第57話
ほどなくしてユニコーンを見つけたのは、ドラゴンと猫娘だった。レストランの前を通ると、食器の割れる凄まじい音に、二人は立ち止まり顔を見合わせた。
「……お、お姉ちゃん……」
「大丈夫。ドラゴンはここにいて。私が様子を見てくるから」
震えるドラゴンを宥め、猫娘は一人そっとレストランに入った。
水がブーツに入って足元が覚束無い。それでも、猫娘は浮き上がったテーブルなどを支えにしながらレストラン内を進む。
「ユニコーンさん、いますか……?」
レストランの中はやはり水浸しで、水面には割れた食器と食材が散乱していた。ひどい匂いだ。猫娘は周囲に神経を研ぎ澄ませながら、割れたガラスを避けて進んでいく。
かくして、ユニコーンはすぐに見つかった。レストランの中央、水面に浮き上がった観葉植物にしがみつきながら、ブルブルと震えているユニコーンがいた。
「ユニコーンさん! どうしたんですか!?」
猫娘が慌てて駆け寄ろうとすると、ユニコーンが初めて聞くような大声で叫んだ。
「来るなっ!!」
ビクリと肩を揺らし、猫娘は立ち止まる。
「……ユニコーンさん?」
「こ、来ないでくれ! あんた、だ……誰なんだ?」
「私、猫娘です。一体どうしちゃったんですか、ユニコーンさん」
猫娘は戸惑いつつ、ユニコーンを興奮させないようにゆっくりと言った。
「違う! 星井熊野は誰だと聞いてるんだ!」
「星井熊野?」
猫娘は眉をひそめる。
「そうだ! か、隠しても無駄だ! 絶対この中にソイツがいるはずなんだ! 僕を殺した、あの子供が!」
「でも、みんな名乗りました。鬼人さんも、蛇女さんも彼じゃないんです。彼は私たちの中には……」
猫娘が訴えるが、ユニコーンは聞く耳を持たない。
「あ、有り得ない……誰かが嘘をついてるんだ。じゃなきゃ、あの手紙はな、なんだ?」
「あ……たしかに」
手紙のことを失念していた猫娘は、ハッとした。
「アイツがいないわけがないんだ、ここに……」
たしかに元凶がいないというのは些か不自然ではあるが。だが、この船に乗るのは任意で、決して強制ではなかった。乗っていない可能性も十分有り得るのではないだろうか。
「でも、誰も嘘なんてついてません」
「嘘だ!」
ユニコーンは混乱しているようで、猫娘がいくら宥めても頑なに首を振った。
「ユニコーンさん、落ち着いて」
「もう、もう二度とあんな思いはごめんだ。……あ、あんたには分からないだろう、体を死なない程度にいたぶられて、ど、どんどん指がなくなっていくんだ。腕が、足がもがれて……この七日間、ずっとアイツに殺される夢を見た」
猫娘は言葉を失った。
「ぼ、僕の体を裂いていくんだ、あの悪魔が……」
猫娘は、ユニコーンにかける言葉を見つけられないまま、ただ彼を見つめることしかできない。
「何度も、何度も、何度も何度も!」
「……ユニコーンさん。ここは、私たちが救われるための場所だと思うんです。期限付きだけど、でも、きっと……」
「……す、救われる?」
ユニコーンの動きが止まる。猫娘はゆっくりと歩き出した。
「やり直しましょう。きっと、できるから……」
猫娘の足が、食器の破片に触れた。ピリッとした痛みが走り、猫娘はこめかみに力を入れる。
血が、透明な水面に赤い糸のように流れ出した。その瞬間、怯えるようにユニコーンが猫娘を見た。
「来るな!」
「ユニコーンさん……」
「やめろっ!」
猫娘が興奮気味のユニコーンに、もう一歩歩み寄ろうとしたとき、レストラン内にカラクリの声が響いた。猫娘は驚き、振り向く。
「……先輩?」
「香り! ダメだ。危ないから、それ以上動くな」
カラクリはレストラン内の惨状と流れる血になにを勘違いしたのか、猫娘を引き止める。
「あ、先輩。違いますよ。これは」
「お前が星井熊野なのか?」と、ユニコーンがカラクリを睨む。
「は、はあ? お前、なにを言ってるんだ、違う」
カラクリは呆れたように首を振る。
「じゃあ、お前か! お、お前、ずっと話し合いにも参加していなかったもんな」と、ユニコーンはカラクリの隣にいた鬼人を睨んだ。
「……違ぇよ」
鬼人は面倒くさそうに頭を掻き、吐き捨てる。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ!」
しかし、ユニコーンの瞳には強い恐怖が宿っていた。
「ユニコーンさん、違うの。お願いだから落ち着いて」
まずいと思い、猫娘がユニコーンに声をかける。
そのとき、ドラゴンの叫び声が聞こえた。
「お姉ちゃん!」
猫娘を目掛けて、割れた食器が飛んできたのだ。
カラクリが目を見開き、ドラゴンが目を瞑る。隣にいた鬼人が思わず足を踏み出したが、どう頑張っても猫娘のいる場所までは届かない。
――パリーンッ!!
耳を劈くような、食器が粉々に割れる音がレストラン内を支配した。
飛んできた皿は、ユニコーンの乗っていた植物に当たり、粉々に割れ散った。間一髪、猫娘は地面を蹴って前方に飛び上がって避けたものの、放心状態だ。着地して手をついたときに食器の破片を触ってしまったのか、手から血が滲み出す。
「……え、なに?」
猫娘が食器の飛んできた方向を見つめ、首を傾げる。無理もない。なにしろ、誰もいないはずのキッチンから食器が飛んできたのだから。
「……誰か、いるの?」
猫娘が呟くとカラクリも、
「俺たちの他に、誰かが……?」
「うわぁぁああ!!」
ユニコーンが叫び、逃げ出そうと植物から足を離した。しかし、ユニコーンは泳げないのか、ブクブクともがきながら沈んでいく。
見かねたカラクリが「落ち着け!」と、ユニコーンの角を掴み、強引に動きを止めようとした。
しかし、体の大きいユニコーンを押さえつけることができず、思い切り振り回されていた。
「お、おおおい、おち、落ち着けってば」
角のてっぺんで、赤いドレスが旗のようにはためく。カラクリはユニコーンに振りほどかれないように、必死にその角にしがみつく。
「先輩!」
猫娘が叫ぶ。
このままじゃ危ない。猫娘が駆け寄ろうとしたとき、それよりも先にドラゴンが動いた。
――ドカッ!!
ドラゴンは動転しながらもユニコーンを落ち着かせようとしたのか、その体を片足で力任せに踏みつけた。
「あばばぶぶぶっ……」
ベチャッと蛙が潰れたようにぺちゃんこにされたユニコーンは、水の中でようやく動きを止めた。もしかしたら、水を飲んで軽く窒息したのかもしれない。
「……あ」
「おっと。やっちまったな」
猫娘たちは思わず声を上げて、ひらべったくなったユニコーンを見守った。
「……ご、ごごごめんなさい! ユニコーンの動きを止めようとして……わざとじゃないの!」
ドラゴンは勢いよく水面へ自分の頭を叩きつけた。
「いや、助かったよドラゴン。ありがとう」
「そうだ雨音、頭を上げろ。悪いのはみっともなく取り乱したこの馬だ」
カラクリも、さらに鬼人すらユニコーンを心配する気配はまったくない。
「そ、そうだね。ドラゴンは悪くない……けど、ユニコーンさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……れす」
ユニコーンは目をぐるぐると回したまま、ピョッと水を吐き、なんとか返事をした。
「それにしても、こんな危ないものを投げるなんて」
「……ああ。あの部屋、キッチンだよな」
猫娘とカラクリは、水面に浮かぶ割れた食器を睨みつけた。
「……俺が行く」
鬼人がキッチンへ足を向ける。
「待って! 不意打ちの攻撃なら避けられますから。私が一番にいきます」
「危ない。ダメだ」と、鬼人が猫娘の腕を掴む。すると、カラクリも強く頷いた。
「そうだ。香り、いきなりなにをいうんだ。お前はここでドラゴンとユニコーンと待ってろ」
しかし、猫娘も引かない。
「嫌です。今度こそ黒中さんを守るって決めたんだから。絶対行く」
その強い眼差しに、カラクリがため息をついた。
「……じゃあ、俺の後ろにいるんだぞ」
「でも……」
不満げな反応の猫娘に、カラクリがぴしゃりと告げる。
「それが嫌ならくるな」
「分かりました」
鬼人は呆れたように猫娘を見る。
「……あんた、意外と頑固なんだな」
「はい。ありがとうございます」
手を後ろにやりながら、なぜかはにかむ猫娘。
「…………褒めてない」
すかさず鬼人がツッコむ。
「……行くぞ」
それを見ていたカラクリは二人から目を逸らし、さっさと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。