並んでいるのはちょっと面白くないな」と考え直すのだ。


 会話が途切れ、二人がそれぞれ物思いに耽りながらぼんやりと水を口にしていると、テーブルの傍に人影が立った。


「お、きたきた。ありがと――」


 そう言いかけてコーの視線がその人影に注がれ、言葉が途切れた。

 そこに立っているのはウェイトレスではなく、知らない顔の男だったのだ。

 いや、知らない顔、というより見えない顔、という方が適切かもしれない。何しろ男は、ハロスの中にいるわけでもないのに、丸いゴーグルにガスマスクといういで立ちであり、その顔はほとんど見えなかったのだ。


「何だいアンタ。何か用か」


 コーが怪訝な顔で尋ねる。レンも何とはなしに姿勢を正してそちらを窺った。


「発着場にいる緑の船、あれはお前たちの船か? 見たところ運送業者のようだが」


 ガスマスクの男は異様に低い声でそう聞き返してきた。まるで地の底から響く悪魔の唸り声のようだ、と想像してレンは一人で可笑しくなった。

 なんだ、悪魔の唸り声って。

 聞いたことがないじゃないか。


「それが何だ。何か用か? 配達の依頼なら今は聞けないぞ。もっとも宛先が今の荷と一緒ならその限りじゃないが――」


 コーがそこまで言ったときだった。

 男は話を最後まで聞かずに、来た時と同じように唐突に身を翻すと、さっさとラーラを出て行ってしまったのだ。どうやら船の所有者を確認しにきただけのようだ。一体何の理由があったというのか。


 コーとレンが揃ってぽかんと口を開けて男の後ろ姿を見送っていると、やがて先ほどのそばかすのウェイトレスが料理を持ってやってきた。

 二人は顔を見合わせてひとしきり首を捻った後、すっかり減り果てた胃袋をカツレツで満たすことに取り組み始めたのだった。

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