第6話 不都合な後輩

 貧民街の住民は、魔女を信奉しんぽうしている。

 それは実に奇妙なことだが、紛れもない事実だった。


 クリスティーが医師という立場を隠れ蓑かくれみのにしているとはいえ、少女と住民の訴えは、心からのものに見えた。

 彼らは魅惑されたわけではなく、自発的な意思で魔女を守ろうとした── それは、間違いない。


 だが、用心深い魔女は、自身を危険から守るための巧妙な保険を、幾重にも張り巡らせるものだ。

 目に見たままのものを、素直に信じるのは危険すぎる。


 ウルバノの情報が正しければ、彼女は無実の人間を十人以上焼き殺した、火の魔女なのだ。 

 貧民街で医療を施す慈愛に満ちた医師なのか、冷酷無情な魔女なのか。

 魔女の本質が悪であるのなら、やはり彼女は後者となるのだろうか。


「だから不用意に接触するな、と言っただろう!!」


 思索は、抗議の声で打ち切られた。


「耳元で大声を出さなくても聞こえていますよ」


 うんざりした顔で、アルヴィンは返す。

 教会に戻るなりウルバノに捕まり、彼の控え室へと連れてこられたのだ。

 当然ではあるが、独断で動いた見習いに、怒り心頭に発する剣幕だ。 


「診療所で、何があったんだ!?」

「何もありませんよ」


 それは、明らかに噓だ。

 クリスティーから言質を得たことを、アルヴィンは伏せていた。彼女をかばっているわけでは決してないが、まだ話すには早いと判断したのだ。

 とは言え、審問官に噓は通用しない。

 当然ながらウルバノは、何か隠していることに気づいたようだ。


「お前のおかげで、我々が監視していることが気取られた。このことは、ベラナ師に報告させてもらうぞ」

「お好きにどうぞ。それと会いに行くなら、これを渡してもらえませんか?」


 アルヴィンの手には、クリスティーから渡された紙袋がある。


「これは何だ?」

「犯人が現場に遺した遺留品です。これを鑑定すれば、犯人が誰かはっきりするでしょう」

「……分かった、渡しておこう」

「あと、確かめたいことがありますので。明日は、僕一人で行動させてもらいます」


 それは流石に禁じられるかと思ったが、あっさりと受け入れられた。

 もちろん条件付き、ではあるが。


「くれぐれも軽挙はつつしめよ。今度同じ事をしたら、七日を待たずに教会から去ることになるぞ」

「分かっていますよ。ところで、審問官ウルバノ」


 厄介事の気配を察したのか、ウルバノは不機嫌に睨んだ。


「まだ何かあるのか?」

「ただの質問ですよ。あなたは善良な魔女がいると思いますか?」


 善良な魔女とは、自分でも矛盾したことを口にしているという自覚はある。 

 ウルバノの返答は、冷ややかなものだ。


「魔女は二通りいる。悪しき魔女と、善良を装った悪しき魔女だ。迷う前に撃て。そうしなければ、死ぬことになるぞ」



 翌日、アルヴィンは事件の現場を丁寧に検証して廻った。

 最後に訪れた場所は、貧民街にほど近い場所にあった。二年前に大火があったらしく、廃墟の多いひっそりとした区画である。


 声をかけられたのは、ちょうど確認を終えて腰を上げた時だ。


「随分、仕事熱心なのね」

「君は……どうして、ここに?」


 振り向いた先に立っていたのは、クリスティーだ。

 彼女は白衣姿で、右手に大きな手提げ鞄を持っている。

 こんな場所で会うとは……尾行されていたのか。アルヴィンは自分の迂闊うかつさを呪った。


「こんな時間に何をしているんだ?」


 夜の遭遇は、審問官が圧倒的に不利となる。

 平静を装いながら、慎重に距離を見定めた。

 距離はせいぜい二メートルか。もし彼女が不審な動作を見せれば、飛びかかれば魔法の発動を止められる……可能性は、ある。


 間に合わなければウルバノが話したように、首を飛ばされて終わるだけだ。

 クリスティーはアルヴィンの心を読んだかのように、微笑した。


危篤きとくの患者がいて、夜の往診に行っていたのよ。心配しなくても、あなたをつけていたわけじゃないわ」

「……患者を魔法で癒やすのか?」

「あらあら、これは昨日の審問の続きかしら?」


 おどけたようにクリスティーは笑う。


「本人が望めば、そうね。もっとも、命にかかわる魔法はとても複雑なの。大したことはできないけれど」

「摂理に反する行いだとは思わないのか」

「家族と最期に過ごす時間を、ほんの少し伸ばすことが、そんなに悪いことなのかしらね?」

詭弁きべんだ!」


 アルヴィンは吐き捨てるように言う。

 魔法の善悪について魔女と討論したところで、平行線だろう。


「それよりもあなた、火の魔女を探しているんですってね?」


 クリスティーの顔から、不意に笑顔が消えた。

 その声には、危険な響きが内包されていた。

 夜の色をした不可視の圧力に、押しつぶされるような錯覚に襲われる。


 拳銃に手を伸ばしたくなる衝動を、アルヴィンは懸命に堪えた。

 まだ、使うには早い。ウルバノは迷わず駆逐しろと言うだろうが、現認していない以上── まだ、発砲はできない。


「火の魔女が誰なのか、知りたい?」

「……君なんだろ?」

「どうかしらね。ヒントをあげたでしょ? そろそろ、答えに辿り着いた頃合いだと思ったけれど、期待しすぎだったかしら」


 クリスティーは、皮肉っぽく応じる。


「ヒント、ね。それは魔女の常套手段じょうとうしゅだんなんだよ。手助けを装って猜疑心さいぎしんあおり、ミスリードする手とも限らない」

「私はね、心理戦だとか駆け引きだとか、腹の探り合いは嫌いなの。だから、教えてあげるわ!」


 クリスティーの瞳に、冷酷な光が揺れた。

 危険が急速に迫り来るのを感じ、咄嗟にカズラの下に隠した拳銃に手を伸ばす。


「これが答えよ!」


 彼女の手がひらめくと、猛烈な劫火ごうかが噴き出し、アルヴィンを襲った。

 銃を出す間もない。

 夜の底を赤黒い火炎が焦がし、抗する間もなく全身を焼き尽くす。

 

 ── 焼き尽くす、はずだった。

 反射的に目を瞑り、恐る恐る開いた時……灼熱の炎は、どこにもない。

 その代わり視界に飛び込んできたのは、クリスティー自身だ。

 彼女は、アルヴィンに飛びかかってきたのである。 


「な、なにを!?」 


 不意を突かれ、そのまま二人は地面に倒れ込む。

 魔女がこんな直接的な暴力に訴えかけてくるなんて、全く予想外だ。

 彼女の顔が胸元に当たり、甘い香りが鼻孔をくすぐった。


 地面に背中をしこたま打ち付けながら、だがアルヴィンは一瞬で状況を理解した。

 先刻まで立っていた空間を、凶弾が切り裂いた。

 同時に銃声が耳を打つ。


 襲われたのではない、かばわれたのだ。

 上半身を起こしたクリスティーが腕をふると、何もない空間に水塊が出現した。

 それが厚い壁となって二人の背後を覆う。

 間髪を容れずに放たれていた次弾が、水中で力を削がれ、地面に転がった。


 ── 魔法!!


 目の前で使われた魔法、だが詳しい説明を求める時間はなさそうだ。

 クリスティーが鋭くにらむ先には── 拳銃を持つ、人影がある。


 やれやれと、前髪を指先でかき上げると、アルヴィンは立ち上がった。

 今夜は、来訪者が後を絶たない。

 それもとっておきの招かれざる客に、彼は声をかけた。


「……あなただったんですね、審問官ウルバノ。火の魔女の仕業に見せかけた、連続殺人犯は」

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