第10話 すれ違う想い
激痛に顔を歪めたアルヴィンは、即座に状況を理解する。
冷たい光を双眸に宿し、短剣を手にしているのはクリスティーだ。
刺されたのだ、彼女に。
処刑人の白の祭服が、肩口を中心に赤く染まっていく。
「くっ……!」
咄嗟にアルヴィンは間合いを取る。
銃口が彼女に向けられた。
それは──アルヴィンの拳銃ではない。
彼女を真っ直ぐに睨みつける、ベネットの姿が目に映る。
アルヴィンは叫んだ。
「撃つな! ベネット!」
「私は外しません!」
魔女は駆逐すべき邪悪な存在だ。
初めて対峙して、だがベネットの心には寸分の迷いもない。
引き金が引かれた。
宣言の通り、狙いが外れることはなかった。
放たれた銃弾は、まっすぐに彼女の胸元に吸い込まれる。
審問官見習いに実弾は支給されない。
だが模擬弾とはいえ……至近距離であれば、致命傷を与えても不思議はない。
パン! と風船が破裂したような音が響いた。
変化は目を疑うようなものだった。
彼女を中心として、突如として黒煙がわきあがったのだ。
次の瞬間、爆発的に室内に充満する。
濃厚な闇が視界を完全に奪い去る。
アルヴィンは即座に視覚に頼ることを放棄した。
目を瞑り、五感を研ぎ澄ませる。
全身の感覚を総動員して、殺意の接近に備える。
次の攻撃は──だが、来ない。
黒煙が充満したのは、実際には一分もなかったかもしれない。
煙が薄れた時、彼女の姿はどこにもなかった。
火球が撃ち込まれる爆音も、いつの間にか止んでいた。
夜は、急速に静けさを取り戻す。
──なぜ、なのか。
アルヴィンの心に、複雑な思いがこみ上げた。
三年ぶりに再会し、刺され、そして彼女は消えた。
一体何があったというのか……
残されたものは、”禁書庫の鍵”という言葉と、左肩の激痛だけだ。
傷口を押さえながら、拳銃を構えたままの教え子に視線を向ける。
「──ベネット、なぜ撃った?」
「魔女を駆逐することは、審問官としての使命です」
質問の意味を、理解できなかったのかもしれない。
ベネットは当然のことのように、模範解答を口にする。
アルヴィンは問い直した。
「僕は撃つな、と言ったはずだ。なぜ指示に反した?」
「なぜ……? 私が撃たなければ、あなたは死んでいました!」
ベネットの顔に、信じられない、という表情が浮かぶ。
確かにあの時発砲しなければ、アルヴィンは命を落としていたかもしれない。
少なくとも彼女を知らぬ者には、そう見えただろう。
だが……アルヴィンは静かに首を横に振る。
続いた言葉は、手厳しい。
「僕が危険だったからという理由だけで撃ったのなら、ベネット、君に審問官としての適性はない」
「あなたを助けたのですよ!? おかしいではありませんか!」
「結果として、魔女には逃げられた。僕が死ななくても、代わりに市民が犠牲になれば同じことだ。違うかな?」
「ですがっ……!」
「常に冷静に状況を見極め、最善の策を選択し続けること。それが審問官の使命だ」
彼女が人を害することなどない……そう信じたい。
だが事実として二人の命を奪い、アルヴィンに刃を振るった。
市民が犠牲となる可能性は十分にある。
アルヴィンはベネットの手から、拳銃を取り上げた。
「これは預かる」
「そんな!!」
悲鳴にも似た声が響く。
アルヴィンの胸中には、じくじたる思いがこみ上げていた。
少年が審問官として未熟であるように、彼自身も指導官として未熟だった。
ベネットが先走った原因は、指導の拙さにある……
だが今は、それを省みる暇はない。
アルヴィンは教え子に背を向けた。
急ぎ確認すべきことがあった。
床に倒れ伏したままのマリノに歩み寄る。
「枢機卿マリノ、お怪我は?」
少年は顔を蒼白にし、身体を震わせていた。
幸いというべきか、生死にかかわるような負傷はなさそうだ。
「彼女は何か話しましたか?」
そう尋ねた時、マリノの視線が僅かに動くのを、アルヴィンは見逃さなかった。
修道士ジョセフを描いた宗教画へ、だ。
荒れ果てた部屋の中で不思議なことに、その絵だけには傷ひとつない。
──何かある?
だが、それ以上の意図を読み取ることはできない。
マリノが両手で顔を覆ったからだ。
「……ベラナの忠告に……耳を傾けるべきだった……」
マリノは譫言のように口走る。
その声には悔悟が色濃く滲んでいる。
「枢機卿マリノ、ベラナ師の忠告とは?」
「……私はステファーナの甘言に同意したことを後悔している……」
重いため息と共に、マリノは声を吐き出す。
そして表情を暗く陰らせながら、こう言ったのだ。
「──不死は秩序を崩壊させる。大陸に……滅びをもたらすのだ」
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