第2話 したたかな教え子
聖都は、いわば巨大な墓所だ。
二つの国があるといってもいい。
生者と、死者の国だ。
数百年の歴史を持つこの街には、アルビオよりも遙かに入り組んだ地下墳墓が張り巡らされている。
聖都の地下全体が、墓所なのだ。
地上を生者の国とするのなら、地下はまさに死者の国だ。
伝承が正しければ……地下墳墓には、救いがあるらしい。それが何を意味するかは、分からない。
確かなことは、その救いを求めて先人たちがこの地に聖都を築いた、それだけだ。
「うわーっ! 訊いた通りだ! すごい、本当に素晴らしい街並みだ!」
教皇庁の三階からは、大陸で最も神聖で荘厳な大聖堂が一望できる。列柱廊に囲まれた、楕円形の広場もだ。
視線を転じると、七十七体の聖人の彫像が、広場を見下ろすように配されている。
ベネットはひとり、窓際で瞳を輝かせた。
奥の部屋に通されたのは、彼の師だけだ。
少し距離を置いて、処刑人が気配なく立っている。
窓越しに見る聖都は実に壮麗で、古都アルビオですら霞んで見えるほどだ。
例え筋金入りの無神論者だったとしても、街に足を踏み入れた途端、神の存在を信ずにはいられなくなるだろう。
彼は地方から出てきた若者が、美しさに目を丸くする──フリをした。
ベネットは、聖都で生まれ育った。
彫刻家が心血を注いだ彫像でさえ、見慣れた、退屈な景色の一部に過ぎない。
スッ、と彼は目を細める。
その双眸にはしたたかさと、勝ち気な炎のゆらめきがあった。
街に配された衛士の数が、明らかに多い。しかも重武装である。
静謐な聖都の裏側で何かが起きている、そんな気配を感じさせる。
ベネットは、アルヴィンが招き入れられた扉を一瞥した。
一ヶ月前にオルガナを首席で卒業し──彼にとっては、造作もないことだが──師事を受けるようになってから、日は浅い。
学院時代に耳にした噂話が事実なのか、確かめる機会はまだない。
だが聖都に着いた早々、処刑人が出迎えるなどただ事ではない。
そして面会の相手は、教会を統べる枢機卿だ。
「──私が睨んだとおり、あなたは興味深い人のようですね」
ベネットの瞳に、好奇の色が浮かんだ。
奥では、一体どんな会話が交わされているのか──
実のところ、何の会話もなかった。
部屋は、沈黙で満たされている。
当然だ。執務室には、アルヴィンひとりだけだったのだから。
部屋には執務机、書棚、そして右手の壁に、五メートルはあろうかという宗教画が飾られていた。
聖母と大天使が描かれたその作品名は……確か、受胎告知だったか。
人気のない部屋で、アルヴィンは考えを巡らせた。
教皇ミスル・ミレイが眠りの呪いを受け、公の場から姿を消して久しい。
教会を実質的に支配するのは、七人の枢機卿で構成される、枢機卿会だ。
そして彼らは──アルヴィンの、父の仇でもある。
聖都について早々、接触があるとは想像していなかった。
そしてこれは、ただの着任の挨拶だけでは終わるまい。
アルヴィンには確信めいた予感がある。
一体、何を仕掛けてくるのか……
──と。
予想だにしない方向から音がし、空気が動いた。
絵画の中……大天使の背後に描かれた扉が開いたのだ。
そこから、少年が顔を出す。
「──!?」
「こちらへ」
左手でノブを握り、少年は告げた。
年齢は十歳を僅かに超えたくらいだろうか。白の祭服に、緋色の帯を締めている。
天使の見習いのような、あどけない顔立ちだ。
まさか絵画の中から少年が出てくるとは……アルヴィンは驚きを禁じ得ない。
扉の向こう側には、広々としたもうひとつの部屋が見える。
巧妙に描かれた、だまし絵……いや、違う。
何らかの魔法の介在によって生み出された空間、そんな違和感がある。
「これは?」
「備えです。いつ魔女の襲撃があるか分かりませんので」
穏やかではない単語が、少年の口から出た。
閉鎖された門といい、聖都では何が起きているのか──アルヴィンは訝しむ。
通された奥の部屋は、執務机と椅子が置かれただけの簡素なものだった。
この部屋にも、主の姿はない。
「枢機卿がお待ちと伺いましたが」
「これは失礼しました。あなたはご存知ではありませんでしたね」
「……何をです?」
「枢機卿エウラリオは、私です」
意外すぎる返答と共に、少年は薄い笑みを浮かべた。
アルヴィンは言葉を失う。
違和感を放つのは部屋だけではなかった。
小さな枢機卿と目が合い──背筋に、ぞわりとした悪寒が走った。
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