第38話 出会い
「君、今にも倒れそうな顔してるけど大丈夫?」
「……え?」
これが俺と川瀬愛美の出会いだった。入学式の日、俺は廊下で暗い顔の川瀬を見て声をかけた。……何故、あの時声をかけたのだろうか。別に俺はわざわざ他人にお節介を焼くような人間じゃない。なのに、気が付いたらそう声をかけていた。……ただ、自分だけの殻に閉じこもり続けている。彼女に対し、何故かそんな印象を強く感じた。
「酷い顔をしてる。真っ青だ」
「そ、そう? この後入学式だからかな? 実は私、新入生代表の挨拶を任せられてるの。だから結構緊張してるのかも」
「にしても緊張しすぎじゃない?」
「だって……今日はお母さんが来てるもの。失敗する訳にはいかない。失敗なんて許されない。私は常に一番じゃなければいけない。完璧な振る舞い。一番の成績。そうしないと駄目なの……」
川瀬は俯いてブツブツとそう言う。その様子を見てどこか狂気じみた印象を抱いた。とても危うい。きっと、誰にも頼らず、一人で生きてきたのだろうな。何となく、そう感じた。
「あっ。ごめんなさい。いきなりこんな話して」
川瀬はハッとしたような表情をして俺に謝る。
「別に失敗の一つや二つしてもいいだろ」
「…………え?」
川瀬はキョトンとした顔をする。当たり前のことなのに、今まで考えたことも無い、そんな選択肢は存在しなかった…………まるでそう言いたげであった。
「失敗の一つや二つ、誰でもするし、失敗していいじゃん。まあ、失敗なんて誰もしたくないもんだけどさ。そこまで思い詰めるくらいだったら、楽に考えるようにした方がマシじゃない?」
そう言うと川瀬はキッと俺を睨み付ける。彼女の逆鱗に触れた。俺はそう悟った。
「……あなたに私の何がわかるって言うの」
「何も? ぶっちゃけ出過ぎた真似だし、事情も知らないのに口出しするとか何様だよって自分で思ってる。今自分で言ってて後悔してるし心臓のバクバクが止まらねえ」
俺が肩をすくめてそう言うと、川瀬は鬼の形相となって俺にまくし立てた。
「じゃあ口出ししないでよ! 私は失敗してはいけないの! 失敗なんて出来ない! 一度失敗すれば次なんてない。ただ落ちていくだけ。失望される。あなたにはわからないでしょ!? この恐怖が! この苦しみが!」
川瀬はそこまで言うとハァハァと方で息をする。そして落ち着いたのかハッとしたような表情となり俺に頭を下げる。
「……ご、ごめんなさい。いきなりこんな——」
「——今、楽しい?」
「…………え?」
川瀬の謝罪を遮って発した俺の言葉に川瀬は怪訝な顔をする。
「別に他人の俺がどうこう言う権利なんてないけどさ。だけど、そんな風に常に気張ってたらつまんなくないか?」
「……でも……」
「失敗しても次があるじゃん」
「次……?」
「そ。次がある。成績? そんなの次挽回すればいいし。失敗を糧にすればいいんだよ」
まあ入学式は一回だけだしそもそも成績に関して俺が偉い口叩くのは何様だって話だが、と俺は肩を竦めて言った。……そもそも俺はそこまで成績良い訳でもないしな。
「それでも……私は……」
川瀬は暗い表情を浮かべて俯く。おそらく彼女は常に神経を張って妥協を許さない。いや、許せない。そんな生き方をこれまで送ってきたのだろう。それ以外の生き方を知らないのだろう。……彼女の笑顔を見たい。俺はそう思った。傍から見れば余計なお世話、痛いヤツ、傲慢。そう見えるだろう。俺の行動は正しいとは言えないかもしれない。とんだお節介だろう。何せ、俺は彼女がどういう人間かを全く知らない。どういう人生を送ってきたか知らない。
「少し気を楽にするだけで随分変わるぞ。……まあ、なんて言うかな。今まで見えていなかったものが見えてくる」
それでも。俺は見たい。彼女が一人こもっているその殻を、俺は割ってやりたい。割ってやる。
「……あなたの言う通りにして、もしも失敗すれば? 私は失望される。きっと私の傍には誰もいなくなる」
「詳しいことはわかんないけどさ……君が失敗して見放すような人しか周りにはいないの?」
「……いえ。一人。私の友達が……だけど、わからない。もしかしたら……」
「その人は君が失敗すればいなくなるような薄情な奴なのか?」
「違う! ちが、違う……けれど」
「じゃあ、わかった。俺は君が失敗しても失望などせず離れない。つーか、失敗したくらいで関係切るような人なんかそうそういないだろ」
「……え?」
「俺は君が失敗しようが変わらずにいる。そばにいる。……力になってやるよ。……だからさ、同じ一年生同士、仲良くしよう」
彼女はしばらくの間、驚いたような、それでいてどこか憑き物が取れたかのような表情で俺を見ていた。そしてやがてポツリと小さな声を発する。
「………………川瀬」
「ん?」
「川瀬愛美。私の名前。よろしく。あなたの名前は?」
「谷口陽太だ。よろしく川瀬」
「うん。よろしく谷口。それにしても……よくよく考えると今の言葉の数々。結構痛い発言じゃない? 谷口君?」
先程の苦しい表情はどこに行ったのやら、川瀬は挑発するような目で俺を見てくる。
「う……やめて。自覚してるから。言ってて、すげー痛いヤツじゃね? 俺って、と内心すげーずっと思ってたから」
肩をガックリと落とす俺に川瀬はクスクスと笑い意地悪そうな表情を浮かべる。
「あんな口説き文句、よくペラペラと口から出て来たわね」
「くど……まあ、確かに客観的に見るとそうだよな。うわあ黒歴史だ」
「えーと。私から離れ——」
「やめてください。本当に。マジで」
「このセリフだけだと純粋にストーカー宣言に聞こえるね。痛いね~」
「やめて!」
俺は頭を抱える。マジでもう勘弁してくれ。そんな俺の様子を見てまたもクスクスと川瀬は笑う。
「ほら、そろそろ時間だし。行こ。谷口のクラスは?」
「A組……」
「あ、じゃあ同じクラスじゃん」
その時の表情は今でも忘れない。忘れられない。
「これからよろしくね、谷口」
とても綺麗な笑顔だった。
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