第59話


 三人はレストランホールに戻り、グズるユニコーンとドラゴンを連れ、集合場所にしておいたエントランスホールに向かった。

 全員揃うと、猫娘たちはぬいぐるみを囲った。

「これが……あの星井熊野って、本当なの?」

「じゃあ、この船には最初から九人いたってこと?」

 ピエロは疑いの眼差しで、身動きを取らないぬいぐるみを覗く。

「これが……?」

 ライオンもピエロと同様の反応を示した。

「ねぇ、あなたはさっき、理由なんてないって言ったけど……本当なの?」

 猫娘はぬいぐるみへ問いかけた。

「うん。どうしてそんなこと聞くの?」

 ぬいぐるみはきょとんとしていた。

「どうしてって……」

 猫娘は言葉を失くし、ぬいぐるみの瞳を見つめた。その瞳には一片の曇りもない。

 ぬいぐるみは本当に、心からその意味が分からないようだった。

 猫娘は、「あぁ」と嘆く。

「人の気持ちを考えりゃ済む話だろ」

 カラクリが言うと、猫娘が静かに首を振った。

「いえ。だからきっと、この子はそれができないんです」

「どういうことだ?」

「……本で読んだことがあります。シリアルキラー……心理的欲求を、殺人をすることで満たす精神疾患者。この子は心から分からないんです。戻れないんです。人を殺す前の自分に……。それは、産まれる前の自分を知らないのと同じ」

 ぬいぐるみは、どこか虚ろに視線を彷徨わせたまま、小首を傾げる。

「今、誰が喋ってるの?」

「は?」

「なに言ってんだ、お前……」

 そのときようやく猫娘は、ずっと感じていた違和感に気付いた。

「あなた……もしかして」

 しかし、猫娘が訊ねる前に、カラクリが大きな声を出してぬいぐるみの首を掴んだ。

「……お前、まるで反省してねぇな。シリアルキラーだろうがなんだろうが、人を殺しちゃいけねえんだよ。ガキだからって許されねえんだよ」

 ぬいぐるみは大きな瞳でカラクリを見る。

「……僕がおかしいことはわかってるよ。だったら僕みたいに殺せばいいじゃん。僕はただ、自分に正直に生きてるだけだよ」

「お前……あ、おい! 香り!」

 猫娘は興奮し始めたカラクリからぬいぐるみを優しく奪い、目線を合わせた。

 すぐ近くで二人の視線が交わる。

「ダメなことはわかってるのに、それでも止められないの?」

「……うん。我慢すると、気持ち悪くなる。人が死んでく瞬間を見てるのがすごく心地いいの。生きてるって実感できるの」

 猫娘は息を吐く。

「ふざけんなよ。お前、人を命をなんだと思ってるんだ!」

「あっ……」

 カラクリが再び猫娘からぬいぐるみを取り上げ、階段から思い切り投げ捨てた。

 遠くでびちゃんと水しぶきが上がり、ぬいぐるみが水を吸って沈んでいく。

「先輩! なにするんですか!」

 猫娘が訴えるが、カラクリはふんと息を吐き、目を逸らした。

「なんなんだよ、アイツは……」

「シリアルキラーなんて、ドラマの中の話だと思ってました」

 ライオンの漏らした言葉に、全員がぬいぐるみが落ちた水面を見た。

 猫娘がザブザブと水を切り、ぬいぐるみを探しにいく。

「香り! 危ない。あんな奴放っておけよ」

 カラクリが猫娘の腕を掴む。

「ダメですよ。先輩も聞いたでしょ? 本人に罪の自覚はあったんです。でも、それが分かっていてもやめられない……。きっとあの子は、私たちが今ここでなにをいってもその衝動を止められないんだと思う」

「だったらなおのことだ!」

 猫娘はカラクリを見据えた。

「……先輩。この船に乗ったみんな、叶えたい願いがあるんです。みんな、生きてるから。これはチャンスなんです。甘いってことはわかってる。でも、先輩いってたでしょう? 絹川町を子どもも大人も住みやすい場所にしたいって思って警察官になったって。私が慕っていた先輩は、誰も否定したりしなかった。優しかった」

「優しさなんて! そんな甘いことを言ってたから、俺は……」

「……先輩。優しさって、こういうときこそ一番に必要なんじゃないですか?」

「香り……」

 カラクリは、猫娘の腕を力なく放した。猫娘は水の中を進んでいく。

 既にエントランスホールは、階段の一階部分まで浸水している。水の中で必死に泳ぐ猫娘を、ドラゴンが足で優しくつまみあげた。

「お姉ちゃん、手伝うよ」

「雨音ちゃん……いいの。無理しないで。あなたは許すことない」

「ううん。私も強くなりたいから」

「もう……雨音ちゃんは十分強いよ」

「えへへ」

 ドラゴンは照れくさそうに、曖昧に頷いた。

 そして、二人でなんとか沈んでいたぬいぐるみを見つけて拾い上げると、階段に戻った。

 ぬいぐるみは水を含みかなり重くなっているが、なんともないようだった。

「ねえ、僕は悪人?」

 ぬいぐるみは本心で呟いているようだった。沈黙が落ちた。誰もなにも言わない。

 クマのぬいぐるみ――熊野に殺された当事者がこの場にいる。このぬいぐるみを擁護する言葉も、批難する言葉も、どちらを選んだとしても傷付くのは殺された側の人間だ。猫娘はひとつ息を吐き、ぬいぐるみに歩み寄った。

「人を傷つけることは、悪いことなんですよ。それはあなたも分かっているんでしょう?」

「うん」

「でも、止められない?」

 猫娘が優しく訊ねると、

「うん」

 ぬいぐるみはこくんと頷いた。


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