第12話 不肖の弟子
「僅か一ヶ月で、二人の魔女を駆逐、か」
今更、驚くべきことではないのかもしれない。
上級審問官ベラナの反応は、一欠片の関心も示さない、淡々としたものだ。
ねぎらいの言葉一つない。
興味のなさを隠そうともせず、アルヴィンが一晩かけて作成した報告書を一瞥しただけだ。
そして本と本の分厚い山の間にある、処理済みのダンボ-ル箱の中に投げ入れる。
黒髪の少年は、部屋を見回した。
老人の執務室は多数の本で占拠され、足の踏み場もないのは相変わらずだ。
ここは、いつ来ても居心地が悪い。
アルヴィンは、この春に審問官の養成機関である学院を主席で卒業し、現在はベラナに師事する審問官見習いである。
つい先日、十七歳になったばかりだ。
どこか幼さの残る顔立ちだが、その瞳は強い意志を感じさせる。
事情を知らぬ者が見れば、栄達の階段を順調に上がる若者に見えただろう。
「火の魔女に続き、凶風の魔女を駆逐、か。我々が数年追っていた魔女だ。これほどの実績を残した見習いは、二十年ぶりであろうな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めておるのではない」
老人はぴしゃりと言い放つ。
「私は、魔女を何人駆逐しようが評価はしない」
審問官の使命は、魔女を駆逐することだ。
それを真っ向から否定する老人の言葉に、アルヴィンは困惑を隠せない。
「審問官シュベールノを知っているであろう? 多くの魔女を駆逐した者が、優れた審問官であるとは限らない。たとえ他の指導官が評価したとしても、私はしない。よく覚えておくことだ」
老人は手厳しい評価を下す。
シュベールノは、生涯に五百人以上の魔女を駆逐したとされる、暗黒時代を代表する審問官だ。
ただし── 彼の裁いた魔女のほとんどは、えん罪だったのである。
皮肉にも彼の行動によって、審問官の権限を大幅に制限する、厳格な教会法が作られたのだ。
だとすれば、優秀な審問官とは何なのか── それを問い返そうとした時、扉をノックする音が響いた。
「入りたまえ」
ベラナが静かに許可すると、背後の扉が開く。
入室したのは、白を基調とした祭服を着た男だ。
そして一見して……異様な雰囲気を纏っていることが分かる。
顔の上半分を覆い隠す、白い仮面をつけているのだ。
仮面の奥で、瞳が狡猾な光を宿すのを、アルヴィンは見逃さなかった。
「審問官リベリオだ。以後、お見知りおき願おう」
アルヴィンの隣に立つと、男は尊大な響きのある声で名乗る。
諸事情により審問官ウルバノが殉教してから、すでに一ヶ月が経つ。
「……審問官リベリオは、欠員の補充で赴任されたのですか?」
「そうではない」
アルヴィンの問いを、ベラナは即座に否定した。
「彼は枢機卿から、特命を受けて派遣されたのだ。審問官見習いアルヴィン、アルビオ滞在中のサポートを君に命ずる」
「……承知しました」
アルヴィンはそう言うと、恭しく一礼した。
あくまで直感だが……この不気味さを纏った審問官は、警戒すべき相手のように思える。
だが見習いの立場である以上、どんな理不尽な命令だったとしても、拒否権はないのだ。
そしてやや遅れて、リベリオから驚きの視線が向けられていることに気づいた。
「お前が、アルヴィンなのか?」
理由は分からないが、男は喫驚していた。
聖都にいる審問官と、面識など一切ないはずだが……
「俺は、聖都から逃げた魔女を追ってこの街にきた」
「魔女……ですか」
戸惑いの色を浮かべるアルヴィンに、リベリオは頷く。
そして高らかと、不吉な宣言をしたのだ。
「── 不死の、魔女だ。お前があのアルヴィンなら、存分に働いてもらうぞ」
「俺は、お前に一目置いている」
初対面の相手からそう言われたとき、どう反応するのが正しいのだろうか。
ありがとうございます、と礼を述べるのも間違っているような気がするが……
ベラナの執務室を辞した後、二人の姿は小聖堂にあった。
「意味が分からんという顔をしているな?」
困惑を見透かしたように、リベリオは目をギラつかせた。
「お前は、兄の仇を取ってくれた恩人だ」
「兄……ですか?」
アルヴィンは戸惑いながら、記憶の糸をたぐり寄せる。
恩人として、感謝されるような心当たりなど……一切ない。
だが、リベリオの声が、どこか聞き覚えがあることに気づく。
その声を耳にしたのは── アルビオにきて、間もない頃だ。
彼を導き、そして最期に決裂した人物。
アルヴィンはハッとした。
「まさか……」
「そうだ、審問官ウルバノは俺の兄だ。お前が火の魔女を駆逐して、仇を取ってくれたそうだな?」
それは、一ヶ月前の出来事だった。
審問官ウルバノは火の魔女との戦いで殉教し、その魔女をアルヴィンが駆逐した。
表向きの記録上は、だが。
真実は真逆である。
架空の魔女を作りだし、連続殺人に手を染めたウルバノを、アルヴィンが粛正したのだ。
その事実を、どうやらリベリオは知らないらしい。
「兄は、使命に忠実な審問官だった」
「そうですね」
あまり感情のこもらない声で、アルヴィンは同意する。
よりにもよって、ウルバノの弟のサポートをすることなるとは……
火の魔女事件の真相を教会内で知るのは、アルヴィンとベラナだけだ。
今更ながら、老人の底知れぬ意地の悪さに、舌打ちしたい衝動に駆られる。
「……それで、不死の魔女を、どうやって捜すつもりなのですか?」
「捜す必要などない。奴の方から尻尾を出すだろう」
リベリオがそう言うのと、伝令が駆け込んでくるのは同時だった。
「……ボ、ボラーフ・マーケ……ットで! ……事件……!」
息を切らしながら告げる伝令に、リベリオは唇を歪めて笑った。
「それでは行こうか。出来損ないの魔女は、尻尾を出さずにはいられないのさ」
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