第92話 終末のはじまり

「──行くぞっ!」


 叫ぶと同時、アルヴィンは躊躇なく突進した。

 彼女の返事は待たない。

 お互いが成すべき事は分かっている──それ以上の言葉は必要ない。 


 眼前には、処刑人の厚い壁が立ち塞がる。

 完全武装の相手に拳銃を使ったところで、効果は知れている。真正面から挑むのは、勇敢を通り越して無謀と評するべきだろう。

 だがアルヴィンは、足を止めない。


 処刑人は仮面の下で、嘲笑を浮かべた。作り物のような眼球が、陰惨な光を放つ。

 左斜め上から振り下ろされた斬撃は、痛烈だ。背教者の胴を容易く両断し、カタコンベの新たな住人に加える。


 ただしそれは──処刑人が見た、幻影に過ぎない。

 相手の動きを、アルヴィンは冷静に読んでいた。


 深夜の超過勤務に悲鳴をあげる身体に鞭を打つと、剣光を躱す。次の瞬間、正確無比の射撃が、仮面の隙間からのぞいた眼球を撃ち抜いた。

 おぞましい絶叫が響いた。


 一瞬の判断ミスが生死を分かつ状況下で、アルヴィンの射撃は冴えわたる。

 地面をのたうつ男を跳び越えると、迫り来る新手を迎え撃つ。

 それだけではない。


 クリスティーの鞭がしなり、むらがる処刑人を打ち据える。

 二人は包囲網にくさびを打ち込み、切り崩しにかかった。怒号と悲鳴が混じり合い、地下の空気を殺伐としたものに変える。

 だが包囲の壁は、想像以上に厚い。


「まずいわよっ!」


 クリスティーの発した警告の意味を、確認するまでもない。

 眼前に立ち塞がる処刑人たち──その、向こう側だ。 

 フェリシアがステファーナに駆け寄り、グングニルを渡しているのが見える──


 槍先が、虚空に浮かぶ門へと向けられた。


「よせ!!」


 アルヴィンは、声の限り叫ぶ。


「聖櫃は、不死の綻びを封じているんだ! 開けば、大陸は滅びる!!」

「そんなことは、百も承知です」


 少女は意に介さない。

 嘲笑と共に、無造作にグングニルが振られる。


「──くっ!!」


 包囲を捨て身でかいくぐり、アルヴィンは全力で飛び出した。

 たが、もはや手遅れであることは分かっていた。発砲したところで、間に合わない。


「そこで見ていなさい、不死者の誕生を」

「やめるんだっ!!」


 グングニルの槍先から、閃光がほとばしった。 

 青白い稲妻が、門を打ち据える。


 生じた変化は苛烈という他ない。


 世界は眩い光に呑み込まれる。地下に、もうひとつの太陽が生まれたかのようだ。

 目を開けてはいられない。


 そして──


 ……ギ………………


 音が、響いた。


 ……ギ………………ギ…………ギ……ッ…… 


 低く、耳障りな音だ。


 ギ……ギ……ギ……ギ……ギ……ギ……ギ……ッ……


 何かが、擦れる……爪で窓硝子を擦るような、神経を掻きむしる不快な響き──それは、次第に大きさを増す。


 ギギ……ギギギ……ギギギギギギギギッ……!!!


 耳を押さえなくては、発狂しそうだ。

 だが、長くは続かない。音は止み、静寂が戻る。

 地下を満たした光も消えた。


 視力が回復し、アルヴィンは視線を走らせ──


「なんてことをっ!!」


 叫びは、完全に裏返っていた。虚空を見あげ、呻く。

 聖櫃の門は──開いていた。


「待っていた……この時を、数十年待っていたのですよ……」


 それは誰に向けたのでもない、ただの呟きにすぎないのだろう──うっとりとした、狂気に満ちた声を少女が漏らす。

 いや、違う。 


 少女の視線を追って、アルヴィンは自分の勘違いに気づいた。

 開放された聖櫃の、入り口。そこに人影を見出して、目を見開く。

 見間違いではない。


 艶やかな白髪の女が、こちらを睥睨していた。

 カトレアの花のように成熟した優美さと、怪しく謎めいた笑み──その女を、アルヴィンは知っている。


「母さん……」


 クリスティーが呟く。

 つまり、そういうことなのだろう。

 かつて父アーロンの仇として追った魔女であり、クリスティーの母。そして大陸で唯一、不死を達成した者── 


「白き魔女よ! わたしを不死者とするのです!」


 ステファーナが高らかと声を張り上げる。

 原初の十三魔女、最後の生き残りである女は、沈黙を守る。静かに地底湖を見下ろしている。

 その場にいる者、全てが虚空を見あげる中──変化は足元で、小さく生じた。

 

 湖面に波紋が生まれた。

 ひとつではない。幾つもの波紋が生まれ、重なり合う。それは波に変わり、次第に高さを増す。

 うねりを帯びた波が足元を濡らすまで、時間は要さない。


「なんだ……?」


 アルヴィンは、クリスティーと顔を見合わせ……気づく。

 大地が、鳴動していた。


 直後、轟音が足元から沸き上がった。

 地面が揺れる。直ぐさま、激しい縦揺れが加わった。 

 立っていることができない。二人は地面に手をつく。それは、屈強な処刑人たちも同じだ。


 揺れに翻弄される中で、ステファーナ唯ひとりが姿勢を乱すことなく、白き魔女と睨みあっている。


「まずいわ……思っていたよりも早いわ……!」


 クリスティーがアルヴィンへと叫ぶ。彼女の碧い双眸には、悲愴な色が浮かんでいた。


「まさか……」


 アルヴィンは呻く。

 クリスティーの声は深刻な、そして絶望的な響きを伴った。


「そうよ! 始まったのよ、大陸の滅びが!」



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