第43話
カラクリは、きょろきょろと落ち着かない様子の猫娘に淹れたての紅茶とクッキーを差し出す。クッキーを頬張る猫娘を、カラクリは眩しそうに目を細めて見つめた。
「……今さらですけど、先輩らしい実用的な部屋ですね」
「ん? らしいか? もともとこういう造りになってたぞ?」
カラクリは自身の部屋を見渡す。
「私の部屋は、可愛らしいお姫様のような部屋になってました。ドラゴンはキッズ部屋みたいな」
「ほう……それぞれ違ったのか」
「はい」
「……アイツに会って、泣いたのか」
「……雨が目に入ったのかも」
さすがに猫娘のその言い訳は苦しかったらしく、カラクリは苦笑した。
「……それはさすがに頷けないな」
「咄嗟に嘘って浮かばないものですね」
「俺にまで嘘つくなよ。寂しいだろ」
少しだけ苛ついて、尖った口調で言うと、
「すみません。先輩優しいから、心配かけちゃうし」
猫娘はしゅんと耳を下げて小さくなった。
「心配くらいさせてくれよ。俺はなんのためにこの船に……」
猫娘の表情がさらに暗くなる。カラクリは慌てて口を噤んだ。
「私はこの船に乗っても、彼を助けられないのでしょうか。せっかく真実まであともう少しなのに」
「……焦るなよ。時間ならまだ」
「本当は、私は彼のためじゃなく、自分の罪から逃げたくてこの船に乗ったんです」
猫娘は、まるで舞台のセリフを話すように告白する。
「この船ならやり直せるかもしれない。ここでもし黒中さんを助けられたら、自分の罪をなかったことにできるかもしれないと思って。……最低です。私は、誰よりも罪深い」
小さな手を握り込んだ途端、全身がその罪を自覚したとでも告げるように内臓が軋み、痛み出した。ギュッと目を瞑ると、脳裏に凪砂の顔が蘇る。
「ここにいる人間は、それぞれみんな罪を抱えてる。お前だけが背負うことはないさ」
カラクリは猫娘の手をそっと掴み、両手でカチコチに固まった猫娘の手を開いてやる。
「これ。美味いから食べろよ」
その手に、カラクリはクッキーを一つ握らせる。
「このイチゴジャムが付いたやつ、お前好きだろ?」
「……いただきます」
クッキーが猫娘の歯によって粉々に砕かれ、こくんと猫娘の細い喉の形を変えて消えていく。
「……美味しい」
猫娘は唇に付いたジャムを舌でなぞりながら、僅かに笑った。
カラクリは、猫娘のそんな何気ない瞬間にさえ色を感じてしまう。
「……だろ?」
カラクリは首を振って、浮ついた感情ごと飲み込むように紅茶を流し込んだ。
そして、誤魔化すように早口で、
「……あ、そうだ。お前を呼んだ理由なんだけどな。昼間蛇女に会いにいったけど、やっぱり俺にはなにも話してくれなかった」
猫娘は本題を話し始めたカラクリに、口付けていたティーカップを静かに置いた。
「私もです。話も聞いてもらえませんでした。まぁ……当たり前なんですけど」
しかし、未だ口をまごつかせているカラクリに、猫娘は小首を傾げた。
「先輩?」
「あのな、香り……蛇女が黒中凪砂ってことはないのか?」
「蛇女が黒中さん?」
突然の話に、猫娘は目を丸くした。
もちろん猫娘も、その可能性を考えていなかったわけでもなかった。けれど、蛇女の雰囲気と凪砂では、あまりイメージが合わないと思ったのだ。
「蛇女がな、お前じゃないとなにも話さないって言うんだよ」
「え……、私ですか?」
猫娘が驚く。
「あぁ。会いにいっていきなり、香りのことを名指しだったから、最初は警戒したけど……考えたらさ、蛇女がもし星井熊野だったとして、あいつはお前と直接接点があったわけじゃないから、わざわざ指名するとも思えないんだよな。あるとすれば、黒中凪砂がお前になにか伝えようとしてるんじゃないかと思って」
「蛇女が黒中さん……? それなら、逆に鬼人が星井熊野だったということになりますが……」
猫娘は図書館の鬼人の様子を思い出す。
『黒中さん……なんでしょう?』
『人違いだ』
図書館での鬼人のセリフが頭をよぎる。
カラクリの言うとおり、鬼人が星井熊野だったのだろうか。
「そう……なんでしょうか」
あまり似た雰囲気は感じなかった。だが、有り得なくもない話だ。なにしろ、香りは星井熊野のことをほとんど知らないのだから。
謎の多い熊野に対して、好青年だったというイメージがどうしても先行してしまっていたが。そもそも熊野は猫を被っていたわけだし、どちらにしても蛇女も鬼人も、好青年のイメージからは程遠い。
話してみる価値はあるのかもしれない。
「蛇女さんとは、どこで待ち合わせを?」
「明日の十時にエントランスホールだ」
カラクリはちらりと壁に備え付けられた時計を見て言った。
「分かりました。じゃあ、私がいきます」
「俺も行くよ」
「でも、蛇女さんは私を名指しだったんでしょう? 他の人がいたらなにも話してくれないかも」
相変わらず、カラクリの心配性は治っていないらしい。猫娘は苦笑しつつ、言い返す。
「でも、危ないだろ。あいつ、この船に乗ったときから結構お前につっかかってたし」
しかし、なおも心配そうなカラクリ。
「大丈夫ですよ。なにかあっても、私は今猫ですから、蛇なんて返り討ちにしてやります!」
猫娘はカラクリに向かって、シュッシュッと猫パンチなるものを繰り出す仕草をした。猫娘のその様子に、カラクリはようやく笑みを零す。
「……分かった。でも、なにかあったらすぐに逃げるんだぞ。俺はとりあえず、近くに隠れておくから」
「分かりました」
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