第1話 Float on

離陸

 連日のように曇天が続いていた。


 いや、単純に曇りであればまだよかったかもしれない。

 山頂付近を取り巻く雲は、じっとりとへばりつくようにして街を覆っていた。街のあちこちから立ち上る蒸気機関の排煙と混じり合い、視界は薄いグレーに染まっている。


 こんな天気がかれこれ一週間にもなるだろうか。普段はあまり天気に文句を言わないレンも、流石に少し気が滅入っているようで、倉庫に向かうコーの後ろを言葉少なにとぼとぼと歩いていた。くるくると不規則に渦巻く黒い髪が、今日はまた一段と縮れて見える。


「よお、コー。こっちだこっち」


 霞がかかったようなぼやけた視界の中で、倉庫の主のセージが大きく手を振る。コー達は滑落防止のために取り付けられた鉄製の手すりを目安に、そちらへと向かった。


「毎度どうも。セージさん、今回の荷はどれです?」

「そこの、右奥にあるやつだ。かなり重てえぞ。二人で乗せられるか?」

「ちょっとやってみないとなんとも……うーん、こいつは」


 問題の1メートル四方はあろうかという大きな荷物を少し持ち上げてみて、コーは少し唸った。

 この仕事を始めてからというもの、筋肉も多少はついたと思うが、さりとてコーは怪力の持ち主というわけではない。ましてや育ち盛りでまだ身体のできていないレンなど尚更だ。しばらく考えて、コーはセージにも応援を頼むことにした。この立派な鷲鼻の親父は、見た目以上にパワフルである。

 

 三人がかりで荷物をコーの船へと運びながら、セージはそのよく動く口で次々と世間話を繰り出した。大きな荷物の向こう側で、小柄なセージの白髪交じりの頭が見え隠れする。コーは適当に相槌を打ちながら、船の発着所へと続く細い道から足を踏み外さないよう細心の注意を払っていた。


 何しろここは標高3,000メートル近い山頂の街だ。

 街中至る所にこういった尾根筋の道があり、故に不注意で滑落する者も年に何人かいる。ましてこのように視界が悪い中だと余計に危険である。

 しかしセージは慣れているようで、結局飛行船にたどり着くまでその軽口が止まることはなかった。


 コーとレンの飛行船、「ジーシェ」号は、運送業者なら当然の話ではあるが、乗員の他に十分な重量を積載できるだけの能力を備えていた。その上今日の荷はこれ一つだ。いくら大きいとはいえ、一度載せてさえしまえばあとは重量が問題になることはなさそうだった。


 コーがセージに渡された書類に必要事項を書き入れている間に、レンは手馴れた様子でジーシェ号の離陸準備を進めていた。やがて操舵室から顔を出したレンが、いけるよ、と声をかけたので、コーはまだ空欄のいくつか残る書類をセージに押し付けた。


「よし、行こうか」


 既に山肌から浮き上がり始めている船に飛び乗ると、コーが合図を送る。

 それを見てセージが係留ロープを外した。

 ふわり、とジーシェ号が標高3,000メートルの空中へ浮かび上がる。一瞬だけ、雲の薄い所を突き抜けるように朝日が差し込み、緑の船体が僅かに煌めいた。

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