第53話

 

 ――鬼人の告白を、猫娘は涙を流して聞いていた。いつの間にか涙だけでなく、妙な汗まで掻いていた。

「酷いな……」

 カラクリも思わず言葉を漏らす。

「それで、あなたはその少年の殺人を手伝ってしまったの?」

 ピエロは悲しげに眉を寄せ、訊ねる。

「……いや」

 鬼人は首を横に振った。

「できなかった。家に帰ってあの首を見て、吐いた。すぐに押し入れの奥に閉まって、悪い夢を見たんだといい聞かせた。でも……眠れなかった。押し入れの中が気になって」

 ドラゴンが洟を強く啜る。

「大丈夫よ、ドラゴン。おいで」

 それに気付いた猫娘が、ドラゴンを優しく呼んだ。とことこと歩み寄り、隣に座り込んだドラゴンの頭を、猫娘が優しく撫でてやる。

 ドラゴンは、落ち着いたように目を細めた。

 まるで悪夢だと猫娘は思った。

 いや、ただの悪夢ならどれだけ良かっただろう。これらは全部悪い夢で、目が覚めたらいつも通りのなんでもない朝が来るのならば、どれだけよかっただろうか。

「俺はとりあえず、男の首を近くの林に隠して逃げた」

 凪砂の言葉に、カラクリが怒鳴る。

「なんで警察に通報しなかったんだ!」

 鬼人はゆっくりとカラクリを見上げ、真っ暗な闇のような、光のない瞳でいう。


「警察に行ったら、俺が捕まるだろ」

 鬼人の昏い瞳に、カラクリは狼狽えた。

「それは……でも、お前が殺したわけじゃないんだから……」

「なら、あんたは信じるのか? 証拠もなにもないのに、見知らぬ小学生に脅されて、殺人を手伝えと持ちかけられた。それを断ったら差出人不明で人の首が送られてきたっていって、あんたは信じてくれたか?」

 鬼人の責めるような鋭い瞳に、カラクリは言葉を詰まらせた。

「それは……」

「たしかに……黒中さんの言う通りです。今でも、とても小学生が人を殺したなんて信じられない」

 猫娘は目を伏せる。

「……そうだけど……でも、遺体を隠すなんて……そんなことしたら、たとえ殺してなくてもお前が罪に問われるんだぞ」

「どうせ、本当のことを言ったとしても俺が捕まる。俺の言うことは、誰も信じないから」

 鬼人は、なにもかもを諦めたような瞳でカラクリを見る。

 その瞳に、カラクリはなにも言えなかった。

 カラクリが思うより、鬼人の闇はずっとずっと深い。

 鬼人がこれまで社会から受けてきた仕打ちは、カラクリたちに到底理解できるものではなかった。

 鬼人は社会に殺された。社会に人生を奪われたのだ。冤罪という形で。

 ドラゴンに寄り添っていた猫娘は、音もなく立ち上がる。そして、座っている鬼人を上から囲うように抱き締める。優しく、壊れ物を扱うように。

 鬼人は猫娘の突然の抱擁に驚き、固まっていた。カラクリは鬼人を抱き締める猫娘からそっと目を逸らした。

「……信じます。もう一度ちゃんと向き合うから、あなたと……だからもう、自分自身を責めないで。お願い」

 鬼人は猫娘に抱き締められたまま首を振り、呟く。

「……俺は、もっと早くあの男を殺すべきだったんだ」

 猫娘が鬼人の言葉に驚いて、その体を離した。昏い瞳を覗き込むように、猫娘は鬼人に向かい合ってしゃがみ込む。

「そうすればつや子さんが死ぬことも、雨音が死ぬこともなかったんだよ……」

 鬼人の手は震えている。それはまるで、今の鬼人の心の状態を表しているようだった。


 ――河川敷で少年と会ったあの日から、一ヶ月が過ぎた。あれからあの少年とは会っていない。

 やはりあれはただの脅しだったのだ。あの首も、きっとなにかの間違いだ。

 そう自分自身に言い聞かせ、凪砂はアルバイトの日々を送った。

 その報せは突然のことだった。

「あの資産家のおばあちゃん、昨晩亡くなったんですって」

「殺されたそうよ。強盗だって。お金も命も取られちゃうなんて、最悪の死に方よね。ボケていたそうだから、本人はそんな悲惨な死に方をしたことも分かってなさそうだけど」

 コンビニに連れ立ってきた主婦たちが噂しているのを耳にした凪砂は、頭が真っ白になった。

「強盗……?」

 資産家の家といったら、つや子の家だ。

 脳裏によぎるのは、あの少年の不気味な笑顔だった。指先が急激に冷たくなっていく。

 凪砂は急いでつや子の家に向かうと、そこは警察の支配下にあった。

 慌てて電柱の影に隠れ、凪砂は様子を伺う。

 つや子の屋敷の様子に夢中になっている凪砂の背後に、人の気配がした。

「あっ、お兄ちゃん」

 振り返ると、そこにはあの少年がいた。

「お前……まさか」

「ねぇお兄ちゃん。もしかして、お金持ってるのって、お兄ちゃん? 昨日探したのに見つからなかったんだけど」

 少年がゆっくりと凪砂に近づく。

「お前がつや子さんを殺したのか?」

 凪砂は小さな少年の胸ぐらを掴む。少年は驚くほど軽く、簡単に体が浮いた。

 しかし、少年は余裕の表情で、

「いいの? 目の前に警察いるよ?」

 凪砂は奥歯を噛み、少年の胸ぐらを突き飛ばす。

「ねえ、このままお兄ちゃんはどんどん人が死んでいくのを見てるだけなの?」

「なにを……」

 少年の気迫に、凪砂は思わず後退る。荒ぶる息を整えながら、少年を見返した。

「お兄ちゃんの周りの人間、どんどんオブジェになっていくよ」

 凪砂は混乱した。今自分の目の前にいるのは、悪魔なのだろうか。可愛らしい少年の姿をした悪魔なのか。凪砂には、目の前のこの少年が到底人とは思えなかった。

「だったらその前に、俺がお前を殺してやるよ」

 凪砂は自分でも驚くほど低い腹の底から湧き出てくるような声で少年を脅す。

 すると、少年は楽しそうにコロコロと笑った。その姿は年相応の無邪気な子供だ。

「生首見て腰抜かしてた男とは思えないね!」

 凪砂には、この少年の実態がよくわからなかった。本当に子供なのかすら分からない。不意に大人のような眼差しをしたり、かと思えば幼い子供のように無邪気な笑顔をする。

 しかし、いつだって少年が笑顔で話すのは人を殺したときのことだった。

「……人を殺して、なにが楽しいんだ?」

「それ聞く? だって、お兄ちゃん絶対理解する気ないでしょ?」

 相変わらず少年は楽しそうだ。

「ああ、無理だな。お前みたいな気狂いの考えることなんて」

「それ、偏見じゃない?」

「はぁ?」

 吐き捨てられた凪砂の言葉に、少年は突然表情を消して言い返した。

「……ねえ、僕っておかしいの? お兄ちゃんは、僕が誘拐されそうになったから正当防衛で殺したとか、そういうことは考えなかったの?」

 たしかに少年の言う通りだ。

「ふざけんな……」

 普通ならば、この少年を被害者側であると思うのだろう。それが頭でわかっていたからこそ、凪砂は警察にあの首を届けられなかったのだ。

 法に守られるのは、いつだってこの少年のような人間。代わりに、凪砂のような容姿も態度も悪い人間が絶対悪とされるのだ。

「もし仮にそうだとしても、わざわざ死体を切断して俺を脅す理由がない」

「…………あぁ、そうか。お兄ちゃん、意外と頭回るんだね。ちょっとからかおうと思ったのに、つまんないや。じゃあまたね、お兄ちゃん」

 少年は踵を返して帰っていった。

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