七日目

第56話



 初日に集まったエントランスホールは、同じ場所とは思えないほど崩壊していた。床は傾き、水浸し。今や膝下辺りまで水位は上がってきている。

 猫娘たちは階段に座り、顔を見合わせ合う。誰もなにも言わなかった。

 その日、それぞれが部屋に戻ることはなかった。全員揃ってエントランスホールで仮眠していたが、大きな爆発音で何度も目を覚ました。

「本当に沈んじゃいそう」

 ドラゴンが小さく丸まる。

「大丈夫。皆ずっと一緒だから」

 猫娘は優しくドラゴンの背中をさする。

 その様子を見ていたカラクリが、

「……そうだな。こうしていても事態は変わらない。それなら真実を最後まで探して、やっぱり誰の願いを叶えてもらうか、話し合おう」

「……そうですね。私は賛成です」と猫娘が頷くと、ドラゴンやピエロも静かに頷いた。

「じゃあ、まずは整理しよう」

 カラクリが口火を切った。

「俺はカラクリ。元の名は鈴石仁平。警察官だ。五年の五月に起こった警察官拳銃暴発事件で殉職した。この箱船に乗ったのは、死ぬ直前。ここにいる、猫娘……香りを助けるため」

 ホールに映える真っ赤なドレス。カラクリが身を動かす度、バルーン状のスカートがふわりと揺れる。

 カラクリの瞳は、ただ猫娘だけを見つめていた。

 猫娘はほんのりと微笑み、カラクリに続く。

「私は猫娘、神条香り。図書館で司書をしていました。先輩の話では、駅のホームから転落して死ぬ……みたいです。でも、箱船に乗ったのは死ぬ前、黒中凪砂さんの死刑が確定した直後です」

 猫娘はゆっくりと目を伏せる。けれど、真実から目を逸らすまいとすぐに目を開いた。

「じゃあ次、雨音ちゃん」

 猫娘が優しくドラゴンにバトンを渡すと、ドラゴンは素直に頷いた。

「うん。私はドラゴン、露木雨音。絹川小学校の四年生。九十九年に絹川の河川敷で、星井熊野君に殺された。私も、ここに来たのは死ぬ直前で……」

 ちらりと猫娘を見る。猫娘はにこりと笑み、ドラゴンを促す。

「……最初は、お兄ちゃんと飼ってたノアを助けたくて乗ったの。でも、お兄ちゃんが私のせいで悪い人扱いされて死んじゃったって聞いて……お願いが少し変わったの」

「そっか」と、猫娘は優しく頷く。

「ノアも助けたいけど……でも、お兄ちゃんがいなかったらノアは助かってなかった。だから、お兄ちゃんのこと、助けたい」

 ドラゴンは、もう初日の挨拶のように俯いてはいなかった。しっかりと前を見据えている。

「ピエロ、本名は本間つや子。九十八年に強盗殺人で星井熊野に殺された老人だ。私の願いは……これを言ったら、怒られるかもしれないけれど」

「うん? なんだ?」

 カラクリがピエロを見る。すると、ピエロは穏やかな口調で言った。

「正直、まだ分からない。凪砂くんを助けたいが、でも、本当にそれで悲劇は回避されるのか……」

 そう言ったピエロは、悲しげに視線を泳がせていた。

「まぁ、仕方ないな。けど、それだと願いは他の人が優先されるだけだがいいのか?」

「かまわないよ」

「そうか」

 カラクリの問いに、ピエロは目を伏せ、呟く。

「じゃあ、次は私。私はライオン。本名東雲雪歩。九十八年に旦那が星井熊野に殺されて、後を追いました。正直旦那を殺した星井熊野が殺したいほど憎い。この中にいるなら殺すつもりでした。……でも、一番はやっぱり……旦那に戻ってきてほしい。それが私の願いです」

 ライオンが黙ると、蛇女が俯いた。しばらく黙り込み、そしてゆっくりと口を開く。

「私は……蛇女。本名は山梨月埜。私は、神条香りさんをホームから突き落として殺害した。その後、走って逃げて……病院の非常階段から身を投げて死んだ。私の願いは……」

 蛇女が泣きそうな顔で口を噤む。

 すると、

「あなたの願いは、黒中さんを助けること。でしょう?」と、猫娘が優しく声を被せた。

「……うん。そう。先輩を助けたい。それが私の願い」

 続けて、鬼人が口を開く。

「黒中凪砂。俺は、死刑囚だった。俺は……たくさんの人を傷付け、殺した。……それで、死刑になって死んだ。俺の願いは……この悲劇が消えてなくなること。雨音もつや子さんも、ノアも……それから、あなたの旦那さんも。全員を助けたい」

 鬼人はライオンを見つめて言った。

「え……」

 てっきり、熊野に復讐をするものと思っていた猫娘は、目を丸くして鬼人を見た。

「先輩、どこまで優しいの」

 蛇女の言葉に、猫娘も涙を堪えた。

「優しくなんかない。すべてがなかったことになればいい。それが、ここにいる全員を救う方法だろ」

 鬼人の言葉に、猫娘は考え込むように視線を落とす。

 そして、全員の紹介が終わったと思ったそのとき、ピエロが気がついた。

「……あれ? そういえばユニコーンさんは?」

「……そういえば、アイツ今どこにいるんだ? 一緒じゃなかったのか? 影が薄いから気が付かなかったな」

 カラクリが眉を寄せ、辺りを見る。

「たしか、部屋を出たときは一緒だったはずなのに」

 しかしやはり、彼の姿は近くにはないようだ。

「どうしたんでしょう?」

「もしかして、爆発に巻き込まれたとか!?」

「えっ!? そんな!」

 エントランスホールの空気が重くなる。

 そして、蛇女が思い付いたように瞬きをした。

「……待って。もしかして……ユニコーンがその犯人の少年なんじゃないの? だって、本来ならこの船にはそいつもいないとおかしいでしょう?」

「それはそうだけど、でも、ユニコーンさんは高見まさるだって名乗ってたし、れっきとした事件関係者ですよ? この箱船にいてもおかしくない人です」

 控えめに言う猫娘を、蛇女がギロリと睨んだ。猫娘は途端にしゅんと耳を垂れて小さくなる。

「誰かが嘘をついてる可能性も考えないとダメでしょ。あんた、思ったより馬鹿なの? ああ、というか、平和ボケしてるのかしら? そんなんだからみっともなく電車に轢かれるのよ」

 蛇女は相変わらず、猫娘にだけは容赦がない。

「すみません……」

 すると、鬼人とカラクリがすかさず猫娘を擁護する。

「あんたは、そこがいいところだ」

「そうだ。香り、あんなメデューサみたいな女のいうことなんか気にしなくていい。俺は素直で優しいお前が好きだ」

 鬼人とカラクリが視線を絡める。

 どことなく、二人の間をバチバチと火花が散っているようにみえた。

「ちょっと! 痴話喧嘩はあとにして。まずはユニコーンさんを探しましょうよ」

 ライオンが吠えると、全員我に返って肩を竦めた。

「そうでした。とりあえず手分けして探そう」

 こうして、カラクリと鬼人、ドラゴンと猫娘、そして、ライオンとピエロと蛇女に分かれて箱船の中を探すことになった。

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