第46話 黒薔薇と災い

◆ステファーナのイラスト


https://kakuyomu.jp/users/mimizou55/news/16817330661032410178



『教皇の薔薇園』

 といった看板が、かかっているわけではない。


 だがここは、教皇と一部の側近のみが立ち入ることを許された、特別な庭園だ。

 アルヴィンの記憶が確かなら、三百種類近い薔薇が植えられているはずである。


 ただし、開花はまだ早い。

 見頃となるのは、あと二ヶ月ほど先か──

 ステファーナにいざなわれて訪れた先は、大図書館のほど近くにある、薔薇園だった。


 まるで自分の所有物であるかのように、楚々とした花柄のワンピースを着た少女は歩みを進める。

 やがて目当ての物を見つけると、木立へと駆けた。


「残念なことです」


 若葉の茂った木立を前にして、少女は可憐な顔を曇らせた。 

 アルヴィンは不用意に追わず、その場で立ち止まる。


「──何がでしょう?」


 庭園には、二人以外の人影はない。  

 拳銃は、取り上げられていない。

 父の仇である少女と二人きり。それは復讐を果たす、またとない好機だといえた。


 だが……アルヴィンは油断なく、警戒する。


 死角から、複数の殺気が感じられるからではない。元より処刑人の存在は、織り込み済みだ。

 アルヴィンを慎重にさせたのは、少女が大図書館で見せた──魔法、である。


 ステファーナは鈴の音のような、澄んだ声音を響かせた。


「わたしは黒薔薇の、シャルル・マルランがお気に入りなのですが。まだ蕾をつけるには早いようです。花言葉は、永遠。不死を目指す者に、相応しい花だと思いませんか?」

「──あなたは、魔女ですね?」


 アルヴィンは、雑談に応じる気などさらさらない。

 教会の影の支配者を前にして、彼の声は冷淡で、一切の遠慮がない。 


 魔女がなぜ、魔女を駆逐する、教会のトップにいるのか──

 それは大いなる矛盾だ。

 厳しい視線を寄こす若き審問官に、少女は微笑んで見せた。


「わたしは、魔女ではありません」

「あなたが使ったのは、精神支配の魔法だ」

「たしかに、原初の十三魔女の第六姉──災厲さいれいの魔女の系譜に連なる末裔であることは事実。わたしは、彼女らと一緒にしないで欲しいと言っているのですよ」

「……どういう意味でしょう?」


 短く呟いて、アルヴィンは眉をしかめる。


「わたしは幼少の頃から、屋敷に遺された膨大な魔道書を読み漁ったのです。そして魔法という邪法を、月の制約を受けない、神聖な力へと昇華させた」


 少女が話す代物が何であるにせよ、神聖なものだとは、とても思えない。

 そして──どう言葉を飾ったところで、魔女である事実は覆らない。

 朗朗と語る少女を前にして、アルヴィンの眼光は鋭さを増す。


「あなたや枢機卿たちの不自然な若さも、フェリシアに使った精神支配も、神聖な魔法のお力というわけですか。ですが、不思議ですね」

「なにがです?」


 不快感と疑惑を込めて、アルヴィンは問う。


「ご大層な力をお持ちなのに、どうして迷宮で、声が出ないフリを? まさか迷った恐怖で声が出なくなった、という訳ではないでしょう」

「あなたがた審問官は、噓を見抜く術に長けている。だとすれば、沈黙に勝る擬態はありません」

「擬態? ますます理解に苦しみますね」

「わたしは、あなたを観察していたのですよ」


 魔法、擬態、そして観察──

 アルヴィンは怪訝な表情を浮かべ……ハッとした。


 昨夜、禁書庫に足を踏み入れた時だ。

 ほんの僅かだが、二人以外の妙な気配が感じられた。


 気のせいだと思ったが……あの時、すでに少女はいたのだ。魔法によって、姿を隠して。

 そして途中、迷い子を装って、何食わぬ顔で保護させた。


 だが、何の目的で観察など……?

 意図が、まるで読めない。


「ベラナは、良き後継者を育てましたね」


 アルヴィンの困惑を見透かしたかのように、少女は微笑む。


「──どういう意味でしょう」

「死地にあっても屈しない、意志と行動力。迷宮が作った複製とはいえ、白き魔女と接触まで果たした。あなたは、わたしが求めていた人材に他ならない、ということです」


 少女が口にする賛辞は、空虚なものにしか感じられない。

 アルヴィンの心に沸き上がったのは、警戒だ。


 それを肯定するかのように、少女は凜然とした声で告げた。


「審問官アルヴィン。不死の達成のため、あなたの力を貸して欲しいのです」

「僕の力など……必要だとは思えませんが?」

「残念ながら、わたしの魔法はまだ十全ではない。制約があるのです。そして不死の最後の一ピースである、白き魔女は手ごわい。あなたのような、優秀な審問官が必要なのです」

「残念ですが、ご期待には添えられませんね」


 アルヴィンは、ゆっくりと首をふってみせた。


 宿敵である枢機卿らのために、白き魔女と戦う──馬鹿げた命令である。腹立たしさすら感じられる。

 少女の碧い双眸を睨みつけ、アルヴィンは言い放った。


「約束通り、アズラリエルは持ち帰りました。これ以上、あなたがたに従う義理はありません。教え子を放免していただきましょうか。フェリシアにかけた精神支配も、解いていただけますね」

「白き魔女こそが、不死へ至る最後のピースなのです。使命を果たせば、あなたにも不死と名誉を与えましょう」


 冷たくつきはなしたアルヴィンの声を、だが少女は意図的に無視した。

 黒髪の審問官は、皮肉めいた光を両眼に宿らせる。


「お言葉ですが、大陸が破滅するというのに、不死を得て何の意味がありますか」

「破滅など訪れません。滅びを回避する方法など、いくらでもあるのです」


 ステファーナの声は、揺るぎない自信を帯びている。  

 そうやって、枢機卿らの耳元に囁いたのか──アルヴィンの視線は、冷ややかさを増した。


「さあ、審問官アルヴィン。力を貸してくれますね?」

「お断りします」

「わたしは礼節を尽くしてお願いしているつもりなのですが。考えるまでもない、という口ぶりですね」


 事実、考えるまでもないのだ。

 寛容さを装った微笑みを浮かべる少女を前にして、アルヴィンの声は辛辣さを帯びる。


「先ほど、花言葉についてお話されましたね。黒薔薇の花言葉は、恨み、憎しみです。永遠など意味しない。耳障りのいい甘言を弄し、姿を偽ったところで、あなたからにじみ出る死臭は隠しきれませんよ。舌先で欺瞞をさえずるのは、それくらいにしていただきましょうか」


 アルヴィンの口調には、一分の容赦もない。

 対してステファーナは、憤怒をあらわにするわけでもない。

 小さく嘆息したのみだ。


「わたしたちは、わかり合えると思ったのですが」


 心底惜しそうに、ステファーナはこぼす。

 少女は子供が遊びでするように、指で拳銃の形を作った。それをアルヴィンの胸元へと向ける。

 二人の視線が交錯した。


 バン! と、響いた音は、少女の口から発せられたものだ。

 まるで児戯である。 

 アルヴィンは失笑しかけ──凍りついた。


 胸に激痛が走り、眉目が歪んだ。

 胸元にやった手が、どろりとした、生温かい液体に触れた。

 掌が……真っ赤に染まっている。

 噴き出した液体は止まることなく、祭服を重く濡らしていく。


「──!」


 意識が、急速に遠のいた。

 朝だというのに、黄昏時のように視野が暗い。闇の奥底へと、瞬く間に引きずり込まれる。

 アルヴィンは地面に倒れた。


「片付けておきなさい」


 それが、最後に聞こえた言葉だった。





災厲さいれいの魔女編につづく)


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