七章 災厲の魔女
第47話 メアリー、聖都へ行く
──特別な存在、なのだろう。
恋人とは少し違う。
いや……だいぶん違う。
命の恩人であることは、間違いない。それは、自信を持って断言できる。
三年前のことだ。
不死の呪いをかけられ、アルビオの街を彷徨った。
処刑人の魔手から、命がけで救ってくれたのが、彼だった。
いつでも冷静で、困難に屈しない強い信念を持つ、黒髪の青年だ。
彼の話は、正直、小難しい。
礼儀正しそうに見えて、皮肉屋なところもあるし、少々口も悪い。
そもそも別れ際、勇気を振り絞って口づけしたというのに(頬に、だが)……三年間もほったらかしとは、どういう了見なのだろう?
手紙のひとつくらい、寄こしたらどうなのか。
まったく、干し大根並みに気の利かない男である。
……いや、話が逸れた。
思うところはあるが、やはり彼が特別な存在であることは、間違いない。
それが恋と呼べるものなのかは、まだ自信がないが……
「アルヴィン、元気にしてるのかな」
「何か言ったのです?」
怪訝な顔で、エルシアが振り返った。
心の声が、漏れ出ていたらしい。
「な、なんでも!」
メアリーは、慌てて首を振ってみせる。
そして誤魔化すように、正面へと視線を向ける。
双子とメアリーの眼前には、黄金の門と称される聖都の正門があった。
本来であれば、日の出と共に開門されているはずである。
だが正午を少し過ぎた頃だというのに、白大理石で造られた壮麗な門は、堅く閉ざされていた。
聖都に入れず、門前に佇む巡礼者の数は、ざっと見た限りでも千は下るまい。
「何度言ったら分かるの!? さっさと門を開けなさいっ!」
その巡礼者たちの最前列で、刺々しい声が響き渡った。
黄金の門は、衛士の一団によって警備されている。
隆々とした体格で、銀色に鈍く光る甲冑と、ハルバートを装備した彼らの姿は、否が応でも威圧感を放つ。
それを物ともせず、両手を腰にあてた女──アリシアが、中年の衛士長に突っかかっていた。
「あたしたち、アルビオから来たのよっ。閉門? 帰れ? はいそうですか、って引き下がるわけないでしょ!?」
「何人も入市させるなと、教皇庁からの厳命だ」
衛士長は、気の強い、世間知らずの小娘が食って掛かってきたと思ったのだろう。
小うるさいハエを追い払うかのように、邪険にあしらう。
アリシアが、片眉をつり上げた。
「わたしたちは審問官なのよっ。信用できないって言うの!?」
「たとえ上級審問官であろうと、許可なき者は通すなとの命令だ。立ち去れ!」
男の声もまた、剣呑さを増す。
アリシアが審問官であるなど、毛先ほども信じていない様子だ。
金髪碧眼の、ネモフィラの花を連想させるような可憐な外見を見れば、無理からぬことだが……重大な、判断ミスである。
「ちょっと加勢してきますわ」
メアリーと共に、少し離れた場所で静観していたエルシアは、パタパタと駆け出した。
そろそろ止めに入らないと危険である。
衛士たちの身の安全が、だ。
「そこまでなのです!」
エルシアが、するりと身体を割り込ませた時、両者は激発の一歩手前である。
顔を赤く染め上げた男の鼻先に、彼女は書状を突きつけた。
「なんだこれは!?」
「教皇庁からの、召喚状ですわ。許可があれば通れるのでしょう? 目を通したら、すぐに門を開けるのです」
「ふざけるなっ! こんなもの……が……い、いや……しかし……」
書状に目を走らせるや、衛士長の居丈高な態度が一変した。
そこには確かに”審問官アリシアとエルシアは、直ちに聖都へ出頭せよ”とある。
枢機卿エウラリオの署名も、本物だ。
そして後ればせながら……双子の胸元に、青銅の蛇が巻き付いた、銀の十字架が光ることに気づく。
それは──審問官の証だ。
「──よく捨てずに持っていたわね」
「デキる女は、備えておくものですわ」
小声で言うアリシアに、エルシアはウインクをして見せる。
召喚状は、もちろん偽書ではない。
三日前、星読みの魔女ポラリスを追い詰めた時、二通の封書が届けられた。
ひとつはオルガナから、そしてもうひとつは、教皇庁からだ。それが思わぬ形で活きた。
怒りに肩を震わせる衛士長の顔を見やると、エルシアは微笑んだ。
「それでは、門を開けていただけますわね? あ、あと赤毛の彼女も同行するようにとの命ですので、連れていきますわ」
「だが……っ」
「枢機卿の命です。何か不服が?」
「……も、門を開けろっ!」
娘ほどの年齢の小娘に面目を潰されて、衛士長は部下に怒鳴る。
命令と共に、人が通れるほどの空間が、僅かに開かれた。
トラブルはあったものの、三人は無事に聖都へと足を進める。
すれ違いざまエルシアは、露骨に不機嫌な表情を浮かべる衛士長の顔を見上げた。
「ご協力感謝しますわ。それにしても、静謐なる聖都も、物騒になったものですわね」
「何が言いたい」
「戦争でも始めるつもりなのですか?」
エルシアの観察眼は鋭い。
聖都を守る、白亜の市壁。
その各所に、多数の火砲が配されていることを見抜いていた。
堅く閉ざされた門といい、重装備の衛士たちといい、まるで戦争前夜である。
「あれは暗黒時代の物でしょう? ご大層な物を引っ張り出して、何と戦うつもりなのです?」
「……据えたのは、我々ではない。処刑人だ」
衛士長は、苦り切った顔で市壁を見上げる。
そして、ここにはいない何者かを憚るように声を潜めた。両眼には、深い憂慮の色があった。
「何と戦うのか、訊きたいのはこちらの方だ。教会に──一体、何が起きているのだ?」
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