最終話


 香りは凪砂に会いにコンビニに向かっていた。

 店内に入ると軽やかなメロディーが鳴り、店員の視線が香りに向いた。凪砂と目が合い、香りは足を止める。凪砂は驚きに一瞬目を見開いたが、すぐに表情を消して「いらっしゃいませ」と言った。

「黒中さん」

 香りは凪砂に話しかける。

「……なに?」

「あと少しで、仕事が終わるって聞いたんですけど……」

「……二時に終わる」

 香りは時計を見る。時刻は一時半。あと三十分ある。

 それまでずっとここにいるのもどうかと思い、香りは、

「じゃあ、それまで図書館にいます。二時にまたきます」

「いい」

「え?」

 もしかして凪砂は、もう来るなと言いたいのだろうかと、香りはヒヤリとした。

「あの……」

「迎えに行くから、図書館にいて」

 しかし凪砂の思いがけない言葉に、香りの心がパッと明るくなる。

「はい!」

 香りは笑顔で頷くと、軽い足取りで図書館へ向かった。

 


 図書館は年中無休で、香りたち職員の休みはシフト制。その日休みだった香りが図書館へ顔を出すと、のばらがやってきた。

「あれ? 神条さん、なにか忘れ物?」

「いえ、少し時間潰しに」

「本当に本が好きなのね」

 呆れたように笑うのばらに微笑みを返す。そして、「あぁ」と思い出したように休憩室を見た。

「雨音ちゃん、来てるわよ。今日は創立記念日で学校が休みなんだって」

「そうですか。顔出してみます」

 香りは本棚から本を一冊抜き取ると、休憩室へ向かった。

「お姉ちゃん!」

 部屋の扉が開き、顔を上げた雨音が香りに気が付く。

「雨音ちゃん」

 香りは抱きついてきた雨音を受け止め、小さな頭を撫でた。柔らかい雨音の髪の感触が、香りの手から心へつたっていく。その温かさに、未だに気を抜くと涙が出そうになる。

「……あれ、少し背伸びた?」

「そう?」

 雨音はキョトンと小首を傾げた。

「服小さくない? きつくない?」

「あ、言われてみれば、ちょっと」

 雨音が手を伸ばし袖をぎゅっと手で掴む。

「ママに新しいの買ってもらう!」

「うん、それがいいね」

 雨音は近頃、母親とちゃんと話すことができているらしい。表情もずいぶん明るくなって安心した。

「お姉ちゃん、それ借りた本?」

 雨音がちらりと香りの持つ本を見た。

「うん。そう」

「難しそうな本だねぇ」

「雨音ちゃんも読んでみる?」

 香りは、クスリとからかうように言ってみる。

「……しゅ、宿題終わってからね!」

 雨音はプイっと目を逸らした。その様子に、香りはさらに笑いが込み上げる。

 雨音と笑い合っていると、あっという間に時計は二時を十分過ぎていた。

「神条さん」

 声がしたと思えば、ドアのところに凪砂が立っていた。

「黒中さん」

「お兄ちゃん!」

 雨音が嬉しそうに駆け寄る。凪砂の口元がかすかに上がった。

「雨音もいたのか」

「うん! お姉ちゃんと遊んでたの」

 雨音は嬉しそうに飛び跳ねる。その小さな頭に凪砂の手が優しく乗せられた。雨音は嬉しそうに目を細めている。

「黒中さん、お仕事お疲れ様でした」

 香りは机を片付けると、凪砂に労いの言葉をかける。

「雨音。そろそろ帰るぞ」

「うん」

「雨音を送る」

「私も行きます」



 


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