六日目

第44話


 ――翌日の昼間、鬼人はレストランへ向かっていた。

 入口にはクマのぬいぐるみが置かれ、その下にはそれぞれの部屋番号と名前の書かれた用紙。ぬいぐるみは『クローズド』と表示された板を持ち、まだレストランの準備が整っていないことを教えている。

 鬼人はぬいぐるみの置かれた受付台の前で立ち止まる。そして、ゆっくりと受付台に手を伸ばした、そのとき。

 少し先の廊下を、猫娘が足早に歩いていくのが見えた。さらにその後を、カラクリが追いかけるようについていく。鬼人は眉を寄せた。

 二人の会話が聞こえてくる。

「絶対距離はとっておけよ」

「はい」

「相手は人殺しかもしれないってことを頭に入れておくんだぞ」

「分かってますよ」

 どうやら、猫娘は誰かに会いにいくようだ。鬼人は少しの間考え込む。そして、猫娘の向かった方向へ足を向けたのだった。

 猫娘は蛇女の待つエントランスホールへ向かった。猫娘は緊張の面持ちでエントランスホールへ続く螺旋階段を降りていく。

 階段で立ち止まり、エントランスをゆっくりと見渡す。

 三階まで続く螺旋階段の真下には水路が流れ、その周りには南国にでもありそうな植物が彩りを添えている。シックな臙脂色の絨毯の端には、何尾もの金魚が閉じ込められた水柱がささっていた。

「ようこそ」

 立ち止まっていると、突然、ホール内に声が響いた。

「……蛇女さん」

 声の方を見ると、絨毯の中央の床に大の字で寝そべっている蛇女がいた。黒いドレスが床一面に広がり、まるで魚の鰭のようにひらめいている。

 蛇女は猫娘と目が合うと、むくりと起き上がった。

 猫娘は階段を降りながら、

「カラクリさんから、話があるって聞いたのですけど」

「そうだね。でも、あなたからどうぞ。あなたも私に話があるからここにきたんでしょう?」

 蛇女は余裕のある表情で猫娘へ言い返した。猫娘は逡巡したものの、覚悟を決めて蛇女を見据える。

「私が聞きたいのは一つだけ。あなたが黒中さんなの?」

 蛇女は立ち上がり、すぐ近くのソファーに座った。鋭い視線が猫娘を射抜く。蛇女は口角を上げ、問う。

「どうしてそう思うの?」

 すぐ顔の横で、白い蛇が真っ赤な舌をちらつかせながら猫娘を睨んだ。

「……他の人たちは全員名乗ったんです。残ってるのは鬼人さんと蛇女さん……あなたたち二人だけだから」

「そう」

 蛇女は伏し目がちに水路を見た。

「じゃあ、もう真実は分かったんだ。真犯人は誰なの?」

 しかし、猫娘はなにも言わずに蛇女を見返した。カラクリたちとの話に参加していない蛇女に、皆のことを言うわけにはいかない。それに、まだ蛇女が黒中凪砂だとも確定していない。

 髪の毛の蛇たちは、ゆらゆらと体をくねらせて蛇女の体に巻き付く。

 不気味な赤い瞳は猫娘を捉えたままで、ちろちろと垣間見える細く割れた舌が、猫娘にいいしれない緊張を与える。

「もし、あなたが黒中さんなら……」

「――そうだよ」

 猫娘は息を呑む。

 蛇女はなんでもないことのように言った。

「俺が、黒中凪砂だよ。バレないように話し方を変えていたけれど、よく分かったね」

 まるで時間が止まったかのように、猫娘は蛇女を見つめたまま硬直した。

「本当に……? 本当に、黒中さんなの?」

「うん」

 蛇女はソファーにごろんと体を預けた。彼女のまとった黒いドレスは、艶めかしく蛇女の体のラインを浮き上がらせる。

「――ねぇ、俺が君のことどう思ってるか教えてあげようか」

 それはまるで、愛を囁くような声で。

「え……?」

 猫娘の心臓がうるさいくらいに音を立て始める。

「監獄の中で、君のことをどう思ってたか。あの執行室で首に縄を付けられたとき……。刑が執行されて、足が浮いたとき……」

 蛇女の口元が歪む。猫娘は、まるで意識を持っていかれたようにその口元から目が逸らせない。

「君、神条香りでしょ?」

 猫娘は、息を詰まらせた。

「……どうして私を知ってるの? いつから気付いてたの?」

 きっと、きっと違うと思ったのに。この人は嘘をついているのだと思ったのに。

 星井熊野が、猫娘の本当の名前を知っているとは思えない。だとすれば、やはり蛇女は、本当に黒中凪砂なのだ。

「だって、全然変わってないから」

 蛇女は蔑むように猫娘を見た。

「人を殺したっていうのに平然として」

 悪意に満ちた声が、容赦なく猫娘を追い詰めていく。

 その瞬間、下の階から爆発音がした。

 地面が傾き、水柱が割れる。大きなガラスの割れる音に、猫娘は耳をぴんと立て、反射的に目を瞑った。

「きゃっ!」

 溢れ出した水が猫娘の足を撫でていく。しかし、足元に気を向ける余裕なんてなかった。猫娘は俯き、唇を噛む。その様子を見つめていた蛇女は、口角を上げた。

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